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「ーそれじゃあ次に、これ」
「はい、覚えました」
「右から一つずつ」
「357864010290ー」

私の瞬間記憶という副作用は、思いの外エンジニアの方達や研究者が興味を抱くようなものらしく、定期的にこういう検査をされる。
紙を一枚見せられ、それを一瞬だけ見たあとに、紙を伏せられたままそこに書かれていた数字を一つずつ言っていく、ただただ単純な作業だ。

「うん、今回もありがとう」
「いいえ、参考になれば良かったです」

研究者の方に頭を下げて椅子から立ち上がり、私は研究室を出る。
瞬間記憶という副作用が、それほどまでに重宝されるとは思っていなかった。昔から当たり前のように備わっていたものだからか、そんなに調べたい?と内心は思っている。

「真琴さん、おつかれ」
「あれ、ユズルじゃん、どしたの?」

研究室から出たら、そこにいたのはユズル。彼は私を一瞥すると片手を上げて、そう言った。

「今から狙撃手の合同訓練」
「そーなんだ、じゃあ途中まで一緒だね」
「だから、待ってた」

あら可愛い。珍しい日もあるものだ。思わずにやける笑顔に、ユズルは煩わしそうに眉を寄せたあと一つため息をついて歩き始めた。
私もそれを追いかけるように、彼の斜め後ろを歩く。

「今日も同じ感じ?」
「うん、いつもと同じ検査だったよ」
「そう」

私が所属してる隊の人たちは、優しい子が多い。ちーちゃんしかり、ヒカリにユズル、それに隊長のカゲでさえ、私がこうやって研究員の人達に色々検査されることを心配してくれる。

なにも痛いことをされるわけではないから気にしていないのだけど、当の本人より周りの人間が嫌な顔をするのだ。

「あまり無理しないで、これチョコ」
「ありがと、気にしなくていいのに」
「どうせ食べるつもりだったんでしょ」

板チョコ一枚。ユズルは私にそれを渡すと、それじゃあと言って合同訓練の方へと向かっていった。その後ろ姿を見届けて、私はチョコの包装を破った。

瞬間記憶は無意識に使われている。頭を働きすぎるからかはわからないが、基本的に空腹状態がデフォルトだ。
だけどまれに、意識して使わないといけない時がある。さっきのような検査やエンジニアの皆さんの仕事を手伝う時などは、糖分を補給しないと死んでしまう。感覚的に。

一口頬張ってみれば、私好みの甘いチョコが口に広がった。

「真琴」

不意に声をかけられた。その声を聞いて、思わず身体が強張る。
後ろを向けば、そこにいたのは私の師匠である忍田さん。彼は書類を手に持ち、こちらを見ていた。

「…忍田さん、お疲れ様です」
「あぁ。検査だったのか?」

私が歩いてみた場所をちらりと見たあと、忍田さんは私の所へあゆみよってくる。私はそれをじっ、と見つめ、すこし息を吐いてから肩の力を抜いた。

「…まぁ。持ちますか?」
「ん?あぁ、大丈夫だ。それより糖分補給はきちんとするように」
「はい」

約4年前。彼に弟子入りをしたあの時から、この人は私の態度なんてガン無視でぐいぐいと近づいてくる。
それが格別嫌なわけではないけれど、それでもこの人を恨んでいる私に、他の人と変わらない態度を示す忍田さんは、心が広いのだなと思う。

「昔から、お前は真面目だからな。検査も、無理していかなくていいんだ。自分のペースで行きなさい」
「…はい、わかってます」

それじゃあ、といって本部室へと入っていく忍田さんに小さく頭を下げる。彼の後ろ姿を見る。昔から変わらないその姿が、憎いほどに自分の記憶と重なっていた。

『間に合わなくて、すまなかった』

そう謝った彼の姿が今でもくっきりと記憶にこびりついている。
目の前に現れた長いローブをなびかせた後ろ姿が、今も私を離さない。

この人を恨むことしかできない弱いままの自分が、彼を恨め、憎めと呼びかけてくるのだ。
何回だってそれを振り切ろうとした。もういいんだと思おうとした。

それでも、弟と両親の最後の姿が、私をそうさせてくれない。

私は小さく頭を横に振ったあと、もう一度歩き始めた。
何もなかった。そう思うことしか、今の自分をなだめることができないからだ。



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