10


ずっとダリルさんの手を握っていた。夜が更けて、朝焼けが目にしみる頃、やっと私を助けてくれた人の顔がわかった。メルルさんの弟のダリルさんだ。

彼はボウガンを肩に担いだまま、ずっと手を握り続けてる私を振り払ったりせずに、周りを眺めていた。

「あの...」

朝になって、やっと正気を取り戻した私はダリルさんに声をかけた。手をゆっくりと離して、なんて言えばいいのかわからずにもごもごと口を動かしていれば、ダリルさんは少し眉をひそめて、顎をくいっと動かした。早く言え、と言いたいのだろう。

「...ありがとうございました」

気の利いたこと一つも言えなくて申し訳ないけど。そう言えば、ダリルさんは少し首を振って頷いた。

悲痛の面持ちで椅子に座っているキャロルさんたちのところに行く。私に気づくと、キャロルさんが顔を上げて私の名前を一つ呟いた。

「助けてくれて、ありがとう。ソフィアの事も...」
「...気にしないで下さい」

小さい子は無条件に助けたくなるし、キャロルさんはどことなくお母さんのような印象もあったから。本心で、気にしないでほしいと答えた。

太陽も上がり、死んでしまった人達やウォーカーを(結局は同じ死体)片付けるために男の人達で運んだり、火を燃やしたりする。ジムさんが昨日の昼にたくさん掘っていた穴が、皮肉にも役に立った。

ジャッキーさんと一緒に布で口元を覆いながら、ウォーカーに目覚めたりしないように、ナイフを使って頭を突き刺していく。なんだか、この行為がとても虚しく感じた。

「仲間は燃やさない、埋めるんだ!!」

グレンさんの悲鳴にも似た声がきこえて、後ろを振り向く。日本は火葬だから、どうして燃やしたくないのか不思議な感覚だけど、郷に入れば郷に従えということわざもあるのだ。ここの国の人達は、土葬になにか信仰心でもあるのだろう。

「...ジム?」

ジャッキーさんと一緒に死体を持ち運ぼうとしていた時、私達の手伝いをしようと、ジムさんが近づいてきた。ジャッキーさんが怪訝そうな声で、彼の名前を呼ぶ。

「血が出てるわ」
「...死体の血がついた」
「まさか噛まれたの...?」
「少し引っ掻いただけだ」
「うそよ」
「本当だ」
「なら見せてよ」

ジャッキーさんが立ち上がる。焦ってる声音だ。ジムさんは声を震わせて「静かに」と言う。

「ジムが噛まれたわ!!」

ジャッキーさんのその言葉に、慌てて私も立ち上がる。ジムさんは焦りからかスコップを持ち上げて、こっちに近づいてくるシェーンさんに威嚇した。

「ジムさん、落ち着いて...!!」
「アオの言う通りだ、落ち着けジム」

全員が近づいてくる。いつの間にか後ろにいたTドッグさんがジムさんを羽交い締めにした。その好きにダリルさんが近づき、ジムさんの服をめくり上げて、傷口を見せる。そこには、たしかにウォーカーによる咬み傷があった。

「俺は平気だ...大丈夫だ」

不気味なほどに静まり返るキャンプ場に、ジムさんの弱い声だけが響いた。











「アオ、君はいかないのか?」

ジムさんが噛まれた事実がわかり、緊急会議が開かれた。内容はそのまま、ジムさんをどうするか、だ。放っておいたらいつかウォーカーになる。それでも、まだジムさんは生きてるわけで。生きたまま放置なんて、むごすぎる。メルルさんの二の舞は、酷いと思った。

「私は英語、苦手なので」

丸くなって話してる彼らを、私とジムさんは座って眺めた。

「私、今日ここを去る予定でした」
「...何故?」

朝になれば、リックさんに話を聞いて出て行こうとしていたのに。何故こんなことになってしまったのか。小さくそう聞いてきたジムさんの前にしゃがみながら、私は口を開く。

「先生を、探してるから」

ずっと避けていたもう一つの可能性。
先生はもう、もしかしたら死んでる。もしくはウォーカーになってる。

だとしても、だとしてもだ。私がそれを避けていいのだろうか。やっと現実を見つめるチャンスがやってきたのだ。私は私なりに、生き抜いていくしかない気がした。

「...そうか」
「CDCに行きます。もしかしたら、いるかもしれない」
「一人で行けるか?」
「わかりません。もしも、リックさん達が貴方を...あー...見捨てる言ったら、私と、行きましょう」
「CDCに?」
「はい。CDCは、頑張ってます」

こう言う時、なんで英語が話せないんだろうって思う。高校の時に受験英語だけじゃなくてきちんとスピーキングも勉強すればよかった。

「きっと、治せます」
「...あぁ」

ジムさんはそっと手を伸ばして、私の頭を撫でる。これが病気ならきっと治せる。死んだ人間がウォーカーになるのと、ウォーカーに噛まれた人がウォーカーになるのとじゃ、違うんじゃないのか。

こんな問題はさして差異はないのかもしれないけれど。研究者を目指していた身の人間だ。少しでも何かの違いがあるなら、私はそれを信じたい。

その時、つるはしを持ったダリルさんがジムさんめがけて振り上げながらあ駆け寄ってきた。ジムさんを殺す気なのだろう。私は慌てて立ち上がり、彼とジムさんの前に立ちふさがる。

ダリルさんの後ろには、銃を構えたリックさんが、彼の頭に銃口を押し付けていた。

「生者は殺さない」
「ジムさんは、ウォーカーじゃないです」

まだ、生きている。
助けてくれた命の恩人の彼に反抗はしたくはないけれど、こればかりは、だめだ。

ダリルさんの目をじっと見つめて、そう言えば、シェーンさんが私の肩に手を置いて押し出し「つるはしを置け」とダリルさんに言った。

イライラしたようにそれを地面に突き刺して向こうに歩き出したダリルさんを追いかけるように、シェーンさんが歩き出す。それと入れ違うように、リックさんがジムさんの肩に手をかけて、彼を立ち上がらせた。

「来い」
「どこへ?」
「安全な所だ」

ジムさんを車の中に入れて、横に寝かせる。せめてものという思いで、彼の傷口をポケットに入っていたハンカチで抑えてあげた。

「アオ、少しいいか?」
「はい」

その時、肩に手を置いて、リックさんが話しかけてきた。なんだろうと首を傾げて、あとでまたくるということをジムさんに伝えてリックさんと一緒に車をでる。
リックさんは、背の低い私の目に目が合うように腰を屈めて、口を開いた。

「アオ、君の先生は見つからなかった」

そうだろうな。と思った。首を縦に振って、頭で考えてる文章をどうにかえいごに変換した。

「私は、CDCに行きます。先生は、そっちにいると思います」
「あぁ、その事だけど、ジムをCDCに連れて行こうと、思ってる」
「え...」

ジムさんも連れて行きますと言いたかったけど、どうやらリックさん達はジムさんを見捨てない方向にまとめてくれていたらしい。思わず目を見開いて、彼の目をじっと見つめる。

「アオも、一緒に行こう」

リックさんはそういうと私の頭に手を置いて、ぽんぽんと叩いてくれた。

「いいんですか...?」
「当たり前さ。仲間だろう?」

その言葉に目を見開く。あぁ、仲間だと思ってくれているんだな、と。それと同時に、いいのだろうか、とも。だけど、一人で生きて行くことの大変さなんて、一夜過ごしたあの惨劇を思い出せば分かる。きっと一瞬にして私は死んでしまうだろう事が。

今はとにかく、先生の無事だけを信じて、彼について行こう。モーガンさん達にも伝えないと、といえば、彼はあとで無線機でつたえると言った。私はそれに、こくりと首を縦に振った。

ALICE+