「ヒヨリ、大丈夫よ...」
「タイリーはすぐに目をさますわ」

アンジーとアリシアの声が聞こえる。
近くにはお嬢様もいるのだろう。

「オジョーごめんよ...俺たちがしっかりとあの時ブラッジャーを...」
「ううん...フレッド達のせいなんかじゃないよ」

ヒヨリ様の声はとても悲しそうな声だ。早く、早く彼女に、何かを言わないと。俺はできるだけ目に力を入れて、ゆっくりと目を開ける。

「...あ、タイリー!!タイリーが目を覚ましたぞ!!」

俺の顔を覗き込んでいたリーが声を上げる。その声につられるように、バタバタと席を立ち上がり俺のそばに近寄る音。

「タイリー...!!」

フレッドかジョージかはわからないが、どっちかに慰められるように背中をさすってもらっていたお嬢様が立ち上がる。
そして、ベッドに寝転がっている俺に近づいたヒヨリ様の顔が、近くに見えた。

「お嬢様...」

ゆっくりと上半身を起こす。背中に手を添えて手助けをしてくれたリーにお礼を言って、もう一度顔を上げた。

「タイリー、悪かった。まさかブラッジャーが暴れ出すとは思わなかったんだ」
「いや、大丈夫だ」

もともと少し垂れめな目を、さらに垂らせてそう言う二人に首を振る。誰も悪くないのだから、二人が謝る必要はどこにもない。

「タイリー...痛い?大丈夫?」
「大丈夫です。お嬢様こそ、お怪我はありませんか...?」

涙を少し浮かべながら、俺の胸元をつかんで顔を見上げるお嬢様。あまりに近い彼女の顔に、俺は視線を少しそらす。

「私は大丈夫。タイリーが、守ってくれたから」

お嬢様はそう言うと、俺の胸元にあった手を離し、その手を俺の背中に回した。

抱きしめられている。お嬢様は俺の胸に顔を押し付けた。少し冷たいものが俺の胸を濡らす。

手を、彼女の背中に回すべきか否か。迷った末に、俺の手は空を切り、そっとお嬢様の頭の上に乗せられた。できる限り優しく。そっと撫でる。

抱きしめる勇気もない俺を、フレッド、ジョージ、リーは少し笑いながら見ていて。アンジーとアリシアに至っては、ニヤニヤと、面白いものでも見るかのように、俺たち二人を見ていた。




骨を生やす必要のあるハリーと違って、俺は背中を打ち付けただけ。夜には退院できるとマダムに言われて、お嬢様は赤くなった目をこすりながら「夜に迎えに来るね」と一言言って、アンジーたちに連れられていく形で医務室を去って行った。

閉じられる扉を見つめて、俺はもう一度、ベッドに潜るか考える。すると、隣のベッドで寝ていたハリーが俺の名前を呼んだ。

「なんだい?ハリー」
「さっきは、ありがとう。庇ってくれて」

包帯を巻かれた腕を支えながら、上半身を起こすハリー。誰もいない医務室はとても静かで。俺とハリーの声だけが響き渡っていた。

「かまわないさ。結局、君の腕を守ることはできなかったわけだし」
「ううん。ヒヨリがあんなに庇ってくれて嬉しかったよ。君が倒れた時のヒヨリの剣幕振り、すごかったんだ」

ハリーはずれたメガネを直しながら、俺の方に体を向けて口を開く。

「剣幕って?」
「あの後、タイリーにもロックハートは呪文を唱えようとして。そしたら、ヒヨリがロックハートのことをにらみながら『タイリーにまで変な呪文唱えるなら、糞爆弾投げつけてやる』って」
「糞爆弾か...」
「うん。少し面白かったよ」

そのシーンを想像して、失礼を承知の上で俺も思わず笑みがこぼれた。

「...ねぇ、タイリー」

ハリーは俺の目を見つめながら、何度か口を開いたり閉じたりと繰り返して、そして意を決したように口を引き締めてから、言った。

「君と、ヒヨリは...その、本当に付き合ってはいないの...?」

伺うように、特別ハリーは悪いことなどしていないのに、
申し訳なさそうにそう聞いてくるハリーに、俺は思わず笑みを浮かべる。

「もちろんだ、ハリー」

俺とお嬢様が恋人関係など、あってはならないことだ。

「...本当に...?」

なおもそう聞くハリーに、俺は首をかしげる。
なぜそうも気になるのか。俺は不思議に思いハリーに聞いた。

「何かあったかい?」
「だって...君はヒヨリを、ヒヨリはタイリーを、とても想い合ってるじゃないか」

ハリーの綺麗な緑の瞳が、俺の目を貫く。
純粋にそう聞いてくるハリーに、何と答えればいいものか、俺は悩んだ。正直なことを言えばいいのかもしれないけれど、それを許された立場にはいないから。

「...俺は、小さい頃に両親を殺されたんだ。親戚もいなかった。一人身の自分を、陸奥村家の当主の方に拾って頂いた」

突然過去を話し出す俺を不思議そうに見るハリー。ハリーから目を離して、俺は前を向く。そこには何もないし誰もいないけれど、でも俺には、小さい頃に出会った昔のヒヨリ様が見えた。小さい手を背中に回して、共に泣いてくれたお嬢様。

「...その時に、ヒヨリ様に出会ったんだ。親を亡くした俺を、泣きながら抱きしめてくれた。...幼かった俺にはそれだけで、この人に一生を捧げようと思えた出来事だったんだよ」

今だって思い出すあの出来事を。抱きしめてくれたあの温もりも、小さな手のひらも、すべてを背負いこむ背中も。
すべて俺が守っていこうと、思った。

「...ハリー、君はどんな幼少期を過ごしたんだい?」

自分の話は楽しいものではない。同じように、親を殺されたハリーにもきっと辛い話だと思った。

話を変えようとそう聞けば、ハリーは少し困った顔をして俯いた。そして、ゆっくりと顔を上げると、寂しそうな声で言ったのだ。

「...僕はあまり...引き取ってくれた親戚の人がいたけど、物置部屋に入れられたり、ご飯もあまりものだったり...」
「それは...」

生き残った男の子。伝説に残るようなハリーの幼少期は決してきらびやかなものではなかった。不遇な扱いをされていたハリーの過去を、決して同情するわけではないけれど。

「ハリー...」

俺はそっと腕を伸ばして、隣のベッドに座っているハリーの頭を撫でる。そんなもので何かの慰めになるわけではないだろうけれど。

「ここに通って、全部変わったんだ。去年、ヒヨリやタイリーに言われた言葉が、今もね、僕の頭に残ってるよ」

ただ一人のハリー・ポッターとしてみてくれる人がいる。

お嬢様の言った言葉はきちんと、ハリーの頭に残ってくれていたようだった。

もう一度、ハリーの頭をそっと撫でる。俺はもう一度笑顔を浮かべて。

「君に出会えてよかったと思ってるよ、ハリー」

そういえば、ハリーは屈託のない笑顔を浮かべて、何度も首を縦に振ってくれたのだ。



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