二人の、私の、初めての

(最初のデート)





 私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。不本意ながら一年中脳内御花畑の自殺愛好家でポートマフィア幹部・太宰治と最初の逢引ならぬ取り引きの真っ最中である。
 そう、これは取り引き。取り引きなのだ。逢引などではない。そう自分に云い聞かせ、目の前の風景を何とか受け入れようとする。

 目の前には太宰。目を細めて此方を涼し気に眺めて来るのは止めて欲しい。此方の余裕が無いのが浮き彫りに――――否、違う。余裕が無いのではない。一寸危機感を覚えているだけだ。確かに背中は壁に当たっているし太宰の手が逃げ道を塞いでいるしもう片方の手で顎が固定されてるしお互いの顔は近いし危機感しか無いがそんな危機はこれまでに何度も乗り越えて来たのだ、全くもって余裕だ。

「でも離して欲しい!!」
「えーやだー」
「何してるんですか!!ここ街中!!人居るから!!」
「建物の裏だし人居ないよ」

 うーん逃げ場が無いですね如何すれば良いですか神様。私何か悪い事しましたか。否確かに詐欺師だけれども。
 と、太宰がニコッと笑い、ちょんちょんと私の手を突く。

「……ねえ?」
「何でしょう」
「この手、退け給えよ」

 この手とは何の事だろう。別にこんな状況など余裕な私は何も防いでなどいない。口に両手を重ねているのはあれだ、あの、マスク代わりと云うか。最近風邪流行ってるから。おかげで先刻から私の喋る言葉は若干もごもごしているが伝わればいいのだそんな物は。

「もう……強情だなあ」
「!?」

 太宰の顔が近づく―――と、額に暖かい感触。

「――――!!」
「今はこれで許してあげる」

 その言葉と共に、やっと解放される。……死守は、した。はあ、と息を吐く。
 時計を見ると、まだ二分程しか経っていなかった。何時間も過ごした様な疲れが私を襲っていた。帰りたい。


「名前ってさあ」
「何ですか御花畑幹部」
「誰それ!?私の事じゃないよね!?」
「間違えました。で、何でしょうか」
「…………んー、否、何でも無い」

 私達はあれからのんびりと(私はややぐったりしながら)川の近くを散歩していた。逢引と云うには何とも簡易な物だが、今日は休日では無いのだ、本来はそんなに時間も無い。と云うか私よりも隣の幹部の方が忙しい筈だろうに。

「ああ、此処は……」
「?……何です?」

 ふと、太宰が脚を止めた。其処は広めの河川敷。……何処か見覚えのある場所だ。此処が何だと云うのか。隣の太宰を見て問おうとした。

 然し、その問いが言葉に為る事は無かった。

「良い川が有ったらする事は一つ!」

 阿呆な掛け声と同時に、何かが水に落ちる音がした。

「……は?」

 思わず声が出る。目の前を流れている川を見た。黒い塊が流れていく。

「――――――――――!!」

 正直に云うと、何を叫んだのかは覚えていない。
 覚えているのは私の隣から入水を図った莫迦を追い、私も川へ飛び込んだ事だ。



「何をしてるんですか!!」
 河川敷へとその体を引っ張る。水は冷たくて、肌に服を張り付かせて気持ちが悪い。
 引き上げた男は息が無く、焦りが頭の中を支配していた。

「―――っ!もうっ!最悪!」

 悪態を吐く。迷っている時間は、無い。
 自分の口を、太宰の口に合わせる。そして其の侭自らの息を吹き込んだ。



「…………う」
「……!」

 太宰が呻いたと思うと、咳き込んで水を吐き出す。
 あれから、心臓按摩(マッサージ)を繰り返していた私の息は上がっていた。

「名前……?」
「莫迦!!莫迦ですか貴方は!?」
 気付けば叫んでいた。何故か目頭が熱い。
「自殺するなら他所でやって!!私の前でやらないで下さい!」
「……ごめん」
 太宰が私の目を見て云った。不意に、手を伸ばしてくる。私の濡れた髪をかき上げ、そして目の下に触れる。
「ごめんね?名前。泣かないで」

 ―――――泣いてる?私が?

「泣いてません」
「……そうだね。ごめんね。君なら助けてくれるって思ったのだよ」
 笑う太宰に、何を、と思う。そして思い出す。
「……ああ、貴方、見てましたもんね。貴方も飛び込もうとしてたけど」
「え?」
太宰が目を見開く。
「……知ってたの?」
「……?ええ。貴方、私が入水しようとしてた人を助けた時、居ましたよね。あの時はやめたみたいなので気にしなかったんですけど―――ああ、そう云えば、此処」

 此処は、あの時の場所かと思い出す。
 そう云えばあの時も必死だった。助けなければならない人がいて、入水をやめたらしい青年に構っている余裕など無かった。
 回想していると、驚いていた太宰が不意に肩を震わせ始めた。

「…………ふふふ、ふ、ほんとにさ、君は。不意打ち、なんて」
「?」
「……何でも無いよ。それにしてもさ、名前」
「何ですか……うわあ厭な笑顔……」
「心の声が出ているよ……でさあ名前」
 だって本当の事ではないか。この男がこんな風にニヤニヤしている時に碌な事は無い。

「名前から接吻(キス)してくれるなんて、嬉しいな」

 ………………………。此奴、実は意識があったのではなかろうか。

「人工呼吸です」
「口と口が合っただろう!それはつまり!」
「人工呼吸です」
「もー先刻と云い本当強情だなあ名前はー」
「人、工、呼、吸、です!」

 力いっぱい叫ぶ。太宰がやれやれと首を振った。五月蠅いあんな物ノーカウントだ。断じて認めない。接吻じゃないのだあれは、不可抗力だ。

「……だったら、」

 と、顔に影が過った。

 太宰が頬に触れてきて、と云うか顔が近い、と云うか何で近付いて―――。

 ――――唇に、何か、温かい――――と考えた処で、完全に思考が止まった。

 触れるだけの口づけは、数秒間続く。

「これで、如何?」

 唇を少しだけ離して太宰が云う。其の侭少しだけ自身の唇を舐める様子が如何しようもなく色気が有って、ああ、もう、本当に。

「………………………………」
「痛っ!?ちょっ、名前一寸待って無言で叩くのはやめてくれ給え!痛い!」
 最低だ。本当に最悪な気分だ。叩いていると二人の体はもう少し離れた。
「名前?……ねえ?」
 首を振り、返事が出来ない侭、手の甲で口を拭う。

「名前……顔真っ赤」
「……っ!!」
「へえ……」
「何ですかっ!!」
「何って」

 太宰の肩を全力で押す。含み笑いをしながら今度こそ体を離す彼が囁いていった言葉が、私に投下された最後の爆弾だった。


「だって、初めてだったんだろう?」


 その日、川を通り掛かった通行人が云うには、顔を林檎の様に真っ赤にさせたびしょ濡れの少女が、同じくらい濡れている包帯だらけの青年に、絶叫しながら平手打ちを食らわせていたとの事だった。天気の良い昼下がりの事であった。

(2016.11.23)
ALICE+