宝石烏と共有した宝石の記憶。その内容はあまりに――。
「オマエが見てるのは、【 】の宝石だヨ」
頭の中が酷く痛む。ジゼルは混乱していた。ジゼルのものではない記憶が頭に流れ込み、それは大きな渦を巻いて彼女の身体を占領していた。自分と他の記憶――烏が持つ宝石の歴史と情報との垣根が壊され、自分が一体誰で、今何をしているのかがぼやけていく。頭痛でのたうち回るジゼルを、宝石烏はただ見つめていた。彼の声は、混乱しているジゼルに届かない。途切れ途切れに聞こえる声を、ジゼルは痛む頭のはるかさきで聞いていた。
「肉体を失ったとき、記憶の【 】は産まれル。だかラ、オマエが忘却するためには消失するか、【 】を失うしかナイ――」
激しい痛みの中で、ジゼルは歯を食いしばった。全ては聞き取れない。けれど、彼が自分を騙したと言うことだけは分かった。やはり、この宝石烏はジゼルを殺すつもりだったのだ。そうしなければだって――。
その時、ざああっと一際大きく砂が落ちる音が聞こえた。靴音が、こちらに近づいてくる。ジゼルは宝石烏の薄荷色を睨み続けながら、意識を手放した。
「――約束が違う」
ジゼルによく似た干し草色の髪の毛。そして薄灰色の瞳。彼女の祖父、シャトルデューゲンは、ジゼルを抱きかかえたまま、宝石烏を睨んだ。
「ヤクソク? ……じゃあ、この子のことは殺しちゃっても良かったってコト?」
チガウデショ、と烏が笑う。
「何故第一の扉をくぐり抜けた時点で私に知らせなかった」
「そりゃないヨ。だってこの子を放っておいて知らせに行ったら、死んでたかもしれないデショ」
「……嘘だな。本当のことを言えマハー・アートマン」
シャトルデューゲンが目を細めると、降参したようにマハー・アートマン――マハトマが肩をすくめるような仕草をする。彼お得意のポーズに、シャトルデューゲン氏は更に機嫌を悪くした。
「記憶を消したいっていうからサ。少し懲らしめようと思っタ」
「…………」
「分かったヨ! 今のも嘘じゃないけど、上手く行けば合法で美味い宝石がくえるかなーッテ……この子の魂と記憶をくおうってわけじゃないヨ? もしかして樹液を使ったら――」
「ジゼルはまだ子どもだ。宝石標本を創ることはできない。今まで教えたこともない」
「でも彼女はココまで辿りついタ」
――そのこと、分かってル?
今度はマハトマがシャトルデューゲンを睨む番だった。
宝石烏という存在は竜に近い、とシャトルデューゲンは思っている。頭が良く利口で、合理的で、芸術家だ。彼らに知らない事はない。博識な彼らは何よりも歴史を重んじる。人に流れる歴史を重んじ、記憶を愛している。それは彼らが【記憶を食べなければ生きていけない】ということにもつながっている。彼らにとって必要な物だから重んじるだけではなく、【食べる対象だからこそ尊敬の念をもっている】のだ。宝石烏として長く生きているものほどその傾向に強い。
マハー・アートマンは、カラーレス家が誕生した頃からこの場所で生きている烏だ。
「たしかにオイラの案内がなければ来られなかったカモしれなイ。でも、宝石標本士の鍵をなくして【ここまでたどり着く】ということがいかに難しく"才能が試されるか"――シャトルデューゲンなら分かるダロ?」
例えば、あの闇の空間に足を踏み入れるということが、普通の人間にはできないと言うこと。
例えば、崖のめくらましは、【本当に扉を求める者】でなければ解けないこと。
例えば、迷宮の園を抜け、あの砂浜にたどり着くには豊かな想像力と感性がなければ水が阻むと言うこと。
「……だから見せたのか。お前の知っている【真実】を」
「半分正解で半分ハーズレ。懲らしめることが第一目標だヨ。てっきりここにくるまでで諦めると思ってたからネ。あれくらいしないと現実が飲み込めないと思っタ。でもやりすぎたヨ。……それは謝ル」
――思い知って欲しかった、とマハトマが言った。
「記憶を無くし、母親との記憶を守りタイ、一生忘れたくナイっていうのハ、忘れたいということなのだってことヲ。それは、ハイネからも自分からも、逃げるってことヲ」
他を忘れることで母親との記憶に縋るということは、生きるのをやめるということ。自分という記憶を捨て、忘れ去り、歴史を遠ざけるということ。ジゼルの気持ちとは裏腹に、よりいっそうハイネとの記憶を遠ざけることになると言うことを。知って欲しかった。
彼女の考えが間違っている、とはマハトマにはいえなかった。けれど、本当はジゼルがみんなを忘れて、母親との記憶に縋りたいわけではないと言うことを、マハトマは知っていた。
「ジゼルは悲しいんだヨ」
ジゼルは、たまらなく悲しくて、悲しくて、悲しくて、どうしようもなくて――だから、生きていると信じていたいだけなのだ。母との思い出に縋り、それだけあれば何も要らないと思っていたいだけなのだ。これ以上、失うのが怖いから。
「……ただ、泣きたいんダ。あの子は」
シャトルデューゲンが黙る。腕の中で眠り続けている最愛の孫の目は、涙に濡れていた。
「逃げてもイイ。泣いて、泣いて、死ぬほど悲しんでいいんだヨ。それがその人を愛していた人間の特権なんだカラ。この世界に永遠なんてナイ。過去にも未来にも、ナイ。ただ、今ジゼルが此処に居テ、生きていテ、それだけが永遠なんだヨ」
「オイラはジゼルを傷付けたヨ。本当のことってのはいつだって相手を傷付けル。……でも、それでもオイラはマコトの言葉を使うヨ。自分を偽り、呪いを掛けることハ、相手を呪うことだかラ。ジゼルが自分に掛けた言葉の呪いを、解きたいんダ」
「……解けるだろうか」
できるだろうか、自分に。
この薄灰色の美しい鉱石を、樹脂を使ってコーティングしてしまえた自分に。
「オマエはオマエの呪いを解けヨ。馬鹿じゃねえのカ?」
いつだって、呪いを解くのは、絶対的な他者。ただひたすらに彼女自身を愛している他者の言葉なのだから。
マハトマが微笑む。シャトルデューゲンは立ち上がると、金色の鍵を取り出し、何も無い空間に向かって突き刺すと、右に回す。カチャン、という音を立てて、ひとがひとり通れる分だけの扉が開いた。そのまま、扉の奥へ消えていく。
「……いつ見ても便利だナ、アレ」
ひとり――否、一羽だけ残されたマハトマは、薄灰色の鉱石の前に座り込んだ。
「……なあ、ハイネ。いつか、オマエのように、あの子ともシンユウってやつに……なれるかな……」
寂しげなつぶやきが、第三標本室に響く。
ただただ優しい静けさが、彼を包み込んでいた。
マハトマ
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