その隠し味は秘密です

 私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。結婚詐欺師と云うからには矢張り要になってくるのは女子力と云うものだろう。それは見た目だったり、気立ての良さだったり、家事全般だったり、人によっては教養とか云い始める奴もいる。

 其処で必ずと云って良い程上がるのは、料理だ。全く何故皆料理などしたがるのだろうか。今の世の中、そんな事をしなくても物は食べられる。何故態々調理などと云う面倒な過程を経るのか。カップ麺生活の人を見習おう、皆。

「つまり名前は料理出来ないのかい?」
「誰もそんな事云ってないでしょう」
 出来ない訳ではない。しないのだ。その過程が勿体無いと思うからだ。断じて料理が苦手だからでは、無い。

「大丈夫だよ名前。一緒に料理しよう、一緒に!二人で!」
「その前に一つだけ訊いても良いですか太宰治」
「何だい何時まで経っても名前で呼んでくれないお嫁さん」
「何故、また、私の家に居るんですか」

 挟みこまれる戯言は無視して問いかけると、座布団を引っ張り出し、勝手に寝転がって寛いでいた不法侵入者は、よっこいせっと起き上がった。客用の座布団を汚すのはやめてほしい。

「だって連絡しても、名前出ないんだもの」
「午前中は仕事と云った筈ですが」
「やだなあ怖い顔しないでよ。狙って来たなんて事ある訳無いじゃないか」
「マフィアの幹部って暇なんですね。平和で良い事です」

 部屋内を変に物色されていないか気になったものの、もっと気になった事があった私はそれ処では無かった。
 太宰の脚元にある購い物袋。その中に這入っているのは―――。

「…………食材、が色々……」
「名前の手料理が食べたいなあって思って来たけど、変更だ」
 思わず声に出してしまった。太宰が此方を見てにんまりと笑う。
「と云う訳で改めて。一緒に料理しようよ」



「……意外と普通の物購ってる……」
「そうだよ?何だと思ったの」
「いやマフィアの幹部の購い物なんて想像できませんよ」
 何を購って来たのかと思えば、袋の中身は普通の食材だった。人参やじゃが芋。糸蒟蒻。玉葱に、牛肉。

「肉じゃがですか……?」
「その通り!いやあ、定番だけど味わい深いよね」
 太宰はその材料を一通り購入してきた様子で、その他にも野菜やら何やら這入っていた。それらを確認しつつ立ち上がる。

 自宅の台所に二人で立つ。少し奇妙な気分だった。
 手を洗いながら、隣の男をそっと見る。太宰は鼻歌を歌いながら、楽し気に元々捲っていたスーツの袖を更に捲る。
 エプロンを身に着け、……待って、何処から出した此奴。然し最早突っ込むのも面倒くさい。妙に似合っているのも腹立たしい。

「じゃあ先ずこれ洗ってくれる?」
「はい」
 取り敢えず指示に従い、着々と進めていく。太宰が作業しつつ、指示を出して、私がそれを熟す。

 いつもより穏やかな時間が過ぎた。思えば顔を突き合わせる度に騒いでいた。二人でこんなに静かに過ごした事など無い。

「…………」
「……?」
 と、何か視線を感じた。顔を上げて太宰の方を見ると、目が合う。
「何ですか?」
 訊くと、太宰は苦笑して何でも無いと答えた。彼もこの静かな空気に違和感を感じているのだろうか。

「否、私の云う事聞いて一生懸命料理する名前が可愛くって」
「ついうっかり其方に手が滑って刺しそうなのでやめてもらえますか」
「包丁で心中するのも中々……然し痛いのは厭だし……」
「そのグツグツ云ってる鍋に頭突っ込んだら如何ですか?」

 軽口を叩き合いつつも、矢張り何時もとその空気が違う物があった。手を動かしながら、偶にはこんな時間も悪くない、かもしれない、と少しだけ思った。




「……訊いても良いですか」
「どうぞ?」
「何故こうなった」

 目の前に広がる光景はとても現実とは思えない。目の前には鍋。丁度良い具合に煮込まれた具材が良い香りを放つ。多すぎたかと心配した水加減も良かった様だ。鍋の中に出来上がっているのはとても美味しそうな肉じゃがだった。


 ―――――ただ一点、緑色である事を除いては。


「何入れたんですか!?貴方の血でも入れたんですか!?」
「何を云うんだい名前!!料理に血なんか入れないよ!?飲ませたかったら直に飲ませるからね私は!」
「色に突っ込め!!色に!!あと変な性癖を云うな!!」
 ああ、矢張りこうなるのだ。油断していた私が悪いのだ。

 目の前の悍ましい料理は、然しその香りだけは肉じゃがの素敵な香りで、それが逆に恐ろしかった。なんだこの物体。

「ふっふっふっ……これぞ私が開発した調味料―――」
 
 太宰が得意げに胸を張る。ひらりとエプロンがはためいた。

「―――『三日間眠らずにいられる緑の秘薬』!!」
「麻薬か毒薬の間違いでは!?と云うかいつ入れた!!」

 油断も隙もあった物じゃ無い。……と、太宰が近づいてきて、その手には、小皿が……――――其処まで認識した私は後ずさる。

「さあ、試食をしてみ給え」
「厭だ!死にたくない!」

 完全に殺す側と殺される側だ。何と恐ろしい。これがマフィアと云う奴か。

「死ぬ訳無いじゃないか。君の三日間起きている姿が見たい私の愛情が詰まっているのだよ?」
「そんな仄暗そうな隠し味要らないです!!」
「眠ろうとしても眠れなくてだんだんストレスが溜まりつつ起きてる姿ってこう……そそるよね」
「仄暗いを通り越してどす黒かった!!」
「さあ、ほらほら」
「厭です!!」

 私が全力で叫ぶと、太宰は諦めた様に溜め息を吐いた。
「もう……判ったよ……折角作ったのに……」
 引くのがいつもより早く、違和感を覚えるが、まあ、今は些細な事だ。命の無事を喜ぼう。
 片付けるから休んでて、と云う太宰に台所を追い出された私は、そう思って息を吐いた。


「……あれ?」
 少し経ち、台所から変な声が上がる。
「……ねえ名前、これさ……」
「ああ、それは……って何で持ってるんですか、冷蔵庫開けたんですか?仕舞う様な物有りましたっけ」
 材料はほぼ使い切っていたと思うのだが。然し太宰は首を振った。

「否、君が残した物とかあったらそっちに仕込もうと思って」
「………………何を?とか訊きません。もう突っ込まない」
「そんな事よりこれ」

 太宰が持ってきた皿。それが何だと云うのか。企みをあっさりばらしてしまう程衝撃だったのだろうか。
「……だから云ったでしょう。料理が出来ない訳ではありません」
 その皿には肉じゃがが盛られていた。私が作ったものだ。
「……騙す相手にでも作ったの?」
 太宰が何処か不機嫌そうな声で訊いてくる。私はその問いに首を横に振る。

「割と肉じゃがは人気が無いのですよ。在り来たりだとか、知ってる味と違うからとか」
「……ふぅん」
「それに……下手でしょう、それ」
 不格好に切られた材料。煮込みすぎた具。作ってはみたものの、矢張り自分に料理など向いていないと確信するしかない出来上がりとなっていた。
 出来栄えのみで云えば、二人で作った物の方がまだマシだろう。

「………………」
「如何したんですか?」
 じっと手元の皿を見ていた太宰は、不意に微笑んで云った。

「名前。私これ食べたい」
「えっ……いや、隠しても仕方ないから云いますけど不味いですよ、それ」
「良いから良いから」
 云い募る太宰に、仕方なくそれを温めなおす。折角だしと、二つに分ける。

 食卓で、一口目を口に運ぶと、太宰がクスッと笑った。

「ほんとだ、美味しくない」
「だから云ったでしょう……」
「でも、美味しい」
「……何ですか、それ」

 それを食べる間、太宰はずっと、「美味しくない」と「美味しい」を繰り返していた。
 美味しくないのだったら食べるのは止せばいいのに、結局太宰は、残さず食べきり、

「ご馳走様」

 そう云って、一寸だけ笑った。

 私はその表情をこっそり盗み見る。私の料理を美味しいなどと云った人は初めてだった。云ってくれそうな人は浮かぶが、そう云う人には評価が怖くて手料理を振舞った事など無い。

 私は少し目を逸らし、小さな声で云った。

「……………り…とう」

 聞こえない様に云った心算だったが、太宰は私の方を見て、また静かに微笑んだ。

(2016.11.30)
(2016.12.01加筆・修正)
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