建物の中から青年は少女の影を見る。彼と親しくない人間ならばわからないだろう微かな変化を口元に浮かべて、木で出来た棚のなかから、彼女専用の宝石細工のコップを出す。薄荷色をしたそれに、ばらばらなおおきさの氷をみっつ。彼女の好きなはちみつ檸檬のジュースを注ぐ。白と黄色が淡くブレンドしている飲み物は、ゆっくりとしたリズムでコップを満たした。こおりとこおりの隙間をすりぬけるようにして液体が底にたまって、薄荷色のなかに収まっていく。コップの中にはちみつ檸檬が8割ほど溜まった頃。丁度良いタイミングでドアが開いた。ちりりりん、とすずしい音で鈴が鳴る。
「お邪魔します、ボルツ!」
ひだまりのような笑顔。大きく開いた口から、白い形の揃った歯がみえた。おくから三つ目のところに穴が開いているのをみて、目を丸くすると、「これ、抜けたの、この間」と先回りして少女が答える。
いらっしゃい、と青年が笑う。少女は後ろで両手を組んで、くるりと一回転する。彼女の履いている上品な色をした赤い靴が、床で綺麗な円を描く。
「一緒に、あっそびましょ!」
長い沈黙の後、青年が勿論と頷く。少女は青年に抱きついて、ぐりぐり、と顔をおなかに押しつけた。青年はまた長い沈黙の後「……穴が……あく」と彼女の頭を撫でる。開かないわ、と彼女がおかしそうに笑う。ふたりは良い友達だった。
少女は名前をミチ。青年はボルツ、と呼ばれていた。
ほんとうのなまえをもう持っていない青年だったけれど、少女に呼ばれる自分の仮のなまえは、むかしからじぶんのものだったなまえのように大切に思えた。彼は少女が大好きだったし、少女は彼が大好きだった。二人はほんとうに、良い友達だったのだ。
幼い頃より私たちの世界は薄荷色をしている
「お邪魔します、ボルツ」
彼女はむかしと変わらず、自分の家を訪ねてくる。むかしほどのおてんばさはないけれど、変わらない底抜けのあかるさは健在だった。いらっしゃい、とボルツは彼女にむかしとおなじコップを差し出す。
ミチは薄荷色のコップを両手で受け取る。 みぎの指と左の指がそれぞれの指の間におさまる。それをみて、ボルツは少しだけ目を細めた。むかしは。ゆびさきとゆびさきに距離があるくらいだったのに。彼女はもう、そんなにおおきくなったのか。
それにうれしさと、ほんの少しのさみしさをかんじる。まるでいもうとのような存在だった。友達であり、いもうとであり、どこか家族のような存在だった。恋人以外のすべての関係に当てはまる少女だった。
「今日はね、ボルツにおはなしがあってきたの」
ボルツは彼女としっかりと向き合った。言葉を待つように沈黙する。ミチは少しだけ困ったように笑った後、一瞬だけうつむいた。どうしてそんな悲しい顔をするんだ。どうしてそんなに、さみしそうにするのだろう。疑問に思ったけれど、口には出せなかった。今はミチのはなしを聞く番だと理解していた。
「わたしね、ガーディアンになる」
心臓のぶぶんの温度が急激に下がったようなふしぎな感覚がする。どろりとした言いようのない、かなしみとくるしさの混じった感情が自分の心という器を満たしていく。丁度彼女の手に収まる薄荷色のコップに入っている、はちみつ檸檬のような色をしている感情だった。固まりになるにはなだらかで、水とよぶにはとろりとしている。
彼女の決めた事に、反論するようなきもちはボルツにはない。しかしとても、かなしいことはたしかだった。
ガーディアン。亡霊を倒すための、精鋭隊。
彼らが影でどう呼ばれているか。山奥に住んでいるボルツでさえ知っていた。お金のために命を売る、いかれ野郎。
ガーディアンのほとんどが代々ガーディアンとして名を残している名家の魔女か、お金に困っている魔女だ。
ミチはそのどちらでもない。彼女の聡明さがあればルーナバルドで教師をやってもよかったはずだ。研究者だって、なんだってできたはずだ。手先も器用とは言えないけれど、職人だって彼女の好奇心を持ってすれば出来たはず。それなのにどうして、わざわざガーディアンなんだ。ボルツはおもう。どうしてよりにもよって、ガーディアンなんだろう。
ガーディアンになるということは、いつ死ぬか分からないというのと同義だ。ミチはただでさえ、覚醒型無属性の魔女。元々寿命が短いのに。どうしてわざわざ余計に縮めるような。いや、違うと思い出す。だからこそだ。彼女は自分の命が短いことを知っているからこそ、自分が思うままに生きようとしているのだ。自分がしたいことを、叶えるために。
長い長い沈黙の後に、頑張れ、という言葉を発した。
「ごめんね」
ミチが謝る。何に対してのごめんね、なのかボルツには分かっていた。だからこそ、彼女の頭を撫でる。
ごめんね。もう一度ミチが謝る。謝ることじゃない、立派なことだと言う。本心だった。ガーディアンが居なければ、自分たちはこの世界で生きていけない。すばらしいことだ。立派なことだ。それに、ミチが亡霊なんかに消されたり、するはずがないのだ。何も、心配することなんて無い。
「みんながそういうひとだってわかってるのよ。だめだよ、ミチ、やめなさいなんていわないってわかってるの。どんなひとだってわたしのことを最後は頑張れって言ってくれる。それがわかってて、きっとわたし言うんだわ。ごめんね」
「…………でも…………ミチは…………」
そう、したいんだろう。なりたいんだろう。ガーディアンに。
全ての言葉を言わずとも、彼女は頷いた。ボルツを抱きしめる腕は、昔よりも長かった。ぐりぐり、とむかしのようにミチがおなかに頭を埋める。ボルツはまた長い沈黙の後「……穴が……あく」と彼女の頭を撫でる。開かないわ、と彼女がおかしそうに笑う。ふたりは良い友達だった。
「…………覚えて……………………いるか」
むかしのこと。ボルツが言う。ミチは顔を上げた。その瞳は少しだけ涙できらきらひかっていた。ボルツは彼女のめのはしっこについた水滴を、親指の腹でそっと拭う。ふたりいがいの人間が聞いたら、きっとわからないけれど、ふたりだから通じ合えた。覚えてるわ、とミチがふふふ、と唇の端っこから吐息を多く含む笑いを零す。
「あの時のボルツはほんとうに慌ててたわね。ボルツにおこられたのは、あれが最初で、きっと最後だわ」
「……………………あの時は……………………心臓が…………止まるかと………思った」
森の中におおきい滝があるばしょがあって、その滝の下にたくさんの宝石が沈んでいて、長い時間を掛けて大きい粒がみずに流れるほどの小さい粒に削られていく。そうしてその小さい粒が、流れに沿って川の方へゆっくり運ばれていく。 夜に見ると、まるで地上にある星空のようでたまらなくうつくしい。それぞれの宝石がそれぞれのリズムで流れていく。みずによってながされているのだけれど、それは宝石が自分で動くようにも見えて、だからこそうつくしく思えた―――。
時間をかけて興奮を伝えるボルツを、ミチは熱心に見つめていた。この頃の彼女はまだ魔法なんて知らなくて、亡霊のこともあまりよくわかっていなかった。ボルツも自分が魔女であることは、彼女に黙っていた。そんなとてもむかしの物がたりだ。
ボルツのはなしを聞いたミチは、それが見たいとはしゃいだ。ボルツは話してしまってから、自分が彼女に魔女だと言うことを黙っていること。そして彼女はまだちいさい女の子だと言うことを思い返した。ミチが大きくなったら、いつか一緒にみよう、とボルツが言うと、ミチは深く頷いた。いつかね。絶対よ。ミチは小さい手のひらでボルツの指を掴んで笑う。ボルツはああ、いつか。と頷き返す。その時には魔女だと言うことを明かそう、と思った。いつか。いつか、ミチが大きくなったら。
けれどもそのいつか、は揺らぐ。ミチは引っ越すことになり、ボルツはきっともう会えないだろうと思った。彼女に何か渡そうかと思ったけれど、人間で在る彼女に魔女である自分が何かを残すことに抵抗があった。自分の魔法がかかったものを、魔女では無い彼女が持っていてもいいのだろうか。考えているうちにミチは街を去り、それっきり連絡は途絶えてしまった。いつかあの場所に連れて行く。そんな約束は時間の中に埋もれてしまうだろう、とボルツは思っていた。仕方が無いことだ、とも思っていた。
そうしてまた時間は流れ、ある日突然彼女はまたボルツの目の前にやってくる。彼女は、魔女となって自分の目の前に現れた。黒いとんがりぼうしに、懐かしい自分の通っていた魔女学校の制服。雷のような速さで夜の中を飛んできて、インターホンを押した少女。彼女はなにも変わっていなかった。空白の年月などなかったかのように、いつもどおりの笑顔で彼女は「お邪魔します、ボルツ」と彼の名前を呼んだ。
「いつか、の約束を果たしに来たのよ」
そう言った彼女は、「わたしもたくさんかわっちゃったけれど、ボルツも随分変わったのね」とボルツのおもいとは反対のことを言った。ボルツは「………なにも……………変わって…………ない」と答える。ミチは目をどんぐりのように丸くした後、そうね、と笑った。彼女の手に、薄荷色のコップをボルツが渡す。中にはいつもの、はちみつ檸檬。来るわけ無い、とおもいながらも、長年切らすことができない飲み物だった。ミチはまだ自分が使っていたコップがあることに再び驚いて、驚いた後、「ありがとう」とやさしくほほえんだ。
いつかの約束。覚えている、とミチが聞く。忘れるわけは無い、とボルツは答える。
玄関を抜ければ、空は藍色と紫色が混ざり合った色をしていた。
さくさく、と土が切られる音がする。ふたりの足音だった。やっぱりこの日も蝉はうまれていて、わあわあと談笑していた。「蝉って声が大きいと思わない?」「わたしの担任の先生もあれくらい大きい声を出さないと聞こえないのよ」ミチが言う。そんなミチを、ボルツは小さく笑いながら見ていた。端から見たらミチが話しているだけで、ボルツは興味なさそうにしているようにみえるかもしれないけれど、ミチにはボルツが楽しんでいることが分かっていたし、ボルツもまたミチには自分の思いが伝わっていると思っていた。
森に入ると、ボルツはひかり魔法を使って自分とミチの周りに小さいひかりを浮かべた。亡霊がやって来たときに赤く点滅する魔法だ。ミチは人差し指でつんつん、とひかりをつつきながら「はじめてみたわ、この魔法」と目を輝かせる。学校で習う魔法だけれど、習うのは中等部になって魔法防御術の授業がはじまってからだ。いずれ習う、とボルツが言えば今度教えてね、とミチが言う。相変わらず気になったことにはとことんのめり込む子だ、とボルツは思いながらゆっくり頷く。
森を少しずつ進む。亡霊は今日は少なく、どの亡霊もあまり人間に興味がなさそうだった。もともとこの森に住む亡霊は温和な物が多い。もっとも亡霊に感情や性格があるのかは分からないけれど、あまり人に対して執着が無いのかも知れない、とボルツは考えていた。
滝まで後少し。その時、自分の周りのひかりが減っていることに気付く。ミチと自分のぶんと考えて七つひかりをうかべたはずなのに、ボルツの周りには三つしかひかりがなかった。残りの四つは、と考えたとき、自分の周りにミチの姿が無いことに気付く。
さっきまでいたのに。ボルツはあわてて周りを見る。耳を澄ませて、足音を探す。みつけるのはむずかしくなかった。少し先を、草をかき分けて走る音が聞こえる。
悩むこと無く足を動かして、音の方向へ走る。滝のある方角と完全に一致していた。
ばしゃん、とみずの音がした瞬間、滝のところへたどり着く。滝壺の少し前に、彼女は立っていた。薄い氷が、彼女の足下だけ張っていて、彼女と向き合う形で薄いピンク色と目が痛くなるような水色を纏ったくらげのような物が漂っていた。触手のように伸びた半透明の管の先に、星のかたちをした宝石が光っている。あぶない、と言葉にしようとしたけれど、ミチが小さく笑ったのを見て口を閉ざす。ミチは小さく微笑んで、何事かをくらげに語りかけるように唇を動かしていた。まさか。亡霊と話しているのか。ボルツは考えて、首を振る。そんなことができる魔女も人間も、出会った事なんて無い。
小さく何事か話した後、ミチが亡霊に手を伸ばす。ふれるつもりなのかと目を剥いて、ミチのなまえをよぶ。自分でも驚くほど大きい声が出た。ミチが振り向くのと、くらげが消えるのは同時だった。管の数だけ宝石が落ちて、透き通った水の中に落ちていく。ちゃぽん、ぼとん、じゃぼん。
「場所を教えてくれたの。滝の一部になりたかったみたい」
「……言…………葉、……………が」
「ううん、わからない、……とおもう。わからないとおもうんだけど……気持ちはわかる気がするの」
だって襲ってくること無く、ただわたしが近寄るのを待って前を泳いでたのよ。ボルツのひかりも赤色にひからなかったから、敵意がないんだなあっておもったの。ミチが答える。ボルツはミチの手を引っ張った。引っ張った、といってもそう呼ぶにはやさしすぎる力だった。けれどもミチの魔法は解けて、ふたりは水の中へ落ちる。
静かな沈み方だった。本の一瞬だった。地面の宝石が月のひかりを吸い込んで一斉にひかっていた。星空の中におっこちたようだった。宝石が流れていって、ミチのつまさきに当たった。顔の横を、赤い宝石が飛んでいく。
すぐにみずの魔法によって陸に上がった。みずの魔法が終わったかと思ったら、すぐにほのおの魔法によって服が乾く。ボルツのまほうはなめらかだった。あっという間に元の通りになった。ボルツは無言でミチを見ていた。ミチは立ち上がって、ボルツに抱きついた。ごめんなさい、と首を振る。
「心配かけた。ごめんねボルツ。ごめんなさい。勝手なことは、もうしないわ」
ボルツは黙っていた。黙ってしばらくミチの頭を撫でていた。それが「もういいんだ」という合図だと言うことはよくわかっていた。
「……………宝……石…」
ボルツがいうと、ミチは顔を上げる。彼が指さす方を、ミチは見る。宝石がゆらゆらと流れている。さっき頬を掠めた赤い宝石が、ずうっと先を泳いでいた。
「約束」
かなったね。とミチがボルツの手を握る。ボルツはゆっくりとミチの手を握り替えした。
「"地上にある星空のようでたまらなくうつくしい。それぞれの宝石がそれぞれのリズムで流れていく"」
みずによってながされているのだけれど、それは宝石が自分で動くようにも見えて、だからこそうつくしく思えた。
ミチがむかし口にしたボルツの言葉をなぞる。ボルツは驚いて、自分の隣にいる少女を見た。覚えているのか。問いかける前に「覚えてるわ」とミチがふふふ、と笑いを零す。
「きれい」
きれいだな、と沈黙の後、答えた。静かな夜だった。
「"地上にある星空のようでたまらなくうつくしい。それぞれの宝石がそれぞれのリズムで流れていく"」
みずによってながされているのだけれど、それは宝石が自分で動くようにも見えて、だからこそうつくしく思えた。
あの時と同じ言葉を、ミチがなぞる。薄荷色のコップのなかで、こおりが涼しげな音を立てた。まだおぼえているのか、とボルツが驚く。やはりミチは、覚えているわとあの時と同じように笑う。
「またあの場所に行きたいな」
「……………………行ける」
行こう。ボルツが言えば、そうね、とミチが笑った。彼女が薄荷色のコップを、テーブルの上に置く。腰に、コップと同じ色をした杖が、ひかっていた。杖はするりと彼女の腰から抜けて、空中に浮かび、ゆっくりと解けていく。鳥の形になった杖は、ぱたぱたとボルツとミチの周りを旋回して、ミチの肩に止まった。生きる宝石。宝石を食べて生きている、宝石。何度見ても、見慣れない。
『おいしい宝石はあるか』
「食べさせないわ。あそこはボルツの特別な場所なの」
『ツマンネ』
首を振って、また腰のポケットに戻っていく鳥を目でたどりながら、これからも何も変わらないといいのに、と思った。なにもかわらず、ずっとこのまま。このままのじかんが続けばいいのに。
「変わらないわ」
目の前の少女は笑った。
やっぱり空は、はてしなく青い色をしている。
幼い頃より私たちの世界は薄荷色をしている
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