15

朝起きて、目を開ければ、ゴツゴツとした骨のようなものが頭に当たった。目の前にあるのは誰かの掌。それに手を伸ばしてさわれば、男の人の手で、眠気からくる淀んだ頭がゆっくりと冷めていくのがわかった。

「...あぁ」

そうそう。昨日の夜したんだっけ。なんて、気軽にそう思いながら、ゆっくりと起き上がる。裸のままの自分の今の状態を見て、あぁ、シャワーを浴びないと、とベッドから立ちあがる。隣に寝てるその人、ダリルさんを起こさないようにゆっくり歩いて、シャワー室に入る。

蛇口を捻れば、実に何日ぶりかの暖かいお湯が、私の頭にかかった。生き返る。すこしおじさんみたいなことを思いながら、とりあえずお湯に向かって顔をあげる。確かジェンナーさんは節約してくれとか言ってたけど、ちょっとそれは難しい。

「...おい」
「あ、おはようございます、ダリルさん」

当たり前のように、シャワー室に入ってくるダリルさんに、特に何か驚くそぶりは見せずに、挨拶をする。彼は眠そうな顔のまま「...ん」と返すと、私の後ろにぴったりとくっつき、背中から腕を伸ばしてシャンプーをつかんだ。

「ちょ...」
「文句あんのか」
「いえ、ありません」

できればちゃんと暖めてからくっついてほしい。背中だけやけに冷たい事に対しては無視して、彼にお湯がかかるように少しだけずれてあげた。

「...手」
「うるせー」

私の気遣いは無視なのか、シャンプーを手につけたその手のままの、なぜか私の胸元に手を伸ばすダリルさん。彼の手をぱしんっとたたけば、失礼なことを言う彼を肩越しに睨みつけた。

「...まじ?」
「あぁ。一発だけな」

なんて下品な。思わず苦笑をしながら、身体を動く彼の手に身を委ねて、仕方なく壁に手をつけた。














昨日、唯一あった私のボトムスに精液をかけられたせいで今の私はパンツ1丁だ。上の服は、エイミーに貰ったものがあるからなんとかなるとして。あぁ、あの時入らないからってズボンを何着か貰わなかったことを後悔した。いや、ていうかそもそもリュックには入らないんだけどさ。

「お前、その姿のままでいるつもりかよ」

タオルで頭を拭きながら、ダリルさんがこっちを見て言った。いやまぁたしかに、彼の言う通りなんだけど。どうしようかとシャツだけを着た状態で彼を見れば、ダリルさんがカバンの中に手を突っ込んでズボンを1つ取り出した。

「...あー..私にこれが履けますか?」

大きいズボンをとりあえず受け取って眺める。いや絶対無理だろ。歩いてる途中でずれ落ちるわ。

「それもそうだな」

ダリルさんにズボンを返せば、次に彼はシャツを1枚取り出した。唯一彼の持ってる中でまともなままのシャツ。

「お前が着ればでかい。隠れるだろ」

言いたいことはなんとなく伝わった。彼Tみたいな感じか。今は夏だし、寒くはないからいいだろう。あとでジャッキーさんにズボン貸してもらおう。そう思いながら、一度着ていた服を脱ぎ、ダリルさんに貰ったシャツを着る。

でかい。膝上までのワンピースみたいなものだと思えばいいか、と納得させて、扉に指を指す。

「行きましょう」

ダリルさんが服を着終わるのを待って、一緒に部屋を出た。










皆のいるだろう昨日宴が行われた場所に行けば、案の定皆そこにいた。Tドッグさんに卵の乗ったお皿をもらって、なんて久しぶりなしっかりとしたご飯なのかと興奮気味に口を開けば、Tドッグさんが意味深な視線で私を見てることに気づいた。

「...Tドッグさん?」
「いや...その服は?」
「ダリルさんのです」
「な、なるほど...」

Tドッグさんは、小刻みに首を縦に振り、何も見ていないとでも言いたげな表情で私から視線を逸らした。

机を囲んで話しているみなさんに挨拶をして、卵をつついていれば、デールさんがジェンナーさんに話しかけて、何故かゾーン5に移ることになった。なんでなのかはわからない。ちゃんと聞いていなかった自分が悪い。

移動しがてら、ジャッキーさんにズボンを何着か貸してくれないかと聞いた。

「もちろんよ。あとであげるわ」
「ありがとうございます」

笑顔で了承してくれたジャッキーさんに頭を下げてお礼を言う。着いた場所では、ジェンナーさんがパソコンを前にして、バイに向かって声をあげる。

「バイ、TS19を再生しろ」
「TS19を再生します」

目の前にある大きな画面にが、脳の断面図の動画が映っていた。

「内部にズームします」

横になっている人間の脳に画面にがアップされる。裸眼だからよく見えない。私は前のめりになりながら画面を見つめた。

「...この光は?」
「人の命だ。経験や記憶のすべてさ」

脳のドアップで見せられたのは、神経と神経のつながり。そこを光が走っている。

「脳に張り巡らされたこの光のさざ波こそが、君だ」
「...意味がわからない」

首を横に振って、隣にたつダリルさんがジェンナーさんに言った。ジェンナーさんは、ダリルさんをちらりと見ると、意味深に笑みを浮かべる。

「シナプス」
「...そう、その通りだ」

これでも大学院生だ。バイオ系の学科に所属してたのだから、わかる。

「シナプス?」
「あー...電気を体に流して、色々な伝達をする、もの?です」

期末試験で精一杯覚えた記憶なんて、こんなものだ。自分なりにわかりやすく説明したつもりで言えば、ジェンナーさんが笑顔で首を縦に振った。

「人が生まれてから死ぬまでの言動や思考のすべてを、決定する
「死ぬまでの記録したのか?」
「あぁ...人が死ぬまでの映像の再生だ」

リックさんが立ちあがり聞いた言葉に、彼は答える。次に、アンドレアさんが立ちあがり「そして死んだの?」と聞いた。

「...そうだ。被験者19号だ。ウォーカーに噛まれて感染したあと、変異記録の被験者になると申し出てくれた。バイ、第1段階の映像を」

映像が切り替わった。活発に動いていた脳に走る光が、徐々に薄れていく。ソフィアちゃんの「ジムもこうなったの?」という言葉に目を伏せた。

「第二段階の映像を」
「第二段階の映像です」
「時間差はあるが最短3分でウォーカーに変わる。最長記録は8時間。この被験者は2時間1分7秒で変異した」

早送りにされる映像が、徐々に暗い部分から赤く火花を散らすように光始める。脳が動き出そうとしたその瞬間、顎に向かって稲妻が落ちるような筋が走った。

ジェンナーさんが、撃ち抜いたらしい。

「...原因はわからないの?」
「微生物か。ウイルスか。寄生虫か菌か...」
「神の怒りかも」
「あり得る」

映像は終わり、画面から絵が消える。この実験ができてるだけでも凄いことだというのに。皆は、なぜかジェンナーさんを責めるかのように声を上げた。早口だから何を言ってるのかはわからないが、それでも、今彼を責める筋合いなんて、皆にはないはずだ。



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