目を開けると、保健室にいた。死ぬほど疲れた体の上半身を起こし、俺の顔を覗くように見ていた奴らが安堵の表情を見せた。そんな空気の中、ドアをノックする音が響く。監督生にハーツラビュルの人間、ラギーやチェカのいる中、一人現れたサラダに、全員が驚愕してガン見していた。

「...サラダ、お前来てたのか」
「うん、レオナに黙ってね。サプライズも兼ねて」

何がサプライズだ。

俺はため息を一つ吐いて、顔を片手で覆った。俺の体の上に座ったままのチェカが、キョトンとした顔で俺を見上げる。

「レオナおじたんの、知り合い?」

その言葉を皮切りに、ラギーがキャンキャン騒ぎ始めた。うるせぇ。そう答えれば、ラギーが俺の両肩を掴みながら揺さぶった。

「恋人なんスか!?同じ指輪つけてますよね!?それにこの前も!寮に連れ込んでたじゃないスか!!」
「なっ...!!!男子校に女子を!?」

何を想像しているのか、ラギーのその言葉に他の奴らが赤面した。呆れるな。まだ青臭い奴らしかいないから仕方ない。俺は肩を掴んでいるラギーの手を強引に外した。

「連れ込んでねぇよこいつが勝手に現れた」

その会話を聞きながら俺の近くに寄って、ベッドの端に座るサラダが苦笑を溢した。そのまま俺の左手を掴み、にやりと笑うとサラダが口を開く。

「勝手に現れたって言い方、ひどくない?」

そのまま指を絡めて、引っ張る。周りに人がいるのはわかっているが、別にどうって事はない。どよめきと、ラギーの驚きの声が耳につく。少し前のめりになりながら、サラダが俺の肩に手をおいた。

「そんなことより、お前のユニーク魔法はなんなんだ?」

近くなった顔。サラダの顎に手をやってそうわざとらしく聞けば、ラギーだけではなくその周囲にいた奴ら全員が、顔を赤くした。燃え滾るように蒸気が出てきそうなその表情が、先ほどまでの試合の仕返しと言わんばかりの快感をもたらした。

「...ここでいうの?」
「ちっ...お前ら出ろ」

チェカ、お前もだ。

いまだに俺の体の上に上ったままのチェカが首を傾げて俺の顔を見上げた。サラダと俺を交互に見たチェカは、その目を細くして、そして笑顔を浮かべる。

「おじたんの、大切な人なんだね」

その言葉に、はぁ?と声を出せば、ラギーが堪えきれなかったかのように笑い声を出した。睨んでやろうと視線を上にする時、ふと視界の端に映ったのが自分の一部である尻尾。
無意識のうちに、サラダの腰に巻きついていたそれを見て、チェカがニコニコと笑っていた。

「...チェカ、お前も戻れ。従者も探してるだろ」
「うん!わかった!」

物わかりのいいことだ。俺の上から勢いよく飛び降りたチェカに思わず呻いた後、チェカが扉を開いて去るのをラギーが慌てて追いかけた。

「じゃ、じゃあ先戻りますからね!」

続いて、一年生たちが出ていく。全員出る直前までサラダを物珍しそうに見ていたが、俺の尻尾がゆらりと揺れたのを見た後、慌てたように部屋の扉を閉じて廊下をパタパタと走って行った。

遠くなっていく足音を耳にする。呆れたように俺を見るサラダがため息をついた。

「俺様って感じ〜」
「うるせぇ」

口元に手をやって小さく笑うサラダが俺の手を握り直した。顎にやっていた手を外して、俺も同じようにサラダの手に自分の手を重ねた。
両手が拘束される。指が絡み合い、サラダが視線を俯かせた。

「...祝福のシャワー」

そして、小さく言葉をこぼした。
もう一度聞き返せば、サラダが顔を上げて俺の目に目を合わせた。

「私のユニーク魔法」

サラダのユニーク魔法は、”祝福のシャワー”というらしい。自分より立場が上で自分にとってこの先も良い顧客になり得る人物がサラダを求める時、どんな状態でも目の前に現れる魔法。それを聞いて、商人らしい魔法だと思った。

つまり、俺はいつの日かサラダのいい顧客となっていて、何かを求めて何かを必要としていた、と。

「顧客が満足したら、私は消えるの。だから、レオナが何かを満足しない限り、私は消えることができなかったんだよずっと」
「...俺がお前を呼んで、お前に会うことで満足していた、そういうことか?」
「さぁ...レオナは、私をどうして呼んでるの?」

例えば、今日はどうして?

その声が、沈黙の空間へと溶け込んだ。

いつも、いきなり現れると思っていた。俺が呼んでるわけじゃない、本当に突然、サラダは現れてそして勝手に消えていくのだと。

だけど今日、自分でも感じ取った。サラダに会いたいと、そう願ったその瞬間に、サラダが実際に現れた。あぁ、勝手に来てるわけではなくて、俺がお前を呼んでいたのかと。なんとなく、それを理解した。

絡めていた手を離してサラダの首元に手を伸ばす。長い髪を掻き上げて、首を自分の胸元に引き寄せれば、赤くなった首筋が見えた。

何度も突き刺してできた傷。血が止まりかさぶたになっている。
小さい頃に出会って以来、俺の隣は、俺の存在はサラダだけだった。
行ったことのない国の話、聞いたことのない宝石やその国独自の神話の話。
俺にとったら、サラダと会うことが、世界を広げる手段のひとつだった。

だから、離れるなと願った。
そばにいろと願った。
他の誰のものでもない、俺だけのものになれと。

だから、渡された指輪を左手の薬指につけた。
本当は、自分から渡す予定だった指輪を、いつ渡してもいいように常に持っていた。

「人生は不公平だろ」

サラダの質問に答えたわけではない。
サラダが俺の顔を見上げた。輝くエメラルドの瞳が、かち合った。

引かれるように、手をサラダの頬に伸ばす。顔を近づけて、その目をよく見てみた。あぁ、変わらない。俺と同じ、エメラルドだ。

「だけど、お前がいれば何も考えなくて済んだ」

どう考えても、人生は不公平だ。平等じゃない。どんな立場であろうとそんなもの、全員が思ってることだ。人生は不公平。誰もが、結局は求めているものは手に入らない。それなのに、サラダは変わらずに俺に手を差し伸べた。助けてくれと言った事はない。支えてくれと言ったこともない。それでも、サラダはいつも俺の求めるときに現れて、俺の心を落ち着かせていた。

「お前がいれば、それだけでいい」

そう声に出して言えば、サラダがほんの少しだけ笑顔を浮かべた。サラダの顔が近く。そのまま距離がゼロになった瞬間に、サラダが俺の唇に、唇を寄せた。

「...私は、レオナが満足してくれればそれだけでいいんだよ」

近い距離でのその言葉に、俺は思わず鼻で笑う。
もう一度、次は俺からかぶりつくようにその唇にキスを落とした。後頭部に回した手が、乱暴にサラダの髪を鷲掴みにする。何度も、何度も、角度を変えた。サラダの腕が俺の背中に回った。服をキツく握りしめるその手から、熱い温度が伝わってくる。

ああ、求めているのはいつだって俺だけだと思っていた。自由になりたいと、飛び出したいと、どうせならこのまま、欲を抑えることなく全てを吐き出してしまいたいと。

同じようにサラダの背中に腕を伸ばした。
服を握る。それが合図だったかのように、サラダがまた強く力を込めた。顔を離す。額と額を合わせて、息を整えているサラダを笑ってやった。

「俺の女になれ」
「わぁ、上から目線」

サラダは目を閉じて笑った一頻り笑ったあと、目をまた開いて額を離し、腕を俺の首に回した。

「それを望むのなら。ご主人様」



顧客が求めるものを与えるのがいい商人としてのあり方。
サラダは目を細めて妖艶に笑い、首を傾げた。もう一度、顔を近づける。



求めていたのはお前だった。
祝福のシャワーなんて大層な魔法で、何度も何度も現れるのなら、そのまま俺の隣に居続ければいい。

ただ、ずっと、そばにいればいい。

背中に回した腕に力を込めて、頭ごと抱える。離せない。そう思った。
学校の保健室なのはわかっているが、そんな事は知ったことじゃない。

離せるわけが、ないのだ。
月見酒
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