次は多分逃げられない

(ほんのりR-15描写あり、苦手な方は注意)





 私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。突然だが二度寝とは何て素晴らしい物なのか皆様は考えた事がお有りだろうか。起きるにはまだ早い。然し寝てしまえば確実に寝坊する―――そう云う状況でも、ふかふかと自分を捉えて離さない布団の魔力に身を委ねてしまう人は多いのではないか。

 まあ、私は割と二度寝は好きだがそんなに出来ない型(タイプ)の人間で、一度目が覚めてしまうともう眠る事が出来ない。それは私が幼い頃から薄い布団に眠って居たからであり、その布団を寒くはなくとも暖かいと感じた事など無かったからだろう。
 だから……まあ、偶には良いだろう。こうして二度目の就寝に身を委ねるべくうとうとしてしまう日が有っても。今日の布団は何故かとても暖かくてまるで生きている様だから、つい―――?あたたかい。いきている、ような?

 顔を上げた。自分を包む様に抱き込んでいる正体と目が合う。ニコニコと何時もの良い笑顔。
「おはよう、名前。良い朝だね」
 にこっと笑い返す…………訳も無く、私は静かに拳を握った。



「……殴らなくたって良いじゃあないか」
「五月蠅い黙れ」

 太宰を渾身の力で殴打した私は、布団に潜り込んで居た変態男から数米(メートル)の距離を取っていた。
 何時も通りの黒いスーツ、ただし外套と上着とネクタイは無い―――この男よくそれで添寝したものだ―――太宰は膨れっ面である。その表情に腹が立つ。

「大体如何やって這入ったんですか!」
「鍵はちゃんと閉めなきゃ駄目だよ?」
「閉めましたよ!?」
「針金一本で開く鍵なんて鍵じゃないよ」

 片手は殴られた頬に当て、平然と云い乍ら太宰がもう片方の手をひらひらと振る。ああそうですかと真面な返事を諦めた。他にも何故私の自宅を知ってるのかとか訊きたい事はあったが何と無く答えは察していたのでやめておいた。

「そっちこそ何がそんなに恥ずかしいんだい?夫の同衾を嫌がらないでくれ給えよ」
「同衾なんておぞましい言葉を使わないで頂けますか自称夫の強姦魔」
「待って!?私何もしてないよ!?君の家に迎えに来て呼び鈴鳴らそうかと思ったけど思い留まって自分で開けて君を起こさないように添い寝してただけだよ?」
「充分ですよ!何だ『思い留まって』って!!何にも留まって無いでしょうが!!て云うか今何時だと思ってるんですか!迎え早すぎるから!」
「本音を云うと君の寝顔見れれば良いなって。大体何時まで寝てるか知ってるからね」
「永遠に眠って下さい貴方が!」

 はああと長い溜息が出る。朝っぱらから疲れてしまった。その様子を見ていた太宰がふと、と云った感じで問いかけてくる。

「……君さあ」
「…………何ですか今度は……っ!?」

 目を向けると、何時の間にか近くにいる太宰に息を呑む。
 以前もこんな事があった。この男のこう云う処も苦手な処の一つだ。然し今問題なのは其処ではない。近い。思わず自分の長いワンピース型の寝間着の裾を抑える。

「―――男慣れ、してないよね」
「………………」

 思わず目が泳ぐ。何時かの様に、然し今度は座ったままだ、じりじりと後ろに追い詰められる。

「……はは、何云ってるんですか。私は結婚詐欺師ですよ。数々の男を相手にしてきた女ですよ」
「だよねえ。この前接吻位で騒いでた気がするけど気のせいだよねえ」
「あははははそうですよその通りですから離れて下さい近い近い近い」
「…………ねぇ、名前」

 ――――ぞくり、と悪寒が奔った。揶揄われているのかと思って居た私は、目の前の男の雰囲気が、それと正反対であることに今更気付く。
 此方の背中が壁に付く直前、太宰が手を伸ばし、腕を掴まれる。力任せに引っ張られ、私の体は畳に押し付けられた。
 思わず伸ばした手は絡め取られた―――其の侭密着してきた体が熱くて混乱しそうな頭を更に掻き乱す。

「……ふふ、焦ってるねえ?可ー愛いーなー」
「一寸!離れて下さい!」
「名前」

 太宰が少し体を持ち上げ、視線を合わせてくる。妖しい光を湛える瞳が私の目を捉える。

「君は今まで、十数名の男を騙してきた―――否、結局失敗しているのだからその云い方は正しくないかな」
「…………何を」
「体まで使う事に抵抗が有った君は、自分が若いのを良い事に、接吻やそれ以上の体上の関係を拒んでいた。『貴方との初めては大事にしたい』とか云っておけば今まで君が相手してきた男なら簡単に信じるだろうからね」
「…………ええ、そうですよ。それが何か」


 何の反論も無かった。太宰が云った事は事実しか無い。

 これについては上司と話した事が有った。お人好しな上司は―――詐欺師なんて全く向いていない上司は―――君が嫌なら、それをする必要は無い、と云ってくれた。

「それが一体何だと云うんですか」
「…………君には、判らないだろうねえ」

 太宰の口が緩やかに弧を描き、耳元に寄せられた。声が漏れそうになるのを必死で抑える。

「それを知った時の、私の歓喜が」
 何かを云おうとする。でも言葉に為らない。出来ない。
「まだ君は誰にも染まっていないのだね、可愛い詐欺師さん」

 首筋に口付けが落とされる。其の侭、ぬるい、湿った感触が首を這う。

「……っ、んっ」
「…………名前」

 熱が籠った声で呼ばれる。その手がするり、と下がり、寝間着越しに私の太腿を緩く掴んだ。拙い。拙い事は判る。
 然し声が出なかった。何故か体中が自分の物じゃ無いみたいに動かなくて、太宰の手を振り払う事が出来ない。恐怖、恐怖だ。それ以外に理由は無い。

――――でも、じゃあ、今、迫り上がってくるこの熱は―――?




――――――――――ピリリリリリリリッ、と、出し抜けに電子音が響いた。


「………………」
「……ほ、ほら電話ですよ」
「………………」
「仕事だったら如何するんですか」
「………………」

 電話に罪は無いと思う。だからそんな親の仇を見る様な目で見ないであげて欲しい。やめて舌打ちしないで下さい怖いから。


 ―――如何やら本当に仕事だったらしく、厭そうにする太宰を何とか説得して、彼は渋々帰ることに了承した。放り出されていた外套やら何やらを渡す。

 今日はもう一日仕事だと云う事で、少しだけほっとした。時計を見ると、数分しか経っていない。もっと長い時間だった様に感じられた。まだ朝じゃないか……と溜め息を吐く。――――――と、

「――――運が、良かったね」

 後ろから聞こえてきた声に固まる。少しは離れている筈なのに、至近で囁かれている様な錯覚を覚える。

「また明日、『私の』名前」

 僅かに強調された言葉が頭の中まで響いてきて、後ろからガチャン、と戸が閉まる音がするまで動けなかった。その場に崩れ落ちる。

 自分じゃない様だった。動けなかった体も、出なかった声も。震える体はまだ恐怖を訴えていて、でも―――それ以外の感情まで覚えている。
 
 それがまるで、浸食されて居る様で。自分の顔が紅潮している事にも気付かず、熱が冷めるまでその場に座り込んでいた。

(2016.11.23)
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