08

ローリさんによって連れられたのは川。そこには、昨日助けてもらった(むしろ助けた?)アンドレアさんがいて、彼女が笑顔で私の名前を呼んだ。ローリさんは手の中にあったカゴを地面に置くと、薪を拾ってくると言って森の中へと消えて行った。

「こっちよ、アオ」
「アンドレアさん。何かお手伝いできますか?」
「えぇ、山ほどね」

そう答えたのはジャッキーさん。彼女の手にはこれでもかというほどに詰められてる洗濯物。思わず苦笑をこぼした私を、ジャッキーさんとアンドレアさんが同じタイミングで笑った。

「カエルを捕まえるんだ!!行ったぞ!!捕まえろ!!」

何やら騒がしい方を向けば、そこではシェーンさんと、ローリさんの息子であるカール君がわちゃわちゃと楽しそうに水の中で遊んでいた。私的には楽しそうだなという感想だけど、どうやら大人の女性達にとったら、それさえも煩わしいらしい。少し険しい顔を見せながら、アンドレアさんとジャッキーさんが二人を睨んでいた。

「ハイ、アオ。私はエイミーよ」
「あ、アオです、よろしくお願いします」

どこに座ろうかと立ち往生していれば、アンドレアさんの妹さんであるエイミーさんが、私に話しかけてくれた。彼女の隣に座ってるキャロルさんも快く話しかけてくれて、二人の間に座ることができた。

「高校生?」
「大学生です。大学院生です」
「え!?私より年上だったのね。それなら楽に話しかけて?」
「え!?」

高校生に間違われてた事もびっくりだけど、エイミーの方が年下だったらしいことに驚きだ(ためでいいと言われたから呼び捨てで呼ぶことにする)。
私達は板みたいなものをつかって洗濯物を洗い、洗い終わったものはジャッキーさんに渡して、というのを何回も繰り返した。

「服はそれだけなの?アオ」
「服?」

その時、不意に隣に座ってるエイミーに話しかけられた。できるだけゆっくり話してくれてるらしいことに嬉しく思う。

「スーツじゃ歩きにくいでしょう?私の服半分あげるわ」

ご飯や缶詰とかを大量に盗んだりはしたけど、流石に服を盗む気にはなれなかったために、確かにエイミーの言う通り今の私にはスーツと寝巻きしかない。ワイシャツをめくり上げてる私の腕をちょちょいとつつきながら、エイミーが言う。

「本当?」
「えぇ。身長も同じぐらいだし、着れるわよ」
「ところで、アオはどうしてアメリカに?」

この話何回目だ、と思った。けど、アンドレアさん達にとったら私は、家族がその場にいたリックさんとは違って急にやってきた知らない人だ。しかも国籍も違うわけだし、きちんと身分の話はした方がいいだろう。

洗い終えた服をジャッキーさんに渡しながら、私は何度目かわからないあの単語をまた言った。

「学会で、アメリカに来てたんです」
「学会?理系なの?」
「あー...はい、そうです。ウイルスについて、研究してました」
「アオかっこいいわ ...!!」

エイミーがキラキラとした瞳で私を見る。その隣で、アンドレアさんも驚いたような顔でこっちをみていた。

「それじゃあきっと、将来は研究者になりたかったのね?」

服を絞りながらジャッキーさんがそう言った。彼女を見上げれば、ジャッキーさんは笑みを浮かべて私の方を見ていて、キャロルさんもどこか優しい笑顔を浮かべて、私を見ていた。

「んー...そうですね」
「働く女性って感じね。姉さんもね、こうなる前は弁護士をしてたのよ」
「弁護士!?」

そっちの方がよっぽどすごい。思わず持っていた洗濯物を水の中に落としてそう声をあげれば、アンドレアさんはどこか恥ずかしそうに肩を竦ませて、洗濯を開始した。

「ジャッキーさんも...あー...都市...」
「都市開発局?」
「それです。それ、かっこいい響きです」

なんて陳腐な言葉だろう。でも自分の英語力ではこうとしか言えなかったのでそう言えば、ジャッキーさんに伝わってくれていたのだろう、彼女は少し笑いながら「ありがとう」と言った。

「洗濯機が恋しい」

洗っても洗っても消えていかない洗濯物に、痺れを切らしそうになる前に、キャロルさんがぼやいた。その言葉につられるように、他の人達も同様に今何が欲しいのかと言葉にしていく。

「私はナビ付きのベンツ」
「私はドリップ式のコーヒーメイカー。豆も挽ける」
「私はパソコン。と、メール」

皆の言ってる言葉が単語だから私にも分かるぞ、と心の中で興奮していればアンドレアさんが最後にまた口を開いた。

「バイブレーターも」

その言葉に思わず私も周りの皆も笑う。そしてキャロルさんが後ろでこっちをみている旦那さんをちらりとみて、「私も」と同意した。

その言葉に、皆でお腹を抱えて笑う。旦那さんをみて「私も」って言われちゃうと、旦那さんとの性生活よっぽど酷かったんだろうなと思った。

「アオは?」
「私?」

未だに止むことのない笑い声の中、アンドレアさんに声をかけられる。皆も、笑い声をこぼしながら私を見て、私の答えに期待していた。期待されちゃ、答えないわけにもいかない。アンドレアさんの目をじっと見ながら、わたしは小さく口を開いた。

「...私もです」

そう答えればやっぱり皆笑い出した。こういう軽い下ネタを話すのは楽しいよね。結構どぎつい下ネタも楽しいけど、まだ昼だし、なにより皆サバイバル生活が続いていて疲れているんだ。こんな話をしながらストレスでも発散してないと、きっとやっていけない。

その時、後ろ姿で石の転がる音が聞こえて、さらにタバコの匂いもムンムンとして来た。ちらりと後ろを振り向けば、どうやらキャロルさんの旦那さんがこっちに来ていたようで。全員口を閉ざしてシン...となる。

ずっと近距離で監視されてたらさすがに気になるもので。痺れを切らしたアンドレアさんが立ち上がり、旦那さん(エドと言うらしい)に近寄った。

「気に入らない?それなら自分で洗ったらどう?」

そう言いながら(ほとんど何言ってるかわからなかったけど、きっと正論だろう)洗濯物をエドさんに投げつけたアンドレアさん。すると、すかさずエドさんがその洗濯物をアンドレアさんに投げ返した。乱暴なその行動に、私もエイミーも立ち上がる。

「女の仕事だ」
「あんたはタバコを吸ってるだけ?」
「生意気な女の戯言なんて聞きたくない。おい、行くぞ」
「いかなくていいわ」
「口をだすな。ほら、早く来い」

キャロルさんが嫌々立ち上がり、エドさんの方に行く。何を言ってるかはわからないけど、これはDVだと思った。見るからにキャロルさん怯えてるし、私はキャロルさんの手を繋いで、彼女がいかないように引き止める。

「おい。大卒だからって大目にみると思うなよ。早くしろ、後悔するぞ」

アンドレアさんにやけに食ってかかるエドさん。さらにジャッキーさんも、腰に手を当てながらきつい言葉を浴びせる。

「あざを作るって?知ってるのよ」
「放っておけ。お前らに関係ない。来い」

なんて横暴な奴だ。キャロルさんの腕を掴み、私たちから引き離そうとするエドさんとキャロルさんを離そうと、わたしは腕を掴む。それでも、キャロルさん的には行きたくないのだろう、力を踏みしめて、その場に居座ろうとしている彼女に、エドさんがついに手をあげた。

彼の手の甲が、キャロルさんの頬に当たる。バシンと鳴った音に、キャロルさんは顔を抑えてうずくまった。

「何してるんですか!!」

思わず日本語で叫ぶ。彼とキャロルさんの前に立ちふさがって、アンドレアさんと一緒に彼の胸元に向かって何度も殴りかかる。こいつ最低だろ。そう思っていれば、遠くの方にいたシェーンさんがいつの間にか来て、エドさんを連れて行き、地面に転がせた。

ドン。ドン。大きい鈍い音を立てて、何やら叫びながら何度もエドさんを殴るシェーンさん。今度はシェーンさんの方に怯えながら、もうやめてと繰り返し皆で叫べば、やっと理性を取り戻したシェーンさんが立ち上がった。

キャロルさんが床にぐったりとしてるエドさんの元に走り寄り、ごめんなさいごめんなさいと何度も謝る。彼女が謝る必要なんてないのに。

シェーンさんがよろめきながら、歩いて行く。そんな彼の後ろ姿を見送って、キャロルさんとエドさんが車の方に歩いて行った。三人の背中が見えなくなってきた頃、ジャッキーさんが、「開始しましょう」と口を開いた。










洗濯物を洗い終わり、アンドレアさんとエイミーがボートに乗って釣りをすると言った。本当は一緒に行かないかと聞かれたのだけど、こんな大変な時だからこそ、家族との時間を大切にして欲しかった。

私は日本にまだ帰れないからこその、申し訳程度のお願いだ。

「アオ、ねぇ、アオ」
「...?」

さて、私は何をやろうか。手持ち無沙汰になってキョロキョロとしていれば、小さい女の子に話しかけられた。キャロルさんの娘さんの、ソフィアちゃんだ。彼女は細っこい腕を見せながら、私のちかくに走り寄って来た。

「貴方はどこから来たの?」
「私?私は日本から来たよ」
「日本...!!聞いたことはあるわ!!ジャパニーズフードは高くて、あまり食べた事がないけれど、住んでた街にもたくさんお店があったの。アオは、何がおすすめ?」

すごい。小さい子の英語程何を言ってるかのかわからない。思わず笑顔のまま固まっていれば、ローリさんと座りながら裁縫をしていたキャロルさんが、クスクスと笑いながら声をあげた。

「ソフィア、彼女は英語が苦手なの。もう少しゆっくりと話して上げなさい」
「あ...ごめんなさい、アオ。ジャパニーズフードは、何が美味しいの?」
「あぁ...お寿司とか?」
「SUSHI!!知ってるわ!!」

興奮すればするほど、彼女の英語は早くなる。それに気づいて思わず笑った。
私とソフィアちゃんはローリさん達のお手伝いをする。その時の間も、ずっと彼女は私に話しかけて来ていて、興奮するたびに早口になるソフィアちゃんを、キャロルさんがたしなめる、ということを繰り返した。少しは英語が上達できたんじゃないだろうか、と内心喜んでいる時、アンドレアさんとエイミーがボートから戻っていた。その手には、大量の魚だ。

「おい、見ろよ。大量だ...おかげで子供達に食べさせられるよ」

奥の方で作業をしていたモラレスさんが、よろこびながら彼女達の魚を受け取った。私も立ち上がり、エイミーのところにいけば、エイミーは得意げに笑いながら腰をくねくねと動かして「どう?」なんて言っていた。

「すごいよ、エイミー...!!私にも、いつか、教えて?」
「もちろんよ、アオ 。まずは針の付け方からね」

年が近いこともあるからか、エイミーはさらに笑顔を深めて、私の肩に肘を置いた。その手は、何やら針とか餌をつけるふりをしているのかぐにゃぐにゃと動いていたけど。

皆でその魚をみながら笑っている時、何やら深刻そうな顔をしたデールさんが歩いて来た。

「話がある。心配させたくはないが、すこし問題が...」

そう言って、彼が指をさした場所を見れば、ジムさんが丘の上でずっと穴を掘っていた。スコップを使って、ずっと。モグラのように。その異様な光景に目はクギ付けになり、私達は慌てて彼の近くへと走り寄った。


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