「人間は記憶に固執すル。その一方で、必ず忘却すル……可哀想なイキモノだと思うけどヨ、オレ様にとっては随分とうらやましい話だゼ。忘れようと思わなくとも忘れられるし、忘れたいこともいつかは必ず消えてイク……」
 宝石烏は忘れたくても忘れられないのだから、と烏は嗤いながらジゼルに話しかける。ジゼルは答えず、ただ烏が案内する道のその先を見つめていた。宝石烏は肩をすくめると、ジゼルから視線を逸らす。
「オマエラ人間は、【何故自分たちが忘れるのカ】考えたことがあるのカ? オマエラが【そういう風に】創られたイミ、ちゃんと分かっててオマエは【忘れない】ことを選んでルのカヨ?」
 ジゼルは飛び回る宝石烏を睨み付ける。宝石烏は肩をすくめて、地面に降り立った。
 ――私はすべてを【忘れる】ことを望んでいる。母さんを忘れないために。他の記憶を全て削除したいだけ。
 説教をしにやってきたのなら、そんな冷やかしはいらなかった。ジゼルは烏を追い越して、先を歩く。期待をした私が悪かった、とジゼルが首を振ったとき、慌てた様子で服の裾を烏が引っ張った。
「悪かったヨ。長年じいさんの相手バッカで、新しい話し相手ができたから盛りあがっちゃったんダ。謝るカラそんなに怒るなヨ。短気だナ……」
 短気じゃない。ただあんたの話があまりに長すぎて、説教じみていたから、とジゼルは心の中で補足する。宝石烏ほどの知能があれば、ジゼルの思っていることを読み取るのは簡単だろうから。現にさっきまでジゼルが言葉を発さなくても、彼はすぐにジゼルが何が言いたいのか理解していた。
「マア、分かりやすいからネ」
 宝石烏がぽんぽん、と透明な翼でジゼルの肩を叩く。ジゼルは無言で、その翼を払い落とした。


 それからどれくらい歩いただろうか。暗闇の中にいると、時間の経過がさっぱり分からなくなる。ジゼルはだんだんと痛くなってきた足にうんざりしながら、びゅんびゅんと飛び回る宝石烏をちらりと見つめた。私にも翼があったら、なんていうことを、ジゼルは産まれて初めて考えた。
「ハーイ、お待たせ。此処が第二の扉だヨ!」
 宝石烏がとまったのは、崖の前だった。長く続いていた闇の空間は途絶え、奈落の底にさえ見える崖がただ目の前にある。ジゼルは立ち尽くした。見るからに、行き止まりだ。
 そっと崖の下を覗いてみるけれど、何も見えない。地面からは形容しがたい生ぬるい温度とぶよぶよした気持ち悪い感覚が伝わってくるだけだ。
「視覚にとらわれすギ」
 ケラケラ、と宝石烏が嗤う。
「何もかも目に見える物だけが全てだと思ってるのカ? 目に見えなければないのも同じ――そんな感覚をいつまでももってたラ、宝石標本士にはなれないヨ」
 宝石標本士とは、目に見えない記憶を宝石に閉じ込め、見える様にする――具現化する職業なのだから。
 烏はそういうと、地面に寝転がる。
「考えるナ、感じロ……とは言わなイ。【考えて】【感じる】んだヨ。この先の標本室には何が眠ってルのか」
 ヒント出し過ギ、と言って宝石烏はそれきり何も言わなくなる。ジゼルは静かに目を閉じた。目に見える物だけを信じるな。自分の内側へ耳を傾けよ――。
 ふと、柔らかい匂いがただよっていることに気付く。
 そうだ、とジゼルは顔を上げた。第二の扉の先に保存されているのは、【植物】――。
 ジゼルは、一度だけ崖を見下ろし、深呼吸をすると、ためらうことなく真っ直ぐ歩いて行く。足が地面を離れ、崖の上に着く。奈落の底に落ちると思っていた身体は、そのまま、"まるで崖の上に地面があるように"空中に漂っていた。
 第二の扉に続くこの道にかけられているのは、闇の魔法。そして――ひかりの魔法。
 ジゼルは完全に目くらましに引っかかっていた。多分、自分ひとりきりだったら、この崖を見てすぐに道を間違えたと引き返していただろう。つまり、これはそういう魔法だった。
 しばらく歩き続けると、ふと行き止まりになる。そっと手を伸ばすと、冷たい温度に触れた。あきらかにさっきまでのスライムのような素材でできた壁や地面とは別のものだ。手探りでドアノブを探すと、それらしいものが見つかる。深呼吸をしてから、両手で捻ると、力強く押した。
 扉は案外簡単に開いた。目に刺さるような眩しいひかりがジゼルに降り注ぐ。
 さっきまでの真っ暗だった空間とは一転して、そこはまるで――庭だった。
 青々と茂る草木。色とりどりの花。所々に流れる小さな川はきよらかな透明。
 まるで太陽のような光を生み出しているのは、天井いっぱいに生えている苔と空色の鉱石。この世界に流通している宝石の中でも、極めて貴重とされているアスール・プロトネリア。空とまったく同じ色に光り、色を変える鉱石だ。
 シークレット・ガーデンのようだ、とジゼルは思った。妖精がいてもおかしくないほどの、美しい庭がそこにはあった。きちんと整備されているようで、どこか自然の状態でひとつひとつの植物が存在している。ジゼルの背丈をゆうに越える植物も沢山あって、くねくねと進んでは右に曲がり、歩いては左に曲がる、といったことを繰り返しながら進まざるを得ない。
 しばらく進んでいる内に、ジゼルはもうすでに第三の扉へ続く仕掛けが始まっていることに気付く。ジゼルが立ち止まると、やっと気付いたかとでもいうように宝石烏が近くのバラの枝に止まった。
「そうだヨ。……ここは、第二の作業場。【植物の間】。彼らを一番良いタイミングで標本にするために、オマエの先代はここにガーデンを創った。ガーデン・アーカイブス。またの名を、【迷宮の園】」
 全ての植物を記憶し、位置関係を把握している宝石標本士にしか、第三の扉は見つけることができない。似たような草花が並び、何処へ進んでも同じところを歩いているような気分になってしまう。
「さあ、どうすル? ジゼル・アンバー=カラーレス」
 烏がバラの花をひとつ咥えた。彼の金色のくちばしが、ハサミのように茎をぱちん、と切ってしまう。
 真っ赤なバラが、地面に落ちる。その燃えるような赤を、ジゼルは静かに見つめていた。
秘密の花園
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