――この世界には、人間と魔女、そして亡霊とよばれるものが生きている。
 むかしみっつのものはひとつであったといわれる。みんなみんな「人間」であったけれど、ある日、人間の中でふしぎな力を使うことが出来るものが生まれた。人はそのふしぎな力を「魔法」と呼び、魔法を使うことが出来る人間を「魔女」として自分たちと同じ生き物では無いとし、恐れ、憎み、軽蔑した。
 人間は、魔女を迫害した。
 彼らの日中の外出を禁じ、教育を封じ、夜の中に閉じ込めた。黒いとんがり帽子に、黒いマントを着ることを義務付けて、自分たちと区別した。あらゆる尊厳を奪い、理不尽に彼らを卑しく呪われた絶対悪として殺そうとした。
 人間は魔法を恐れていた。しかし魔女の魔法が人間を傷つけることは無かった。魔女の魔法は、生き物を傷つけることが出来ない魔法だった。  魔女の魔法が人を傷つけることが無いという事を知ると、彼らを絶対悪だと考える人間は減った。迫害はしだいに収まっていった。しかし完全に止むことは無かった。魔女は以前、夜のなかに閉じ込められていた。
 人間と同じ見た目。同じからだつきをしているのに、彼らはふしぎな力をつかうことができる。そして、彼らはふしぎな瞳を持っていた。人間の見ることが出来ない「宝石」といううつくしい石を、彼らの瞳はとらえることができた。うつくしいものをみつける、うつくしい特別な瞳を持つ魔女を人間は妬んだ。彼らの類い希なるうつくしいちからを、恨んだ。
 人間は魔女が自分たちより秀でていることを認めたくなかった。自分たちがこの世界に生きるすべての生き物より尊いと思いたかった。迫害は尚も続いた。たくさんの魔女が迫害によって命を落とした。

 そんな戦いの日々が続く中、魔女と人間は夜に現れる魔物に出会うことになる。

 魔物は半透明のからだをしていた。その姿は様々だった。人間をかたどったもの。動物の形をしたもの。なににもたとえることのできない、異形をしたもの――昼間は目で見ることが出来ず、害の無い彼らは黄昏時から夜明けまで世界に現れた。街の中。森林。川。湖。けれども、ただひとつ。人間の住む家には入ってこなかった。人々は大きい庭をつくって、その中に家を作った。化け物は庭にも入ってくることが無かった。
 黄昏時から現れる実体を持つ化け物に触れられると、人間は「なにか」を失った。魔女も魔女でないものも関係なく全員、なにかを失った。人間以外の生き物は、化け物に触れてもなにもおこらない。けれども人間と化け物がふれあうと、人間はもとのままでいられなくなるのだった。
 失うものは様々だった。手、足、頭、瞳、声、性格、心、記憶――そしていのち。消失した部分から、人はどんどん人でなくなっていった。化け物を、人は亡霊と呼んだ。形が捉えられない、さまよえるもの。
 魔女も人間も、彼らを恐れた。
 けれどもある日、魔女が亡霊にとっさに放った魔法が、亡霊を包み込み、亡霊の代わりに宝石を生む。たくさんの宝石は、魔女が見つける宝石よりも質が良く、数も多かった。また、亡霊からしか見つけられない宝石もたくさん生まれた。
 魔女と人間は知る。自分たちの魔法が、亡霊に効くと言うことを。
 人間は知る。魔女の使い道を。
 魔女は知る。人に対抗するための、魔女の武器を。
 ――クラウン・ルーナバルドという一人の「魔女」が立ち上がったのは、その時だった。
 彼は魔法についての正しい知識を広め、友人の人間と協力し、魔女について、魔法について、そして亡霊についての文面を世界に公開した。彼によって世界の価値観は変化し、迫害は急速に減っていった。
 やがて「人間も、また魔女たちも自分の力を知ることは義務である」と問いかけた彼は、クラウンルーナバルド・アカデミアという魔女のための学校を作る。
 彼によってクラウンルーナバルド・アカデミアが建てられてからは、魔女を殺戮したり組み伏せようとする人間はほとんど居なくなった。正しい魔女に対する知識を身につけた人間は、魔女に自由という名前の尊厳を返す。昼間の外出を許し、教育を受けることを良しとした。魔女の子ども――「まじょ」は六歳から十二歳の子どもが通う学舎に通うことを許された。魔法のことを正しく理解し、教養を身につけた魔女は、より高度な魔法を身につけ、その使い道も格段に増え向上した。
 世界は魔女を受け入れる。生活の中に魔法が根付いた今、魔法の無い生活は人間にとっても、魔女にとっても、考えられないものとなっている。
 しかし、日中の外出を許されたものの今も尚魔女差別は消えていない。日中は魔女であることを隠して出歩く魔女がほとんどであり、魔女の活動時間は通常夜であるという考え方が根強い。また、魔女の夜間のとんがり帽子、マント着用の決まりは今も続いている。
 子どもの魔女「まじょ」いじめも深刻化をたどる一方だ。人の価値観はそう簡単には揺らがない。未だに魔女を生かしておいてはならないという考えを持っている人間は居る。魔女達の夜は――


「――『魔女達の夜は、まだ明けていない』」
 キル=キルリエイズは思わず呟く。ページとページの間に指を軽く挟んで、読んだ場所を忘れないようにしつつ、背表紙を見た。著者、リデル・アルカディア。魔女嫌いで有名な学者だが、やはり彼の文章を読んでいると彼は魔女が好きなのでは無いか、とキルは思う。
 時計を見れば、もうすぐで昼休みが終わる時刻だった。本に挟んでいる指を引き抜く代わりに、胸ポケットに入れていた薄荷色のしおりを挟む。続きは家で見よう、と分厚い本を脇に抱えて、座っていた椅子の背もたれを、テーブルにくっつけて整える。
 カウンターに向かおうとしたその時に、肩に衝撃を感じて少しだけからだがふらついた。キルよりもからだが少しだけ大きい生徒。自分よりも上級生の生徒だろう、とキルは思った。キルにぶつかってきた彼はそのままキルに気付くこと無く走って行く。キルにぶつかった彼を追うように、同じくらいの背格好をした男子が、またキルの前を走り抜けていく。此処は図書室だ。キルの赤い瞳が細くなる。静かに嫌悪をあらわにした表情に、彼らは気付かない。キルは口を開きかけて、閉じた。
 『魔女の夜は明けていない』
 リデル・アルカディアの言葉を思い返す。自分が今此処で何かを言ったところで、事態が沈静化するとは思えなかった。自分は彼らより下級生であり、魔女だ。
 はやく教室に帰ろうと、貸し出しカードに記入をして図書室の外へ向かおうとする。
「今からこれ投げるぞー! ちゃんとキャッチしろよな!」
 キルの耳が、信じられない言葉を拾った。からから、と笑う声。キルは彼らを無視して外に向かおうとした足を止めた。さっきキルにぶつかった生徒が、手に持っている本を高らかに上げて、左右に僅かに振る。後ろに肘を引いたのを見た瞬間、からだが動いていた。投げられた本を、彼らよりも少しだけ短い手で受け止める。キルは、驚いている上級生を見上げた。その瞳は、つめたく、そしてほのおのようにゆらゆらと燃えていた。
「本は投げるものじゃないって、お母さんに習わなかった?図書館では、静かにしなよ。迷惑」
「……な、」
「どたどた走り回って、大声で話して、本を投げようとする。下級生でもそんなことしないよ」
 はは、と乾いた笑いがキルの口から漏れると、本を投げようとした生徒はみるみる顔を真っ赤にした。羞恥をあらわにした彼を、キルは無表情で見つめていた。
「年上には敬語を使えよ下級生……!」
「一般的なマナー守ってから言えよ、上級生」
 僕はあんたのこと、僕よりも年上だなんて思いたくないし、思えないよ。
 そう言ったキルの胸倉を上級生が掴む。どこからか、きゃあ、という悲鳴が聞こえた。図書館がどんどん騒がしくなる。キルはうんざりした。やっぱりあのまま外に出れば良かった。抱えた本が、自分と上級生の間に挟まれていることも、キルの機嫌を悪くさせた。表紙に折れ目でもついたら、とキルは心配になった。チャイムはまだだろうか。チャイムがなったら、図書館の先生が着てくれるはずだ。そうすれば、このマナー知らずの上級生も少しはおとなしくなってくれることだろうに。
 けれどもキルが考えを巡らせている間にも、上級生は怒っていた。胸倉を掴む手がキルをさらに上に持ち上げようとすると、流石のキルも苦しさから眉をよせることとなった。キルが何度目か分からない強い視線を上級生に向けると、上級生は少しだけ目を大きく膨らませた後、もしかして、と呟いた。もえるような赤い髪に、同じ色をした強い色の目。彼の唇がキルの特徴を口にする。
「おまえもしかして三年のキル=キルリエイズか?まじょの?」
 キルはとうとう舌打ちをしたい気持ちになった。自分がキル=キルリエイズだからってなんだというのだ。キルのことを何も知らない人間に、名前を呼ばれるのは不愉快だった。まじょ、のことを何も知らない人間に、簡単にまじょだと口にされるのは不愉快だった。上級生の瞳に、明らかにばかにするような色が生まれる。それもまた、不愉快だった。魔法のひとつだって、見たことが無いくせに、とキルは思った。
「……そうだって言ったら?まじょが言った言葉なんか聞けないって?まじょでさえ守れるマナーを守らないんだ?」
「お、おまえ――!」
 まじょのくせに、と彼が口にしようとしたので、キルは彼の服の裾をもやしてやろうかと考えた。けれどもそう考えたときと同時くらいのタイミングで、「何してるの!」という鋭い声が上級生とキルの動きをストップさせた。まるで雷に打たれたように、からだが震えるような声だった。視線をぎこちない動きで声の方向へ向けると、そこには厳しい顔をした先生の姿があった。図書館の先生でも、キルの担任の先生でもなかった。立っていたのは、上級学年の先生だった。何処のクラスを担当しているのかは分からなかったけれど、胸倉を掴んだ手が、まるで最初から胸倉など掴んでいなかったかのようにせなかのほうにしまわれたところをみると、目の前の上級生のクラス担任であるようだった。
「何してるの。ギルティアくん。図書館で大騒ぎをして、下級生に掴みかかるなんて何事ですか」
「ちがいます先生、これは――」
「話なら職員室で聞きます。今すぐ職員室に来なさい」
 ぴしゃりと言うと、ギルティアと呼ばれた上級生は真っ青な顔をして先生に引き摺られていく。あっという間の出来事に、キルはただその場に棒立ちになっているしかなかった。どうしていきなり。しかも上級生の担任の先生が、この場所に。浮かぶ疑問を、腕に抱えた本をもとの本棚に戻すことで押し込んだ。チャイムが狙ったようなタイミングで鳴る。まわりにはもう生徒は一人も居なかった。

 教室に帰ると、机の上に見たことのある本が置いてあった。キルがかりようとおもっていたリデル・アルカディアの本だった。そういえば上級生の投げた本を取るときに、とっさに机の上においたままにしていた。図書室に置いてきたと思ったのに。一体誰が届けてくれたのだろう。
 何の気なしに隣に視線を送る。隣にはいつも通りミチ=クラウディアが座っていた。彼女は本を読んでいた。キルの無遠慮な視線には全く気付いていないようだった。キルはそっと彼女の読む本へ視線を落とした。題名が本のページの左上にしるされている。『突撃、宝石かたつむりの生態!〜雨のち晴れ〜』心の中で読み上げたとたん、ばかばかしくなってためいきをついた。黒い瞳がちらりと此方を向いて、「あなたも宝石かたつむり、興味があるの?」とミチがいう。あるわけないだろ、と心の中で呟いて、『宝石かたつむり』を知らないことを少しだけ悔しく思う。キルは、ミチの問いかけに答えないまま顔を逸らした。ミチはキルの様子に気分を害すること無く、相変わらずのお気楽な笑顔でキルを見ていた。変なやつだ、とキルは思う。こういうやつがいちばん、すきじゃない。心の中で呟くと、窓辺の花瓶がまた目に入った。窓のそばにおかれた花瓶のみずは、窓の硝子も
通り越して、青空をうつすほどに透き通っている。誰かがみずを変えたのだろうか。水面に浮かんでいたあの葉っぱは、いつのまにか姿を消していた。
 机の中にリデル・アルカディアの本を入れて、そのかわりに次の授業で使う教科書とノートを出す。筆箱からえんぴつと消しゴムを出すと、担任の先生が教室に入ってきた。授業をはじめます、と言った瞬間、教卓にぶつかって膝を押さえている頼りない大人を、キルは呆れた目で見つめていた。
すくったみずがきれいなだけ
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