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ローブを着てフードを被ったタイリーが扉を開いた。
彼の手の中には縮小呪文をかけられた小さなトランクがあって(なるほどそうすればいいのか)、そのまま私の近くに歩み寄ると強く私を抱きしめた。背中に回る腕に一瞬で安心して、私も同じように彼の背中に腕を回す。

「...逃げよう、ヒヨリ」

タイリーは耳元で小さくそう言った。まさか本当に逃げ出す事になるなんて。それでも、言葉通り無理やり結婚を虐げられて、学校も中退させられるぐらいなら家から逃げたいに決まってる。

私はタイリーの胸の中で何度も頷いた。タイリーの掌がゆっくりと私の頭を撫でつける。

「...少しは落ち着いたか?」
「...うん」

さっきまであんなにばくばくとしていた心臓の音はどこへ行ったのか、タイリーに抱きしめられながら、気づけばいつも通り動いていた。彼に手を離してもらい、お互いの顔を見つめ合う。タイリー顔は真っ青だった。今から逃げ出すのだから当たり前か。

「行こう」

杖を握ってトランクを小さくする。小さくなったそれをポケットに入れて、ローブのフードを深々と被り直して、私とタイリーは部屋の窓から身を出した。バレないように最小限の足音で、タイリーに手を引かれながら走った。どうやってイギリスにいけばいいのか。姿くらましは長距離だと難しい。付き添いくらましをしあうというのも手かもしれないけれど...。

ひとまず家の門からでて、どうするか頭をめぐらしている時、月の光でみえた大きな影が私達二人を覆った。慌てて上を見上げる。そこにいたのは、魔法処に通ってる時に沢山お世話になった私達のウミツバメ二羽だ。

ばさりと大きく羽を鳴らした後に、私たちの前に降り立った二羽はじっとその丸い瞳を向けてきた。
お祖母様に差し向けられたのだろうか。私の手を強く握ったタイリーが、もう片方の手に杖を握り、その先をウミツバメ達に向けた。

ウミツバメは、ゆっくりと頭を下げて鳴き声をあげた。それがあまりにも悲しそうな声音で、きっと差し向けられたわけではないのだろうと思った。

「タイリー」

彼の手を引っ張り首を横に振る。違う。彼らはきっと、私たちの最後の姿を見にきたんだと。頭を下げている利口なこの子達の頭を撫でる。そう言えば、名前をつけたことも無かった。

「...乗せてくれる?イギリスまで」

大きい翼をばさりと広げる音が響く。早くこの場を去らなければ。今から飛んでイギリスにどれぐらいで着くのかはわからないけれど。20分もあれば、あの辺鄙な場所にあった学校に着いていたのだ。イギリスの時間で夜が更けないぐらいには着けるだろう。

タイリーが跨ったウミツバメに、タイリーの腰に腕を回す形で同じようににまたがる。人を乗せていない残りのウミツバメは、先導するように前を飛んだ。月が近い。特殊な魔法生物のとって、家に飼われる事が安全なのに。こんな事に巻き込んでしまって、この子達には本当に申し訳無かった。









「...ヒヨリ、もうそろそろ着く」

いつの間にか寝ていたらしい。タイリーの背中に預けていた顔を離して、彼の体の後ろから前を覗き込む。眼下に広がるイギリスの街並みの中に、キングスクロス駅が見えた。マグルにバレないように、キングスクロス駅のある建物の屋根で降ろしてもらった。

「ありがとう...」

羽を折り畳めて、ゆっくりと頭を下げる彼らに伝わるかはわからないけど声をかけた。

「名前もつけてあげなくて、ごめんね。...これからは自由に過ごしなさい」

陸奥村家からも出て、日本からも出て、あとは自由に。
これってもしかして外来種違法放棄になるのだろうか?それでも、彼等は男の子同士だし、子供は産まれないだろう。小さく甲高い声を上げた彼等が空を飛び立つ。消えていく二羽の姿を見届けて、私とタイリーも同じように姿をくらました。





ゆっくりと目を開く。着いた場所は耳には何度かした事のある魔法使い専用のパブ、漏れ鍋。日本人にはあまり馴染みがないけれど、フレッド達がよく言ってたし、もう未成年でもないから入っても大丈夫だろう。

ドアを開けば、腰を大きく曲げた店主が出迎えてくれた。

「これはこれは...珍しいお客様ですね、いらっしゃいませ...」

しゃがれた声でそう言った店主さんは、私とタイリーをお店の中に入れた。まだまだ夜はこれからだという事だろうか、人も多い。メニューを受け取って、カウンターの中に消えて言った彼を見届けて、私とタイリーは人目から離れるように席の端っこに座った。

ホグズミードで沢山アクセサリーを売ったおかげで、お金はたんまりとある。売って良かった。この時のために売ったと言っても過言ではないだろう。

「excuse me, sir」

店主さんの名前を知らないのでタイリーがそう聞けば、彼は笑顔を見せながら「トムと言います」と言った。タイリーはトムさんに、ホットコーヒーを2つ頼み、メニューを机の端に置く。

さて、とりあえずイギリスに着いたはいいけれど。
このあと一体どうしたらいいのか。学校が始まるまであと1週間程か。その間ずっと、漏れ鍋にいるのもアリだけれど、逃げ切れるかどうか。

もうそろそろ日本は朝を迎える。朝がくれば、私とタイリーがいない事なんてすぐにバレて、使用人が探しに来るだろう。そうなれば、イギリスの魔法使いの溜まり場でもあるここなんてすぐにバレる。



逃げ続けないといけない。震える手をどうやったら抑える事ができるだろう。
トムさんが持ってきてくれたコーヒーを受け取って温めても、治りそうに無かった。




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