その麻薬に浸食されていく

 私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。女性は甘い物好きが多い様な印象があるが、私も甘い物は嫌いではない。金銭面の問題から機会は少ないものの、甘味を食べる時間は至福の時だ。

「あ……美味しいですね」
「そうかい?織田作に訊いておいて正解だった」
「……おださく、とは?」
「ああ、私の友人だよ。此処の店を教えてくれたのだよ」

 私達が来ているのは小さな洋菓子店だった。穴場と云うに相応しい店で、席に着いてケーキをつつく私と、それを眺め乍ら珈琲を飲む太宰の他にはあまり人はいない。それでいて中々に美味しいケーキだった。

「ご友人ですか……羨ましいですね……」
「何が?私と仲が良いのが?」
「違います。きっと貴方の扱いに慣れてるんだろうなあって。是非ともお会いしてご教授願いたい」
「云い方に棘を感じる……」
 然し、本心だ。友人に為る位なのだからきっと対処の仕方を心得ているに違いない。一度会って話してみたいものだ。

「まあ、織田作も同じ事云ってたよ」
「?」
「『太宰の奥方か、会ってみたいな』って」
「…………あの、如何云う風に私を紹介したんですか」

 凄く嫌な予感がした。太宰が嬉しそうな声音で云う。

「『私が一目惚れして結婚を申し込んだんだけど、いきなり結婚は一寸、と云う事でこれから毎日逢引(デート)しつつお互いへの愛を育んだ後に一緒になることにした、ちなみに彼女からの提案。でももう結婚は確定だから私の奥さんだよ』って」
「それなりに間違ってますね。一番の間違いは、貴方から見たら間違ってないんだろうって云う事ですね」
「え?……何処か間違ってる処あった?」

 本気で不思議そうな顔をする太宰に、溜め息を吐きそうになるのを必死に押し殺す。


 ―――――結婚は、確定。

 そうなのだろう。この男にとっては。


『期限は何時までですか』
『期限?そんなの決まってるじゃないか』
 この逢引、もとい駆け引きが続くのは何時までだと問うた私に、太宰は笑い乍ら云い放った。


『君が諦めるか、私が飽きるまで、だよ』


「如何したの名前?お腹一杯?」
「……貴方は」
「うん?」
「何故、私と、結婚したいんですか」

 それは最初から在った疑問だった。そう云えばちゃんと理由を聞いていない。一目惚れだ何だは聞いたが、『結婚したい』にそれだけだとは思えない。

「貴方はご自分が『飽きるまで』と云った。詰まり何時かは私に飽きると云う事が判っている。結婚に拘る理由は無い」
「…………二つほど訂正があるね」
 太宰が珈琲を置き、二本の指を立てる。

「私は、君に飽きるまで、と云ったのではないよ。何時までも逢引だけじゃ私が不満なだけさ」
「…………」
「それともう一つ。君は面白いから、飽きるなんて事は無い」
「何故そう云い切れるんです」
「君は自分の魅力に気付いていないんだよ」
「面白さが魅力と、は……」

 フォークを持っている方とは逆の手に太宰の手が重ねられ、言葉は途中で消えていく。太宰が微かに笑う―――この笑顔が苦手だった。見る人が違えば安心するのかもしれないこの笑顔は、何もかもがこの男の思い通りに為って居るのであろう事を想起させる。

「何……で、すか」
「不安かな?誰かと一緒になるのが?」
「…………別に、そんな事」
「君は何時も何かを心配しているね。でも大丈夫――――私がそんな不安など消してあげよう」

 ――――私の物に為れば、ね?

「薄々気付いてるんだろう?もう遅いって。諦めた方が良いよ―――名前」
 
 この人の言葉は麻薬だ。一度堕ちればもう、断ち切る事など出来ないのだろう。首を振り、手の上に置かれた彼の手を払う。

「……それは、残念」
 残念だとは思って居ない声で太宰が云う。

「大体貴方と一緒だったら不安しかありません」
「えっ一寸それ如何云う事?」
「ご自分の胸に手を当てて考えて下さい」
「名前の胸なら手を当てたいなあ」
「頭にフォーク突き刺しますよ」

 会話は何時もの調子に戻り、先程の雰囲気など無かったかの様だ。でも私の胸からこの人の麻薬は消えない。
 もう遅い。その通りなのだろう。この人を相手にした時点で。

 目を逸らすように、ケーキにフォークを刺し入れ乍ら、何故結婚なのかの答えをはぐらかされたことに気付いたが、もう一度訊く気にはなれなかった。

(2016.11.18)
ALICE+