貴方から贈り物

(「捻くれ夫婦(仮)のクリスマス」続き)





 私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。聖夜から数日経った今日、私はとある人物を探している。
 普段なら向こうから強盗の如く押しかけてくるのだが、今日は一回も逢ってはいない。其れは今朝の彼からの連絡で理由は知っているのだが。
 そう、私は―――太宰治を訪ねようとしていた。

 もう、時刻は午後十一時を回ろうとしている。この時間なら、場所は見当が付く。

 何故あの男を此方が探しているのか?勿論アレに絆された訳では断じてない。
 私は太宰に対して問いたださねばならない事が有った。



「…………新入り?の方?ですか」
「うん。僕も善く判ってないんだけど、うちに這入りたいって連絡してきた人がいて……それより名字君、今日は、あの、太宰君は?」
「『今日は一日仕事だから』と連絡がありまして」
「名字君嬉しそう……」

 事の起こりは今日の昼間。何時もの通り出勤した私は、上司から、『事務所に新人が来る』という話を聞いていた。
 如何やら数日前から連絡は有ったらしく、今日、軽い面接をするのだと云う。

「僕だけじゃ不安だから、名字君、一緒にお願いしてもいいかな」
「其れで良いんですか所長……でも、判りました」
 それにしても、うちの存在を知ったとして這入りたいなどと云うのも奇特な話だ。時期も相まって何とも怪しさしかない。リストラでもされた会社員だろうか?
 そんな事を考えていると―――事務所の戸を開く人物が居た。

「……あ!来たようだね!」
 上司が迎えに出て行く。
 戸を開けたのは、年の頃は私より一回りは上に見える、物腰の柔らかい女性だった。彼女は此方を見て、ニコリと笑い、頭を下げた。



「実は以前、経営コンサルタントをしていました。此方でお役に立てると思います」
「そうなんですか!うちにはそういう知識を持つ者が少ないので……」
 いざ話してみると、とても人が良い人で、直ぐ上司と打ち解けていた。世間話が得意で、話し方は丁寧。年は矢張り、私より上で、二十代後半だった。好印象だったが―――何処か違和感が有った。

「あの、済みません。うちで働きたい、というのは……何故?」
「……貴女は」
 初めて話しかけた私に、彼女は少し驚いた顔をした。……何か可笑しな事でも云っただろうか。

「貴女が――――名前さん、ですね」
「……何故、私の名を?」
「いえ……済みません。此方に来た本当の理由を云っていませんでした」
 彼女の表情が変わる。人の好さそうだった笑みは、何処か凄みを感じさせる物へと変わった。
 嗚呼、この表情は、見覚えがある。あれは、太宰の周りの人間の表情だ。

「太宰幹部の命により此方に参りました。これからは此方で尽力するように、と」
「――――――!?」

 私は言葉を失う。上司が息を呑む気配がした。此処で太宰の名が出ると云う事は。

「き、君……ポート、マフィア?」
「はい。……聞けば此方は経営難でいらっしゃるとか……それで、私の知識を此方で活かせとの事です。職員には為れずとも、せめてご協力だけでも―――」


―――――『気まぐれだからね?こんなの一回だけだよ』


「…………あの、人……!!」
 気付けば、事務所を飛び出していた。上司が止める声が聞こえたが―――頭には届かなかった。其の侭携帯電話を取り出し、あの男の番号を呼び出しながら、其の場を後にした。



 そして時刻は夜に戻り。とある酒場にて。

「うう〜…………」
「……一体如何したんだ太宰は」
「知りません。先刻から名前さんの名前を呟いています」
「……太宰。如何したんだ」
「名前がああ…………」

 二人の友人より遅れて酒場にやって来た織田作は戸惑っていた。目の前に居るのはうんざりした顔で酒を飲む安吾と―――突っ伏してグズグズと名前の名を呼び続ける太宰であった。

「太宰。……太宰、大丈夫か」
「織田作ううう…………私はもう駄目かもしれない」
「何が有ったんですか太宰君…………名前さんと何か?」

 聞きたくない、という表情で安吾が云った。太宰はその問いに顔を上げて二人を見る。

「聞いてくれるかい!?」
「聞きたくないのですが」
「あのね、名前がさあ!!」
「彼女が如何かしたのか」

 太宰が此処まで取り乱すのも珍しい―――おそらくとても大変な事が起こったのだろう、と織田作は顔つきを厳しくした。

「名前を呼んでくれないのだよ!!」

 思ったより大変では無かった。安吾が眉間を抑える。

「聖夜に『治さん』って一回だけ、一回だけだけど呼んでくれたんだよ、でもそれ以降全く呼んでくれない!!名前どころか何時もの『太宰治』も無い!!寂しい!!」
「…………偶然ではないですか、其れは。名を呼ばなくても会話は成立しますし」
「まあ……そうだけど……はあ、今日は仕事(じゃま)が這入って逢えなかったし……」
 
 安吾の言葉にがっくりと項垂れる太宰を見ていると、何というか、本当に。そう思った織田作は心からの言葉を口にした。


「本気で惚れてるんだな……」
「――――――――矢張り此処に居ましたか」


 織田作が呟いた言葉は、入り口から聞こえる声にかき消される。三人の目が其方へ向いた。三人の注目を浴びる女性は、不機嫌さを隠そうともしない。

「探しました……おかげでこんな時間ですよ、もう……」
「名前――――――――――!!」
「はっ!?ちょっ!?」

 渾身の叫びと共に、太宰が如何やら己を訪ねてきたらしい名前に速攻で抱き着いていった。安吾がやれやれと首を振る。名前が体を捻って逃れようとするが太宰の方が早い。衝突に等しい抱き着かれ方に名前が呻く。

「一寸、貴方が飛ばすのは車だけで結構ですよ!否車でも駄目ですけど!」
「名前っ!!何で名前呼んでくれなくなったんだい!?」
「はあ!?」
「呼んでくれ給えよ!!もう『御花畑幹部』でも良いから!!」
「『御花畑幹部』は貴方の氏名でしたか!そうですか!取り敢えず放して!!私は貴方に話が!!」
「お二人とも」

 ニッコリと安吾が微笑む。青筋が立っていた。二人はその笑顔を見て固まった。

「外でやってください」



「追い出されちゃったね」
「貴方の所為でしょう……」

 首筋を風が撫でていき、鳥肌が立つ。寒い。思えば飛び出して来たため、上に何も着ずに来てしまった。そんな恰好で暫くうろついていたとは……。腕をさすると、気付いた太宰が外套を脱いだ。其の侭肩にかけられる。

「大丈夫?寒そうじゃないか」
「……貴方こそ、外套脱いだら……」
「私は大丈夫だよ」

 気にするなと云わんばかりに優し気に微笑む。この人はこう云う処がある。優しかったり甘かったり―――この人の本性が見えない。

「…………今日、貴方の部下だと云う方が事務所に来ました。貴方の指示だと」
「ああ、彼女は優秀だよ。要らなかったら突き返して良いけど、役に立つと思うよ」
「…………何故」

 絞り出すように声を出す。そんな自分を心の中で叱咤する。確りしろ。此処で怖気づいて如何するのか。

「『何故』?云っただろう?『気まぐれ』だよ」
 そう云って、彼は少し顔を背ける。私はその顔をじっと見た。

「君を縛り付けている処に塩を贈る真似などしたくは無いんだけどね―――あそこはまだ、君の『居場所』みたいだから」
 その言葉に、耳を傾ける。私は静かに目を閉じた。
「だから、今はあの事務所を守る事に協力してあげるよ。…………私も、丸くなったものだ」


 目を閉じると一層、語り掛けてくる声が響いてくる。だからこそ、その言葉に違和感が有れば、気付くことが出来る。
 目を開けた。其処には、あの、今までも何度か垣間見た、優しさが込められた笑顔が有る。

 私は震えそうになる手を握りしめ、口を開き、声を出した。




「―――――――――嘘、ですね」

(2016.12.31)
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