19.


インターンが始まって早2週間。学生最後の夏休みなわけでもないけれど、折角の夏休みを何故このクソジジイにこき使われながら過ごさないといけないんだ。

大量に持たされた荷物のせいで腰も腕も肩も痛い。家に帰るのも夜遅い。ブラックかよ、よっぽどバイトでこき使われる方が楽だわ。

「あはは、いつも大変そう」
「あのジジイ学生をなんだと思ってんだ…」

サチは大学に籠る事も増えた。家に来る回数は減れど、その度に洗濯やら掃除をしてくれるのでありがたいと思っていた。家ではいつも担当してるから大丈夫だ、と言ってくれた時はさすがだなと答えたけど、いつかはちゃんと交代制にしないといけないと思ってる。

「楽しい?」
「今の所は別に、ただあの時に比べれば大した事ねぇ」

学生だからと議員にこき使われる事は多くある。インターンとして見学に来てるのに、パシリが来たと思われてるんだろうとも理解してるし、それに根を上げて消えてく学生だって結構いる。
ぶっちゃけそれが正しいとは思う。理不尽な事からは逃げるのが一番だと思うから。

でも、あの黄色の化け物に習った事はそんな事じゃない。

サチが手を伸ばして俺の頭に触れた。黒くなった髪の毛を触りながら、優しく撫でてるその手に少しだけ照れて、ローテーブルで頬杖をつきながら視線をテレビに移動した。

冬にはこたつになるこのテーブルで、サチとずっと過ごしてきた。あと一年半で、この生活は終わってしまう。狭い学生用の部屋に、俺以外の物が溢れかえったこの部屋で、サチに何回助けてもらっただろう。

精神力というよりは、絶対的自信があるサチの強さに、何回背中を叩いてもらっただろう。

「…なぁ」
「ん?」

あのタコ野郎は、理不尽な事もある世界で、それでも頑張れ、なんて無責任なことを言ったわけじゃない。そういう事もあると、受け入れろ。理不尽で無情な世界が無くなるわけじゃない、一生生きてる限りは、ぶつかる物だから。

でも、それを乗り越えられた経験がきっといつか、自分達を突き動かすと。

「来年、就活無事に終わったらどっか行かね?」
「え、最高、温泉?」
「決まりかよ」

こいつのそういう所が、楽でいい。
俺の隣に座りながら、笑ってこっちを向いた頬を片手で掴む。潰れた唇がすぼめられて、不機嫌そうに低い声でやめてと言うサチに笑って手を離した。

「まぁ大変だと思うけど、あと1ヶ月がんばってね」
「おう、お前もな。なんか最近忙しそうだろ夏休みなのに」
「教授の論文のお手伝い。ラボには後期から正式配属なんだけど、夏休みの間行かせてもらってるんだ」

流石、としか言いようのない言葉。院に進んで、きっとアカデミーに残って、いつかは自分のラボを作りたいと言っていたサチを思い出す。俺にはない力、俺にはない頭脳、俺にはない自信。それを全部努力で培ってきたサチのそばにいるためには、俺も頑張らないと。

こいつの隣で、堂々とこいつは俺のだと言えるように、俺も努力をしないと。あんなに変わる事に虫唾を走らせていた俺が、よくもまぁこんな人間に育ったものだと思う。

「竜馬、変わったね」

机の上に置いた腕に頬を乗せて、サチがそう言った。そう言うこいつこそ、笑い方が変わった。大人になった顔も、昔より短くなった髪も、少し巻いてるそれも、たまにつけてる香水だって、15歳で出会ったあの頃とはかわってる。

良い方向に、二人とも変わってる。

「お前もな」
「二人で変わっていったね」

変わることが悪いわけじゃない。それに気づかせてくれたのは、目の前にいる彼女。こんなガサツな俺を好きだと言ってくれたこいつが、俺を良い方向に変えてくれた。

出会えて良かったのは、あの黄色いタコだけじゃない。
そう思うぐらいには、俺も丸い人間になった。

「お腹すいた〜なんか食べない?」
「冷蔵庫何もねーわ」
「じゃあ買い物行こ」

立ち上がったサチについていくように、俺も立ち上がる。外は夕方。夜も近い。夏とは言え肌寒くなるから、薄いカーディガンを取り出してサチの肩に掛けてやった。

「ねぇ竜馬」
「ん?」

サンダルを履きながら、俺がかけたカーディガンを握ってサチが名前を呼んだ。部屋と玄関の電気を消して、彼女の近くに立ちながら靴を履く。やけにおとなしい、どうしたと声をかければ、サチは笑いながら俺の顔を見上げて、踵を上げて背伸びをした。

触れるぐらいのキス。可愛らしくちゅっと鳴ったそれ。

「……頑張ってね、あと1ヶ月。おまじない的なやつ」
「がらにもねぇこと……」

少し照れてる頬、赤くなってる顔。照れ屋のくせに、こうやってしてくる所。全部愛おしい。守ってやりたいと今でも思う。

だからこそ、もうナイフと銃を置いて、頭一本で生きていくと決めたあの時に、こいつを守れるような人間に成長しようと思った。
15歳のあの春に、そう誓った。

一歩ずつ近づいてるだろ?お前に見合う人間に、俺はなれてきてるだろう?お前がそう思ってくれているなら、それ以上に嬉しいことはない。





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