私は詐欺師、譲れないの

 私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。


 ―――そう、結婚詐欺師なのだ。


「……あの、ですから之は私の仕事で」

 必死に説得を続ける相手は太宰治―――ポートマフィア歴代最年少幹部の肩書を冠する男だ。然し今はそんな肩書が冗談に見える程、拗ねた子供の様な表情である。

「だから、そんな仕事辞めればいい。私が面倒見るって云ってるんだから」
「それでは事務所の皆が困るんですよ!」
「どうせ君の掴んでくる利益なんて雀の涙程なんだろう?辞めたって何にも変わらないよ」
「うううううう五月蠅いですよ!」
「名字君……動揺が滲み出てるよぅ……」

 私達の傍では私の上司が―――此処の所長である―――オロオロしている。
 そう、此処は私の職場。事務所の一画だ。

 要約すると『彼女は自分と将来を誓ったから結婚詐欺なんて辞めさせろ』、と云う主張を片手に乗り込んできたマフィア幹部に、事務所は一寸したパニックに陥ったものの、今では少し落ち着き、皆は通常業務へと戻って行った。……ちらちらと向けられる視線が痛い。

「大体本当に詐欺師の事務所なの、此処。普通の仕事してる様に見えるけど?」
「市の皆さんの困り事を解決するお仕事です」
「……君達は詐欺師なんだよね?」
「勿論解決すると見せかけて騙し、儲かると云うのが本当の仕事ですよ!」
「成る程、そして出来ていない、と」
「…………処で貴方こそ仕事は良いのですか太宰治」
「名字君……」

 この男に口で負ける事などもう慣れた。だからもうこんな事で心が折れたりなどしない。しないのだ。断じて。

「……あの、太宰、さん?」
 上司がおずおずと口を開いた。相手は私と同じ十八歳と云う若さとは云え、マフィア。しかも幹部。声が若干震えている。

「―――――――何か?」
 太宰が冷たい声と笑みで答える。先程の子供の様な表情は何処へ行ったのか。

「……確かに名字君がしている仕事は、貴方からして見れば気に入らないでしょう。然し我々は―――名字君が居るからこそ、我々はまだこの事務所を続けていられるのです」
「所長……?」
「…………」
 真剣な声音で訴えかける上司の声を、太宰は黙って聞いている。

「確かに我々は詐欺師としては失敗ばかりの集団です。名字君も正直結婚詐欺師には向いていない」
「ちょ……所長!?」
「然し、我々が彼女に支えられているのは事実なのです」

「それが?」
 冷たい声が響く。太宰が笑みを消し、無表情で云い放つ。
「何だと云うのでしょうか?」
「…………彼女は失敗したと云って残念そうにしながらも、何処か……安心していた様でした」
「!」
 驚き、そして気不味くなり目を逸らす。
 気付かれていたのだ。私が相手を騙しきれなくて、内心、本当は喜んでいた事に。

「本当は結婚詐欺師なんてやりたくないんだろうと、ずっと思っていました。でも彼女は我々のために続けてくれていたし、僕は、我々はそんな彼女に励まされていた」 
 そう云えば、結婚詐欺を辞めても良い、と云われた事はあった。然し私は頑なに拒否した。此処に居たいから。此処で働きたかったから。

「……だから、辞めさせないで欲しい、と?」
「結婚詐欺を、とは云いません。でも彼女が此処で働き続けるのは、許していただきたい」
「…………所長」
「詭弁ですね。貴方達は利用しているだけだ。彼女に絆された者は結局彼女にまた縋る。そうやって長い目で見れば利益は出ている」
「……それが非効率な事は判る筈だ。貴方は彼女を自分だけの物にしたいだけだ」

「その通りですが?最初から云っているでしょう?」
 太宰が何を今更、とばかりに嗤う。
「何なら、実力行使でもしましょうか?」


 ――――――――堪忍袋の緒が切れたのはその時だ。


「嗚呼もう!何なんですかあんたらは!勝手に決めるな私の人生を!!」


 力任せに机を叩く。大きな音と共に乗っていた書類がふわりと舞った。
「そうですよ!向いてませんよ私は!でもそれで良いじゃ有りませんか!?」
「えっ?名字君?」
 上司が驚いた様だが知った事か。最早やけっぱちである。
「誰かが励まされてるとかいないとか心底如何でもいいんですよ!」


 ――――――私達は、社会のあぶれ者だ。普通の仕事などもう出来ない。

 だからという訳でもないが、この場所が気に入っていた。真っ当な方法で作られた事務所ではないから、普通の事務所にすればと思っても、出来ない。それなのに、犯罪者の集団なのに、結局人を助けてしまう人たち。自分が、自分達が光の中にいる様で。錯覚だと笑われても構わなかった。

 私達は結局、此の侭生きていくしかない。
 だからこそ、此処は私達の家だった。例え世間に後ろ指を指されるものだったとしても。


 両親が死んで、居場所が無くなった私の、唯一の居場所だから。


「私は、結婚詐欺師の、名字名前です!他の何処でもない、この、事務所の!」


「…………はあ」
 太宰が溜め息を吐いた。何時もと逆の立場の様だ。
「…………これまで通り、体を使った仕事はしない事」
「…………」
「触れるのも禁止」
「えっ、一寸それは」
「……」
「はいごめんなさい」
 不平を云うと返ってきた視線に思わず謝る。マフィアが一般人を睨んではいけないと思う。

「それと、……絶対に何時かは辞めてもらうから」

 渋面で云う太宰の言葉に歓声が上がった。見ると事務所の面々である。
「一寸!!何聞いてるんですか!」
「お嬢が辞めずに済んだぞ!」
「良かった……本当に良かったです名字さん……」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ事務員達を止めようと向かい乍ら、私は頬が緩むのを抑えられなかった。




 名前が事務所の面々を鎮めようとしている。その表情は呆れながらも、とても穏やかなものだ。
「…………」
 彼女のその姿は初めて見る物だった。その笑顔と言葉に、少しの嫉妬と憧憬が浮かぶ。

「ありがとうございます」
 安心した様な声に振り返ると、この事務所の所長が微笑んでいた。
「……彼女があの様子なら、今、無理矢理辞めさせるのは適当ではないからです。誤解しないで頂きたい」
 少し睨む様にしながら云うと、所長はまた肩を震わせた。

「そ、そうですか……然し」
 震えながら、然しその目は真っ直ぐ此方を捉えた侭だ。
「彼女の気持ちを尊重して下さったんですよね」
「…………」
 少しだけ顔を顰める。この素直すぎて真っ直ぐな人物は、正直に云うと苦手だった。

「……彼女は、自分が詐欺師でなければいけない、と思っているのです」
 ぽつり、と落とされた言葉に、少しだけ目を見開いた。
「そうでなければ、此処に居場所は無い、と。勿論、そんな筈は無い。でも彼女には、まだそれを信じられる余裕が無いのでしょう」
 その目が名前に向けられる。その表情は少し寂しそうでもあり、悲しそうでもあった。
「だから、彼女が、自分から辞めると云える様になるまで、待ちたいと思ったんです。そうしないと彼女は、居場所を奪われたと思ってしまうでしょう」

 先程の彼の説得は、事務所の為の様にも聞こえる。然し一番は、まだ此処に居たいと考える彼女の事を思っての物だった。

「太宰さん。名字君が如何云う選択をするかは判らない。でも……彼女のあんな表情、初めて見ました。あんなに、貴方に素の自分を見せて」
「…………」
「何時か……彼女が自分の意思で、結婚詐欺を辞める事が出来るまで」
 所長が深々と頭を下げた。まるで、父親の様な顔だ。


「名字君を、よろしくお願いします」
「…………はい。勿論です」


 そんな二人の会話を、泣き笑いする同僚たちを鎮めるのに精一杯な名字名前は知る由も無いのだった。

(2016.12.03)
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