10.



「あんた、いつの間に彼女できたわけ!?」

朝。いつものようにサチを迎えに行くためにカバンを持ち家を出ようとした時だった。母親が急にそんな事を言い始めた。

「は?」
「聞いたわよ!もー彼女いるんだったら教えてよ!」

誰から聞いたんだよとの質問も交わされて、母親は永遠と感動しただかなんだかと続ける。感動したって何に感動したんだよ。

「何でいちいちいわねぇといけねーんだよ」
「そんなの当たり前でしょ!ちゃんと一回連れてきなさい、いいわね!?」

有無も言わせず母親は俺の背中を叩いた。まだ靴もきちんと履けてないのに、せっかちだな。行ってきますと告げて、俺は扉を開けた。

まだ少し早い朝の通学路は、人もそんなにいない。俺はその足のままサチの家へと向かう。高校に入ってから毎日一年間、俺は自分の彼女の家まで迎えに行っていた。内心俺もよくやるなとは思っているが、それでも自然に動くのだ。仕方ないだろ。

「ん、おはよう寺坂くん。」
「おはようございます」
「サチならいま降りてくるよ」

サチの家につけば、庭にある花に水をやってるサチの父親がいた。珍しく眼鏡をかけている。不思議に思ってるのがわかったのか、父親はにこりと笑いながら眼鏡を指さして「仕事用だ」と言った。

「おはよう〜父さん行ってくるね」
「ん、気をつけてね」
「はーい」

サチがカバンを持って玄関を開けて現れた。俺に向かっておはようと言うと、父親に手を挙げてそのまま俺の手を掴んだ。父親の前にも関わらず手をつなげるその神経は、流石としか言いようがないかもしれない。最初にそれを見た時の父親の顔はなんとも形容しにくい顔をしていたな。

二人で学校に向かって歩き出す。足を動かして、ふと思い出して先ほど母親に言われたことを話してみた。

「お前に会いたいって母親が言ってた」
「え!?お母さん!?」

驚きの声をあげて、サチは目を見開いた。そんな驚くことか?と聞けば、お母さんが会いたいって言ってくれるなんて嬉しい、と言った。
そうか、親に会うのは嬉しいものなのか。俺は初めてサチの親にあったときは緊張の方が勝っていたけれど。

「今日の放課後、そのまま竜馬の家にいこっか」
「は、今日?」
「え、だめ?こういうのは早い方がいいでしょ?殺せんせーのアドバイスブックにも書いてた」

なんでそんなことまで書いてんだあの本。俺は頭が痛くなるのを抑えて、下にあるサチの顔をみる。顎に手を当てて何かを考えているそぶりを見せたサチは、その手をまたすぐに戻すと、俺の顔を見上げた。

「でもそれ、結婚の挨拶だったわ」
「...っっかじゃねーの!!!」


思わず、顔を赤くして叫んでしまった。









「いらっしゃい!サチちゃんね!?」

学校帰り。ワクワクしながら交差点に現れたサチを引っ張り、俺は自分の家に帰った。いつもならパートでいないくせに、今日連れてくと連絡すれば、パートを休みにすると勢いよく返事が返ってきた。

玄関を開ければ、待っていましたと言わんばかりに、母親が俺たち二人(というよりサチ)を迎え入れた。

「こんにちは、初めまして。竜馬君といお付き合いさせて頂いてます、新稲サチです」

二つの手を揃えながら丁寧に鞄を前に持ち頭を下げるサチ。俺はそんなサチを横目に、はぁと息をはいた。

「ご丁寧にどうも!ほらほら上がって上がって、色々お話聞きたいのよ!」
「お邪魔します」

サチは、俺の家に何度かきたことがある。いつもならまっすぐその階段を登って俺の部屋にいくだろうに、今回はリビングだ。初めて通されたリビングを、物珍しそうに眺めたサチが、鞄を床に置いてソファに座った。その隣に母親が座り、早速質問攻めを始める。
よくやるな女ってのは、どうしてこうも話す内容に困らないのか。俺は階段を上り部屋に入り、制服から私服に着替えた。下では母親とサチの楽しそうな声が響いている。

「ちょっと竜馬!降りてきなさい!あんた、告白したのはサチちゃんからなの!?」

その言葉に慌てて階段を降りていく。あいつ何から話してんだよ!

「おま、それ言うか普通!?」
「お母さんが気になるって。私から告白したってことしか言ってないよ?」
「こんな良い子、どこで捕まえたのかと思ったら...竜馬、あんた男気ないんじゃないの」

ソファで寛ぎながら話してる二人が非難めいた視線で俺をみる。これだから女ってやつは。俺はため息をついて、二人の前に座り込む。テーブルの上にはコーヒーの入ったコップが置かれていた。

「ごめんねサチちゃん、竜馬デリカシーないでしょ?」
「あはは、中学の最初の頃はそうでしたね」
「おい」

笑いながら正直に話すサチに思わず突っ込む。確かに、なかったけどよ。

「こんな子彼氏にしてよかったの?確かに荷物持ちぐらいにはちょうどいいけど...」

この親は俺をなんだと思ってるんだ。
震えるこめかみに、俺はコーヒーを無理やり喉に通すことで誤魔化した。俺をちらりと見たサチがにこりと笑う。

「竜馬君が良いんです。いつも私のことを守ってくれるとても優しい人なんですよ」

よく、自分の恋人の親の前でそんなこと言えるよな。俺はサチから視線を外して、咳払いをした。照れてるわね、なんて親の言葉の続きで、照れてますね、とサチが続ける。

「昔から、考えるより動く方が先なの。大変だと思うけど、よろしくしてあげてねサチちゃん」
「はい、こちらこそ」

サチのおだかやな声が聞こえる。そのまま母親とまた談笑を始めたサチを、あぐらのかいた膝の上で頬杖をつきながら聞いてみる。サチは母親の方に体をむけてにこやかに笑っていた。

こうやって、相手の目を見て話すところがサチのいいところだ。
笑うときは口を手で押さえて笑う顔が、可愛い。
驚いた時に、目を見開いて目が点になる表情も、見ていて面白い。
照れる時、目をくしゃくしゃにして、少し俯き顔になる姿が、いじらしい。

楽しそうに話しているサチを見て、俺はなんだか心がポカポカと温まってきた。母親を亡くしてから寂しいと泣いていたいつだかの姿を思い出す。他人とはいえ、俺の母親と楽しそうに話しているのが、なんだか嬉しく思ったのだ。







「楽しかったか?」
「とっても!次は夜ご飯食べにきてだって!竜馬のお母さんめっちゃいい人じゃん!」

夜の7時。もう暗いから帰るぞと言って、俺は無理やり母親の談笑攻撃の中からサチを救った。家に着いたのが17時でそっから永遠と話すもんだから夕ご飯がない。帰りにコンビニで買って来いと頼まれた。

冬も終わって春に近づくとはいえ、外はまだまだ寒い。マフラーに首元を包んだまま、ハァ〜と白い息を吐いて楽しんでいるサチの手を握りながら、俺はゆっくりと歩いた。

「私のお母さんも、話すと止まらない人だったから楽しかったよ」
「...そうか」

サチの俺の手を握る力が強くなる。ギュッと握り締められたそれを、俺はズボンのポケットに突っ込んだ。暖かいそれが何か面白く感じたのか、サチは声を出して笑った。

「なんだ?」
「ううん、やっぱり竜馬は優しいなって思ったの。寺坂君の時から、思ってたけどね」

中3の頃から、こいつはいちいち俺に突っかかってきていた。朝の挨拶から休み時間の小話。授業中たまに目があったら、にこりと笑ってきたり。俺はそれが、実はいつも気になっていた。

あの黄色いタコがやってきて、満足していた学生生活が暗殺をしろと強要されたことで平穏なものじゃなくなった。このクラスじゃ全員が落ちこぼれ。それなのに、落ちこぼれの連中にやる気が実り始めた。

いづらかった。楽しくなかった。いいものではなかった。

そんな俺を、変えてくれたのが、ずっと変わらず接してくれたこいつだったのだ。

「あの時」
「ん?」
「悪かった」
「え、いつ?」

シロに言いなりにされていたあの時。俺の本当のことを当てたサチに、俺はひどいことを言った。

『本当は寺坂君だって、変わりたいって思ってるくせに、自分が変わることが嫌なんでしょ』

思っていたことをそのまま当てられた気分だった。図星だったのだ。結局俺は変われない、変わろうとしたところで、俺には存在意義なんてないくせに。それでも変われと、今が変わるチャンスだと訴えてくるあの教室の空気感に、悩んだ。葛藤した。渇望した。変わりたいと。

「...あの時だよ、夏の、プール撃破した時の」
「え?2年前の話!?」

サチが驚きの声を上げる。

「私謝れることあった?」
「お前のこと嫌いって言った」
「あぁ、そう言うところが嫌いだったって言ってたやつか」

なんてことなしにそう言い切るサチが、首を何度か縦に振ってそう言った。どうでもいいみたいな反応だなおい。

「変われたじゃん竜馬」
「お前がうるさかったからな」
「てか今それ謝る?」
「謝ってなかっただろずっと」

ずっと、謝りたかった。傷つけただろうこと。実は本人はなんとも思ってないだろうけれど、俺自身は嫌だったこと。あの時から、気になってはいた異性に、好感を下げるような行為をした過去の馬鹿な自分と、決別するために。

「謝りたかった」
「そっか...じゃ、いいよ、許してあげる」

サチは俺の顔を見上げて、そう言った。
笑いながらそう言い切るサチを見て、俺も気の抜けた笑みを浮かべてしまった。






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