幸せになりたいだけなんだよ

四年生になって気づいた事は、スリザリン生の団結力がえげつない、という事だった。
大広間で固まって何かをやっていたり、魔法の練習をしていたり。その魔法が攻撃的な魔法だったりするから結構危ない。グリフィンドールとスリザリンの確執も広がって、学校内は結構ピリピリしていた。

去年からのレギュとの誰にもバレないようにしていた逢瀬も続いているけど、いつどこでバレるかはわからないから慎重になっている。

あまり長居はしないように、とお互いに思っているからか、10分だけ話したらすぐに寮に帰るようにしていた。だから、あまりレギュとは会えなくなった。話す内容も10分じゃ伝わらないし。

ちょっとだけ、寂しいと思っていた。

まぁ仕方ないのだけど。

さて、今はどうしようかなと私は一人廊下を歩いていた。同室の友達は全員なぜか彼氏と共にどこかへ行ったし(多分彼氏の部屋)、私だけ一人でいるのも変な感じがする。折角の休みだ。試験もない課題もない何もない休日をどう過ごすか、頭を捻って考えていた。

その時、黒猫が私の足元にやってきた。この学校は確かに多くの動物を有してはいるけど、こんなに綺麗な黒猫は、自分の養母の姿しか思い出せない。

「ミネルバ……?」

そう声をかければ、猫は一つ声を出すと、緩やかに尻尾を巻いて私の前を歩き始めた。こっちにおいで。まるでそう言ってるかのよう。

早足になりながら、ミネルバについて行った。冒険みたい、と思ったけど連れて行かれた場所は校長室。ダンブルドア先生が私に用でもあるのだろうか。いつもなら夜に呼び出されるのに、少しだけ変な感じがする。

立ち止まった私を見上げて、ミネルバが猫から人間の姿に変化した。

「時間は大丈夫でしたか、リン」
「うん、大丈夫だよ…どうかしたの?」

ミネルバは私をチラリと横目で見たあと、合言葉を言って校長室へつながる扉を開いた。螺旋階段に足を乗せて、二人で上まで登っていく。
そこにいたのは、ダンブルドア先生。久しぶりに見る先生は、変わらずに優しそうな笑顔を浮かべて、私を迎え入れてくれた。

「ふぉっふぉっ…久しぶりじゃのう…元気にしておるかね?」
「はい…お久しぶりです、ダンブルドア先生」

ダンブルドア先生は、何度か顎の髭をさすりながら首を縦に振った。そこに座りなさいと言われて、私は一度ミネルバの表情を伺いながらゆっくりと座る。なんだろう、何かあったのかな。

先生は杖を一振りすると、目の前に暖かいマグカップを出した。湯気が立っている、中にはココアが入っていた。

「お飲みなさい」

嬉しい。ココアだ。私の大好きな、ココア。

笑顔を浮かべて、私はそのマグカップを両手で包んだ。良い匂いがする、甘くて美味しそうな匂いだ。一口飲んで、熱くて少しだけ舌を出せばダンブルドア先生が笑った。

「今日は、君に見せたいものがあるのじゃ」
「私に、ですか?」

ダンブルドア先生は、あるものを机の上に置いて、私に見せてきた。それは新聞だった。久しぶりに見た自分の母国語、日本語で書かれた新聞。
一面にはなんと、私のお姉ちゃんの写真があった。動きながら、裁判所のような場所で何かを訴えている姉。

見出しはこうだ。

【妹の無実を訴える姉】

その言葉を見た瞬間、息が止まった。頭が真っ白になって、目に涙が浮かんだ。あぁ、お姉ちゃんは諦めていなかった。お姉ちゃんは、今でも私を信じてくれている。

お姉ちゃんは、今も私の無実を訴えていた。

「お姉ちゃん…」
「姉君は今でも、君の事を信じているようじゃ」

良かったのう、リン。

ダンブルドア先生の優しい言葉が耳に届く。本当に、本当に、うれしいです。私は言葉にならないそれを、英語ではなく日本語で呟きながら、新聞を胸に抱き締めた。お姉ちゃん、お姉ちゃん。ありがとう、お姉ちゃん。

手紙を出すことも、貴方の前に姿を表すことも出来ない弱い妹で、ごめんなさい。貴方の姿から消えることを選んだ、不孝者の妹でごめんなさい。

「リン…」
「私…全然…何もできてなくて…っ」

涙が止まらない。私のいなくなった日本で、お姉ちゃんはこんなに私の無実を訴えてくれているのに。

私はイギリスで、一人で、何を覚悟決めたのか。勝手に覚悟を決めたと言いながら、もうお姉ちゃんを解放させた気でいた。もう、私の事を忘れて。私を妹だなんて思わないで、お姉ちゃんはお姉ちゃんの人生を、なんて。

この人は今でも、私の事を思ってくれていたのに。

「リン…貴方のことを、沢山の人が想っているのですよ」

ミネルバが私の肩を抱き締めながら、そう言った。私なんかを、大切にしてくれる人なんてもういないと思っていた。義母として私を育ててくれるミネルバ、助けてくれたダンブルドア先生、いつでも私の事を考えてくれる、レギュ。

あぁ、冷静になればこんなにも、私の周りには人がいるのに。私だけが、私のことを何も考えてあげられていなかったんだ。

「私…ごめんなさい…っ」

涙が止まらない。嗚咽も止まらない。一人で生きていけてる気になっていた。結局自分が蒔いた種でこんな事になったのに。謝ったって許されることでも、何かが変わるわけでもない。それでも、必死になって私を信じてくれる姉を見て、私はどうしてこんなに弱いのだろうと、自分の事が嫌いになりそうだった。







涙が止まった後、私は一人で校長室を出た。送って行きましょうか、とミネルバは言ってくれたけど、今はなんとなく一人で歩きたい気分だったから丁重に断った。ごめんね、ありがとう。

新聞はもらって、私は目を赤くしたままそれを大事に抱えて廊下を歩いていた。

お姉ちゃんが、私の知らないところでこんなにも頑張ってくれている。これ以上に嬉しいことはあるか?無いだろう。

もう、一人で生きていくしか無いと思っていたし、ホグワーツを卒業したら誰もいないところに逃げて、ひっそりと生きていこうと思っていたんだから。

こんなものを見せられたら、信じても良いかと思ってしまうじゃ無いか。幸せになれるかな、って。また日本に戻ってお姉ちゃんと過ごせるかなって。

あるはずのない未来を、信じようとしてしまうじゃないか。

「…リン…!」

とぼとぼと歩いていた。小さい歩幅で、とぼとぼと。多分、もうそろそろ寮についてもいいぐらいの時間歩いていたのに、ここはまだ地下廊下の中盤だった。奥から、休みなのにきちんと緑のネクタイを締めたスリザリン生が数名歩いてきて。その中に、レギュがいた。

彼は友人といるというのにも関わらず、私の名前を呼んで、そしてこっちに走ってきた。良いのかな、スリザリンの暗黙の了解みたいなものを無視して。後ろで放置されてる子達、ちょっと困惑してるけど。

「…リン、どうしたんだ…?」
「…え?」

私の近くに走ってきたレギュは私の肩に手を置いて、俯いていた私の顔を覗き込んできた。近い彼の顔に一瞬たじろぐ。お兄さんとはジャンルの違う端正な顔つきなのだから、もう少し自覚を持って近づいてほしい。

「目が赤い…おぼつかない歩き方をしていたし…体調、悪いかい?」

レギュは私の頭を片手で抱えて、優しく数度撫でてきた。胸に顔を押し付けられながら、少しだけ目を閉じる。

「先に行っててくれ、バーティ」
「おー…」
「どこか人のいないところへ行こう、リン」

後ろに置いてけぼりにしていた友人にそう声を掛けたレギュは、私の手を引っ張って歩き始めた。地下廊下とは言っても、ホグワーツはでかいお城だ。一方通行ではない。ぐねぐねと曲がっている廊下を歩きながら、ハッフルパフとも、スリザリンとも遠い場所へ連れて行かれる。

ここならたしかに人は来ない。壁の窪みに身を隠して、私はレギュに抱きしめられながら、胸に抱いていた新聞を強く握った。

「…何かあったのか…?」
「どうして…?」

どうしてそんなに、優しいんだろうレギュは。

「リン…?」
「どうしてこんなに優しいの…」

レギュは私のことを、知らないから。

初めて会った3年前の特急の中で、唯一と言っても過言じゃないぐらい私がブラック家のなんたるかを知らなかったから。だから、珍しい人間だと思って仲良くしてくれたのかなって思ってた。東洋人は珍しいから。君たちとは違う、あまりはっきりしない顔立ちも、少しだけ高かった身長も、年上だからちょっとだけ落ち着いた性格も、レギュには合っていたのかもしれないけど。

でも君は、私の事を何も知らないじゃない。私は、禁じられた呪文を使って国を追い出された魔女なんだよ。


「私のことなんて…何もわからないのに…」


レギュは私の頭を撫でながら、そのまま背中に移動させて抱き締める力を強くした。ぐっと縮まる距離。どくんどくんと鳴っている心臓の音が耳に届いて、少しだけ落ち着く。

「それは君が、言わないからだ」

本当に、その通りだと思った。

私を責めてるわけではない。優しい口調で、小さくそう言ったレギュの胸元を握った。

「でも、前に言っただろう。無理しなくていい。言いたいと、言えると思った時に教えてくれって」
「……レギュは、それでいいの…」

私なんて、絶対に一緒にいない方がいい人間だ。きっと、関わらない方がいい。だって、闇の魔法使いに一番近いのは、スリザリンの人間なんかじゃない。

禁じられた呪文を使って、人を一人殺した、私が一番闇に近い。

こんな私が、幸せになれるわけなんてないのに。それなのに、幸せになれるんじゃないかって夢見てる。

「私はね…馬鹿みたいなことを言うけどね」

顔を見上げる。思いのほか近いレギュの顔を、今度は驚かずにじっと見つめ返した。レギュは私のことを見下ろして、頭を撫でていた手を後頭部に回す。髪の毛の間に指が入って、背中に回った手が、腰に移動する。

近いな、距離が。

好きだなぁと思ってた人に、こんなことをされちゃったら、そりゃあドキリとするわけで。気づけば背の高くなったレギュとの距離を縮めて、彼の綺麗に整った顔を近くで見るために、踵を少しだけあげた。

「…私、幸せになりたいの」

幸せなんて、一番持てない人間が言えたことじゃない。でも、信じてみたいと思うじゃないか。

「…幸せに、なりたいだけなんだよ…」

お姉ちゃんと一緒に、笑いながら生きていたいだけだった。孤児院の皆と、学校の皆と、くだらない事をしたり、たまに喧嘩したり、怒ったり泣いたり。ただ、普通にそうやって生きていたいだけだった。

それが、幸せってものじゃないのか。
それが、普通ってことじゃないのか。

「なら、俺が幸せにするよ」

レギュの声が、近くで聞こえた。私の顔に近い彼の顔。少しでも動けば、唇と唇がくっつくぐらい近い距離。

レギュの幸せは、私の思う幸せと、同じなの?
きっと違うよ。きっと、違うんだよ。

「リン…」
「レギュは…!」

きっと、違う。レギュみたいな人が、私を選んだらきっと、ダメ。

彼が何かを言う前に、名前を叫んで止めた。言わないで、何も言っちゃダメ。君みたいな人が、私なんかに優しくしちゃダメなんだよ。

そう思うのに、彼に引き寄せられる力に抗えなくて。そこまで強いわけじゃないのに、ちょっとでも動けば離せられるような力なのに。


「好きだよ、リン」


そんなことを言われたら、何も言えないじゃないか。

重なった唇は、思いのほかかさついていて。緊張からか、それとも寒いからか、私の唇は震えていた。これがはじめてのキスなんて。

キスはもっと幸せに満ち溢れた、笑顔の溢れるものだと思っていたのに。

涙と、ほんの少しの恋慕と、本当のことを言えない気まずさに、なんでこんなにも胸を震わせないといけないんだろう。

これも全部、私が悪いんだよね、きっと。

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