好きだ、と言ったことに後悔は無い。
彼女が何かに怖がってたことも、逃げようとしてたことも分かってる。泣いたんだろうと分かる目や震えてる声から、きっと俺の想像だけじゃ分からないぐらい、リンは辛い気持ちを抱いているんだろうと思った。
だって、4年も一緒にいるんだ。ずっと一緒にいたんだ、分かるさ。彼女が強がりなことぐらい、本当は堪えきれない程に何かを抱えてて、それを絶対に俺には分けてくれないことも。
だったら俺からできることなんて、彼女を支えて、少しでも重さを消す事ぐらいだ。
初めて会ったあのホグワーツ特急で見た姿から、四年も経てば彼女は変わった。背も高くなったし、顔つきもさらに大人っぽくなった。
綺麗になった。
どこかミステリアスに感じる雰囲気も相まって、リンはやっぱり、素敵な女性になったと思う。
「レギュラス、どうした?」
「え…?」
大広間で新聞を読んでいた。闇の帝王の話で持ちきりの記事は、いつか死喰い人になりたいと願ってるスリザリン生にとっては格好の物。呆然とそれを眺めていた時、隣に座るバーティが俺の肩を小突いた。
「ぼーっとしてる」
「…あぁ、なんでもない」
首を小さく横に振り、もう一度新聞に目を通した。のんびりとゴブレットに入っている水を飲みながら、ウインナーをフォークに差しているバーティを横目にして、連なっている文字に視線を戻す。
昨日、あれからどうやって戻ったかあまり覚えていない。
ただ、初めてのキスは少しだけ思っていたものと違った。リンの唇は冷たかったし、腰は思っていた以上に細くて、肩は小さく震えていた。
後悔は、してないはずだった。リンを好きだったのは本当だし、ずっと彼女のことを見てたから。手が少し触れるだけで、繋いだだけで、俺を見上げてくれるその顔が笑顔なだけで、いつも心が暖かくなっていた。
リンが、こんな表情を見せるのは俺にだけだと分かっていたから。俺が抱いてる恋情とリンが抱いてるそれが、同じ物だってなんとなく分かっていたから。
だから、否定してほしくなかった。
レギュは、違う、って。俺の思いを否定しそうなあの続きを聞きたくなかった。
だから、キスを、した。
好きだと言いながら。
「…バーティ」
「んー」
「…好きなやついるか」
「は?」
やっと皿の上に乗せてたものを全て食べ切ったバーティが、素っ頓狂な声を出してこっちを見た。何言ってんだこいつ。そう言いたげな顔だ。
好きなんだよ、リンが。他の誰かに渡るぐらいなら、俺の隣にいて欲しいとそう思うぐらいには。スリザリンとハッフルパフだって、純血もマグルも関係なく。俺を見てくれる彼女が、ただただ好きなだけだ。
「なんだ、告白したのか」
「は?」
今度は俺が、変な声を出した。
「お前とこんな話したいなんて思ってねーけど、あの東洋人だろ」
前のテーブルにいる黄色のネクタイをつけてる集団を見つめる目が尖っている。あぁ、スリザリンはスリザリンだ。他の寮を認めようとしない所は、彼らしいと思った。
「昨日、あの東洋人を引っ張って行っただろ。帰ってきた時から、なんかおかしかったよな」
「…そうか?」
泣いていると思ったんだ。リンが、泣いていると。だからすぐに走り寄って、彼女の手を引っ張った。なにかがあったら支えるから、何か怖いことがあったのなら守るから、泣きたいのなら、胸を貸すから。
いつだって、彼女の味方でいたかったから。
「別に否定とかしねーし、勝手にやってろって思うけどさ。告白した割には、元気ねーな」
バーティの言葉に口を噤む。
好きだと言った後、リンは閉じていた目をゆっくり開けて、あげていた踵を下に下ろした。幸せになりたいと言ったリンに、幸せにしてあげると答えて、それでも彼女の幸せが何なのか、なんて全然分からないくせに。
キスをした後のリンは、少しだけ目が潤んでいた。泣いた後の特有の赤さを残したまま、俺のことを見つめるその目に、熱を籠らせて。
本当はそのまま、もっと、って言いたかった。抱きしめて、もっと彼女の唇に合わせたかった。
俺以外の人となんて、キスはしてほしく無かった。
「振られた?」
「…いや」
返事は、もらっていない。俺の腕から逃げるように立ち去ったリンを追いかける勇気だって、俺には無かった。
ハッフルパフの集団の一人が立ち上がる。金髪の髪を靡かせて、他の人もゾロゾロと。ああ、移動でもするのかと眺めていれば、その中の一人がこっちに歩いてきた。
俺と同じ黒い髪を持つリンだった。
「レギュ」
「…リン」
「俺は先いく」
俺の隣に来たリンを見てバーティが立ち上がった。顔合わせなんてした事ないだろうに、彼女の肩に手を置いて「スリザリンに目をつけられるから離れとけ」なんてアドバイスをするバーティを、リンは少し驚いた顔をして見送っていた。
スリザリンだけじゃない、ほかの寮の人たちもこっちを遠巻きに見ていた。俺も席を立ち、広間を出ようと小さくリンに告げて、足早に歩く。ざわざわとしている大広間を背に扉を閉じて、静かな廊下に二人で出た。
「…あまり、他の人たちがいる所で会ったらいけないだろ、変な目で見られるよリン」
「昨日のレギュは、そんなの無視して走ってきてくれたのに」
「あれは、同室の人だったからさ」
バーティは、無関心だから。リンとよく話してる事だって知っていたから。
いや、今はそれはいい。扉に背中をつけたままのリンの手を握って、俺はとにかく廊下を歩いた。誰もいないところへ。このまま歩けば誰かに見つかるだろうか、とにかく。人のいないところへ。
空き教室を見つけて、二人でその中に入る。案外こう言った冒険をしたことのあるらしいリンは、小さく笑いながら「バレたら怒られるね」と言った。昨日のことはない事にされているのだろうか。いつもと変わらずに俺に接してくるリンが、嬉しいようで、すこし嫌だった。
「昨日はごめんね、レギュ」
「リンが謝ることじゃないだろ」
謝るのはきっと、俺の方だ。
リンは小さく笑いながら、真ん中にある教卓目掛けて階段を降りて、一番前の席に座った。その姿を見届けて、俺もゆっくりそっちに近づく。彼女の席の隣に座って、誰もいない教室で二人きりで。
また、キスをした。
「…レギュ」
「ん…?」
少しだけ震えてる手が俺の胸元を握っている。そこに手を合わせて、強く握ればリンが唇を離しながら涙を流した。
「……嫌だった?」
「ううん」
リンの涙は、見たくない。できれば見たくない。ゆっくり頬を落ちていくそれを、指を伸ばして掬った。首を横に振りながら、違うと何度も否定するリンの背中に腕を伸ばして、抱きしめる。
あぁ、俺は彼女に何もしてあげられない。泣かないで、とも言えない。その涙が、何が理由で流れているのかもわからないから。
「私も好きだよ、レギュ」
「…それが聞けただけで、充分良いよ…」
今は、それ以上は求めないから。同じ気持ちを抱いてくれてるなら、それでいいから。
だから、泣きたいのなら俺の胸で泣いてくれ。頭に手を回して胸に押し付ける。涙で濡れる自分のシャツが、上から見下ろせた。
リンは俺のシャツを握りながら、何度も何度も俺の名前を呼んで好きだと言い続けている。
ああ、わかってるよ。俺も好きだから。だから泣かないで。
「好きだよ、俺も…」
好きだよ、君のそんなところが。何かを抱えてるって分かるのに、絶対に言おうとしない強いところ。全部自分一人で抱えようとしてるところも。年上だからって、いつも笑顔を見せてくれるところも。
誰よりも、優しいところも。
太陽みたいなんだよ、君は。俺の、太陽みたいな存在なんだ。
リンに出会えてよかったと、本当に思ってる。ブラック家という枷に囚われてた俺を、解放してくれる人だったから。俺を、レギュラスとして見てくれる唯一の人だったから。
「好きだよ、リン…」
泣かないで、お願いだよ。
君の笑顔が、見たいんだ。