高校3年間は、中学3年生の頃の1年間よりはあっという間に過ぎていった。あの一年が濃過ぎたんだな、多分。どう考えてもそうだ。
「で、ここにさっき出た代数を入れるでしょ」
「あぁ…なるほど」
私の部屋で、竜馬が数学を解いていた。大学受験がある人はこの時期は大変だ。私はエスカレータ式でそのまま大学までいけるから、受験はない。高校の人は殆どそのまま進むから、今の時期私達の学校は論文を書くことになっている。
博士まで進む人を養成するための学校だから仕方ないけど、これがいかんせんめんどくさいのだ。
化学とか生物とかの理科目系の人達からしたらやりやすいかもしれないけど、数学科の人は本当に面倒。
私は国語が苦手だから、どう説明したら良いのか、どうやれば良いのかが全く分かっていなくて苦戦している。
あぁ殺せんせー…あの時の国語力って大事だったんですね、と亡き恩師に縋りたい気持ちだった。
「ここで出した確率は、個別で出すのか」
「うんうん。あってるあってる」
竜馬は本当に勉強ができるようになったなぁ。中3の頃なんて全然出来てなかったのに。今なんて自分で分からないところがあったら事細かく「ここは理解できた、この後はどうする」って伝えてくれる。
なんだろ、一番身近な人に数学の理解が伝わってくれてるの、ちょっとどころか結構嬉しい。
「…何見てんだ」
「え?」
頬杖をついて、両手を組んでその上に顎を乗せて竜馬を見ていた。ベッドのそばに置いたローテーブルに赤本と、センター試験の過去問を広げて。開かれたページは竜馬の苦手な数TA。
隣であぐらをかいてる竜馬が私の方をチラリと見た。距離の近いその顔に少しだけびっくりして、そのまま笑う。別に今更恥ずかしいとは思わないし。
「ちゃんと勉強してるなぁって」
「受験のない奴は余裕だよな」
「私だって論文あるんです〜」
オラオラとおでこを何回も突かれる。論文があるとはいえ受験生に比べたら心も楽だ。進路は決まってるし、確定してない未来が先にある側からしたら私なんてふわふわしてて羨ましい存在かもしれない。
竜馬の手を握って、おでこからその手を離す。正座していた足を崩してちょっとだけ体を近づけた。高くなった身長と大きくなった背中、別に運動部に入ってるわけでもないのに筋肉がついてる腕。
男らしくなったなぁって、思う。私はどうか知らないけど。まぁ、中学生の頃に比べたら髪も伸びたしちょっと垢抜けた気もするし、ちょっとは成長してると思うんだけどな。
「…休憩する」
「結構解いたね。後2年分じゃん残り」
「まぁ…数学で8割取れたら万々歳だしな」
シャーペンを机に転がして片手で腕を伸ばした竜馬が、その腕を私の首に回して、そのまま引き寄せられる。
近い距離が0になる。私は竜馬の手を握ったまま彼の胸に顔を埋めた。
ドキドキと心臓の音が聞こえる。早くもない音。心地のいい音。はぁ、と息をついて目を瞑っていれば、竜馬がぽんぽんと背中を叩いた。
「…莉桜がさ、海外の大学に行くんだって」
「中村か」
「そう…凄いなあって思ったの」
中3の頃、毎日一緒にいたあの子。ギャルっぽい見た目してるのに心は純粋で、いつも周りを気遣ってくれる優しい子で、でも本当はちょっとだけ弱い女の子。
英語が得意だった。高校に入った後もその英語は変わらずに強く伸ばし続けたまま、彼女は英語を武器に世界へと飛び立つことに決めたらしい。
格好いいと思ったのだ。莉桜だけじゃない。愛美だって、原ちゃんだって、皆皆、あの時に武器にできると分かったものを伸ばして、自分の強みへと変えている。いいなぁ、と思った。私はどうだろう、ちゃんと数学を自分の唯一無二の武器として持てているのだろうか。
「お前も十分すげえだろ」
「え、そう?」
「数学の模試、全国一位何回取ってんだお前。数学者になるってきめてから、将来について明確に考えてただろ」
竜馬が私の背中を優しく撫でながら、そう言った。耳元で聞こえる彼の低い声。握ってる指先が、私の手の甲の骨を弄って来てくすぐったい。
「スゲェよ、サチも。博士進むことまで既に決めてるし、俺も、もう少し具体的に考えねぇとなって思わされるわ」
「そうかな?」
「…おぉ」
だからそんな不安がるな、と言わんばかりに竜馬が私の頭を撫でてくれた。そのまま髪の中に手を突っ込まれて、髪の毛を少しだけ引っ張られる。必然的に上がってしまった顔に、竜馬が唇を寄せて来た。なんて乱暴なキスの仕方。でもそれが、彼らしいと思うところでもある。
「……髪引っ張んないでよ」
そんな悪態も、小さく笑われて無視されて、キスが続く。いつからこんなに男らしくなったのだろう。昔の竜馬は強がりが表面に立っているような人だったのに。
繋いでいた手を離されて背中に回った。キツく抱きしめられて、甘え下手な竜馬にしては珍しいこともあるものだと少しだけ笑う。
お父さんはまだ帰ってこない。最近は勉強を教えるために夜遅くまで私の部屋に竜馬がいる。もちろん、お父さんもわかってくれてるし竜馬の親もわかってる。
流石に、親のいない家で高校生カップルが二人でいたら…とか、中々考えられそうなものだし実際に同級生とか3Eの人たちに言われることもある。
だけど、竜馬が一度私に「高校生のうちは手を出さない」と断言して来たことがあった。
嫌なわけじゃないししたくない訳じゃない。
でもやっぱり、怖いもの。
矢田っちとかひなのとか、莉桜みたいに彼氏ができて3ヶ月以内にしたとか、同級生が大学の彼氏としたとか、そんなことを言われても。
興味がないわけじゃないから少しだけ、羨ましいと思うことはある。だけど、竜馬が何かを覚悟したかのような顔で、そう断言して来たものだから。だから、私の腰でソワソワしてる手だって怖くない。まぁほんの少しだけ、期待しちゃうときもあるにはあるけど。
「マスター、もうそろそろ20時になります」
「あ、律」
竜馬とのキスを終わらせる声。携帯に現れた律が、ふふっと笑いながらそう言った。
竜馬が小さく舌打ちをして唇を離し、腰と頭からも手を離す。
「律、お前真面目すぎだろ」
「マスターには、高校生のうちは手を出さないと仰ったのは寺坂さんです。私はマスターを守る役目がありますから」
「別に変なことしねーよクソ」
机に広がってる教科書とか過去問を片付けて、竜馬がそれをカバンの中に入れていく。携帯の画面では律が笑いながら、私と竜馬の携帯を行き来していた。揶揄うのが好きなんだから。
「じゃ、帰るわ」
「はーい。気をつけてね」
階段を降りて玄関まで向かう。靴を履いて扉に手をかけた竜馬に、手をひらひらと振ってまたねと言えば、竜馬が一瞬口を閉じて黙ったまま私の顔を見つめて来た。
「どうした?」
「…いや、助かった数学」
「全然。いつでも聞いて」
「おう」
本当に背がたかなくなった。元々高かったのに、今なんて顔を見上げるのでさえ首が疲れてしまう。強面な顔だってより怖くなってるし、黙ったままだと不良だ。可哀想に、なんて思っていれば、竜馬が少しだけ背中をかがめて来た。
「ん、また明日ね」
「戸締りしっかりしろよ」
大きい背中に腕を回して、触れるだけのキスをする。リップ音がなったと同時に離れた竜馬に笑顔を向けた。
また明日。迎えに行く、と。
高校3年間毎日のように言ってくれる言葉を告げて、竜馬が家を出て行った。1人になる家に、1人で息を吐いて自分の部屋に戻った。携帯を見れば、律がメッセージを一つ手に持って、それを私に大きく見せてくる。
『後少しで帰るよ』
父さんからだった。
途端に笑顔になる私を見て、律も一緒に笑ってくれた。
「よかったですね、マスター」
「うん。お風呂入れてこよっか」
「はい、マスター」
携帯を持って階段を降りた。竜馬とバイバイした後は、次は父さんを、お帰りなさいと迎えないといけないから。
暖かいおうちに、お帰りなさいって。
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