真っ白な指輪を君に

 私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。今は喫茶店に入り、逢引中だ。それもあのポートマフィア幹部とではなく、普通の一般人と、である。

「えっ、名前さんも其処の出身でしたか……!いやあ、嬉しいなあ。こんな処で同郷の方にお会いするとは」
「ふふ、私も嬉しいです。横浜は素晴らしい処ですが、故郷からは遠くて何だか心細くて……」
「判ります。ひょっとして……運命かな……なんて」
「……!や、やだ、恥ずかしいですよ」

 態と顔を赤らめて見せる。他の奴には照れている様にしか見えないだろう。向かいに座る男もデレデレとしている。単純だ、情報通り。同郷?私は横浜生まれ横浜育ちである。

 ――――――そう。私は今「本業」の真っ最中だ。




「上手く行きましたよ。この分なら直ぐに付け入る事が出来ます」
『頑張ったね!じゃあ今日は事務所寄らずに帰って休んで良いよ。詳しい報告は明日で良いから』
「ありがとうございます……では」

 上司への報告を終え、ふぅ、と息を吐く。仕事の終わりに溜め息を吐いたのなんて久しぶりだ。……否、そもそも、此の処、事務所での仕事が多く、この「仕事」自体が久々な物だった。
 だが、如何も身が入らない。……それが誰の所為かは明白で、だからこそ余計に腹が立つ。

 其の侭席を立とうとした時、私の携帯が鳴った。

 表示された名前を見て顔を歪めそうになるのを抑え、荷物を持って化粧室に向かう。

「……はい。名字ですが」
『あ、減点だなあ。名字じゃなくて太宰でしょ』
「何のご用事でしょうか無いですよね切りますよ」
『あっ一寸待った!待ち給え!切らないで!』

 慌てた様な声に、渾身の力で押しそうになったボタンから指を離す。

「何ですか。午後は仕事だと云ったと思いますが」
『覚えてるよ。上手く行ったようだね?良かったじゃあないか』

 何処か皮肉気に聞こえる賛辞に、矢張り、と心の中で溜め息を吐いた。
 会計はもう済ませていたので、化粧室から出て其の侭店を出る。辺りを見回すと直ぐにその男は見つかった。喫茶店がよく見える、近くの建物の壁に、寄りかかる様にして立っている。
 太宰の方はとっくに私を見つけていて、此方を見ながらひらひらと片手を振っていた。



「見事な手腕だよねえほんと」
「ありがとうございます。声と目が全然褒めてません」
「褒めてるよ。あんな判りやすい詐欺に引っかかる男を見つけてくる君は凄いなあって」
「ありがとうございます。お礼にこのストローでもう片方の目を潰しましょうか」

 あれから違う店に入り直し、飲み物を注文したは良いが、太宰は先刻からこの調子である。テーブルに突っ伏して、不機嫌さを隠そうともしない。私も何時もの調子で軽口を返すものの、内心は少し怯えていた。

 不機嫌な理由は判る。其処まで鈍感ではない。でも仕方ないじゃないか、仕事だってこの人も知っている筈だ。と云うか詐欺師として働く事を了承したではないか。渋々だった気もするけど其処は見て見ぬ振りだ。
 此処は、云うしか、無い。勇気を振り絞り声を出す。

「あの」
「……何だい」
「あの、何でそんなに怒って……」
 違う、間違えた、何でかは判っている。云いたいのはこれではない。
「……それ、判っていて訊いてるよね」
 太宰の声も若干低くなった。一寸目を逸らす。

「……私も訊きたい事が有るんだけど」
「……何でしょう」
 不意に問いかけられる。視線を戻すと、突っ伏しながらも此方を見る太宰の目は真剣な光を帯びていて、私も思わず居住まいを正した。


「監禁と軟禁、どっちが良い?」

 
 如何しよう、耳を塞ぎたい。


「……は?え?」
「どっちが良い?そう云えば訊いてなかった、私とした事が」
「いや何方のした事が!?……あっ……否、何ですか、急に?」
 いやあうっかりと首を振る太宰に叫ぶ。店内で大きな声を出してしまった事に気付いて慌てて声を潜めた。否、一体何なのだ。何をいきなり物騒な話を持ち出して来たのか。

「ほら、お持ち帰りした後さあ、監禁するか軟禁するかで変わって来るじゃないか」
「ごめんなさい違いが判らないです」
「違いは明白だよ?先ず……」
「聞きたくないです!大体どっちも犯罪ですよ!は・ん・ざ・い!」
「何か云ったかい結婚詐欺師さん」
「何でもありませんごめんなさい」
 勢いの侭謝ってしまった。と、太宰が先程の表情とは真逆の笑顔を浮かべ、此方を上目遣いで見た。中々可愛らしい物なのだろうが私には精神を逆撫でされる代物だ。

「名前、監禁にする?軟禁にする?それとも……」
「何だその新妻風!!可愛くないですからね!?て云うかまだあるんですか!?」 
「……しまった、三つ目が思い浮かばない」
「其の侭しまっといて下さいずっと!その碌でもない頭に!」
「あたま…………はっ………………洗脳?」
「無駄に怖い解答叩き出さないで頂けますかマフィア幹部!!」
「洗脳…………名前を洗脳……」
「『良いかも』って顔をするな!」
「むぅ、面倒になってきたねえ……」
 笑みを引っ込め、唇を尖らせて太宰が云う。否、面倒なのはこっちである。それに小声で怒鳴るという荒業を連発した所為で喉が痛い。人が少ない店で良かった。

「……矢っ張り、無理にでも……」
 太宰が何かぶつぶつ云っている。その目は此方の手――――左手を捉えていて、判りたくないのに何を云いたいのか判ってしまった。


『今君に贈ったって着けてくれないんだろう?』
『当たり前です。邪魔です』
『仕事の?』
『否、私の人生において邪魔です』
『外したら爆発するもの作って貰おうかなあ、特注で』
『止めてくださいよ!貴方も巻き込みますよ!』
『えっ、それって詰り心中かい名前!?』


 中々に莫迦な会話を思い出してしまった。少し頭痛がするが気にしては居られない。

 左手を見る。勿論その薬指には何も嵌っていない。そんな物、着けたら「仕事」に差し支える。

「……云っておきますけど、また指輪の事だったら―――」

 云いかけた声が止まった。太宰が身を起こし、ひょいっと私の左手を取ったからだ。ごそごそと何かを取り出して、其の侭、その薬指に巻き始める。

「……え、一寸……」
「…………」
「何してるんですか、離して下さい」

 抗議するも中々手は離れない。これは振り解くべきだろうか……と思っていると、不意に手が解放された。

「……代わりと云うべきか……私の気休めに近いけれど」
「……これは……」

 左手の薬指を見る。其処には、白い包帯が巻かれていた。付け根に近い部分に、くるくると丁寧に巻き付けられ、確り結ばれている。引っ張ってはみるものの、これは解けない結び方だ、と直ぐに悟る。
 怪我をしている様に見える。と云うより、知らない者が見たらそうにしか見えないだろう。然しあの会話を思い出した直後だと、それはもう、違う物にしか見えなかった。


「……あの、外して下さい」
「お揃いだね、名前」
「お願い、します、外して、下さい」
「何時もより丁寧に拒絶されてる……」

 でも、と太宰が続ける。その顔にニコッと笑顔が浮かんだ。

「駄目」

 たったそれだけの言葉に、体が固まってしまって、反論も引っ込んでしまった。無駄に凄まないで欲しい。笑顔なおかげで更に怖い。

「……じゃあ、良いです」
「これなら逢う度に巻き直せるしね。我ながら良い思い付きだ」
「………………」
「帰ったら切ろうとか思ってたでしょ」
「心を読むのはやめて頂きたいですね」
「判るよそれくらい」

 する、と太宰の腕が伸ばされ、また左手が捕まった。と、其の侭相手の口元に持っていかれる。
「!?」
「……では、私はもう行くよ。また明日」

 太宰が手を離し、立ち上がる。黒い外套がふわりと舞って、隣を通り過ぎて行った。

 咄嗟の事で返事も出来なかった私は、少しだけ、左手を見た。口付けされた包帯が熱を持っている気がした。顔を上げて、黒い姿をもう一度見る。


 何時もだったら、そんな私の反応を揶揄うのに、と思いながら、―――――何処か寂しそうな顔をして去って行った彼の後ろ姿を見送った。

(2016.12.03)
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