小さな温もりが私を責める
天気の良い午後は眠気を誘う程で、季節外れの暖かさだった。私は腕に巻かれた時計を少し見て、もうすぐ約束の時間なのを確認する。顔を上げると、待ち合わせの相手が近寄ってくるのが見えた。その少女は此方の姿を見つけ、頬を緩めた。
「織田作、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな。悪いな……もうお前に頼み事なんぞ出来る立場ではないのだが」
「何を云うのですか。私は貴方の後輩ですよ、織田作も云ったでしょう」
そうだな、と応えると、名前は薄い笑顔を浮かべる。
「…………名字?」
「はい」
「お前…………否、元気だったか」
大丈夫か、と問いかけそうになった声を飲み込んだ。
目の前の少女は、はい、と、また疲れた様な笑顔で答えた。
織田作は腑に落ちない顔で、そうか、とだけ云った。矢張り顔に出てしまっていたらしい。心配などさせたくなかったのに、と己の不甲斐無さに厭気が差す。
然し、織田作は其れ以上追及しないでくれた。
心の整理が上手く行かない侭過ごしていたから、その連絡が来た時は少しだけ涙が滲んだ。電話口の彼は相変わらず此方を気遣ってくれていた。
約束の日、少しの間外出する事を伝えると、太宰がじっと此方を見てきた為、とても居心地が悪かった。
『何処行くの?』
『…………織田作と、約束をしていて』
『ふうん……まあ、行っておいでよ』
彼は少し考えて答えた。許可されなかったら如何しよう、と思っていたので少しほっとした。これが織田作以外だったら如何云う反応だったのだろう、とも思った。
案内されて来たのは、洋食屋だった。其処に至るまでの会話で、カレーが美味いと云う説明が三回程出てきたからきっと絶品なのだろう。
「いらっしゃい織田作ちゃん……おっ?其方のお嬢さんは?」
「よう、親父さん。此方が昨日云った名字だ」
「初めまして、名字名前です」
「嗚呼、君が名前ちゃんか!孤児院で働くっていう立派な夢持ってる女の子がいるってさ、織田作ちゃんに聞いてね」
「り、立派……では……」
「いやいや、若いのに確りしてるよ」
親父さん、と呼ばれた店主らしき人物はうんうんと頷いた。私が恐縮していると、店主は思い付いた様に云った。
「そうだ、子供達にも逢って行ってよ、名前ちゃん」
「ああ、元よりその心算で連れて来たんだ」
「……?」
子供達、とは何のことだろう。そう思って織田作を見上げると、彼は店主に返事をした後、私を二階へと案内した。――――が、途中でピタリと止まる。
「織田作……?」
「名字、済まないが此処に居てくれ」
そうして一人で二階の部屋へと這入って行った――――その直後、何者かが彼を襲う。
「!?」
突然の事で驚く私を他所に、織田作は全く動じない侭小さな犯人の奇襲を避け、押さえつけ、上手く転がす。あっという間に全員分それを繰り返すと、未だにぽかんとしていた私に声を掛けた。
「よし、来ていいぞ」
「……お見事」
思わず云った私の目の前には、悔しそうな、然し嬉しそうな声を上げて、五人の小さなテロリストたちが床に転がっていた。
「お姉ちゃん誰?織田作の彼女?」
「違いますよ」
子供と云うのはこんなに元気な物なのか……先刻からの奇襲失敗にもめげずに織田作に襲いかかる―――もとい、じゃれ付く―――子供達は、当然近くにいた私も標的にし、五人が満足するころには私は肉体的な疲労が表に出ていた。織田作は平気そうだ。
その後知らない人物に興味を持ったのだろう、私に様々な質問が投げかけられる。
「お姉ちゃん何歳?」
「十七です」
「織田作と年の差が丁度良いじゃん!お似合いじゃん!」
「……?『おにあい』とは……?」
「あー……名字、気にするな」
困惑して織田作を見ると、彼も困った様に眉根を寄せていた。その様子に、漸く『お似合い』に変換が追い付いた私は思わず笑ってしまった。子供とは、無邪気に困った事を云うものだ。
「……ああ、良かった、笑ったな」
「え?」
此方を見て、安心した様な口調で云う織田作に驚き、目を見開く。彼は何かを思い出す様な素振りを見せ、口を開いた。
「お前が太宰の処に行ってから……その、何となく心配でな。そうしたら前云っていた話を思い出したんだ」
「あ……それで、私を此処に……」
「……太宰も何処か様子が可笑しかったしな……」
「…………」
「ああ、否」
何でもない、そう云って彼は首を振る。彼はずっと心配してくれていたのだ。其処に思い立って、私は顔を伏せた。何時か孤児院でという話を思い出して、こうして此処に連れてきてくれた。
「…………お姉ちゃん、元気無いの?悩んでるの?」
「え?あ、否、大丈夫ですよ、咲楽」
「本当?」
「本当です」
子供達は信じていないらしく、疑わしそうに此方を見ている。―――――と。
「皆」
「「「「おう!!」」」」
一人の少女の呼びかけに応える四人の少年達。彼等はあっと云う間に織田作を取り囲むと、あれよあれよと室外へと押し出した。
「おい!?こら、お前らっ……」
「織田作っ!?」
「はいはい織田作は外出ような―――」
バタン、と戸が閉められた。後には呆然とする私と咲楽が残される。
「さあ!悩み事を云うのよ!」
「え…………」
「女の子同士なら相談出来るでしょう?」
如何やら先刻の誤魔化しは、男子が居ると相談し難かったから、と判断されたらしい。成る程、納得した。そしてとても困った。
然し、何か云わねば納得しそうにない。何か、適当な相談でもしようか。
「ええと……嫌いな人が、居まして」
「嫌いな……成る程ね。厭な人なのね」
咲楽は神妙な顔で腕を組み、うんうんと頷く。良かった、場は持ちそうだ。
「どんな人なの?」
「ああー……ん……あの、私の上司で」
この際丁稚上げてしまおう、と話し出す。
――――それが、いけなかったのかもしれない。
「私に、矢鱈構ってきて……厭、な、事……ですね……厭な事してきます」
「虐めるのね!!最低!!」
「ええ……最低、なんです、けど……」
「?……お姉ちゃん?」
「………………」
咲楽が見上げてくる。私は直ぐに応えられなかった。喉が詰まった様に感じる。
脳裏に浮かぶのは―――浮かんでしまったのは―――あの人の事だ。
この子に云っても仕方が無い事だ。然し言葉が止まらなかった。
「…………嫌いに、なれ、ない」
「お姉ちゃん?泣いてるの?何処か痛いの?」
「何で……何で、優しくするんですか。殺させたいんでしょう。何、で…………壊れる位なら、その前にいっそ殺してしまった方が…………っ!」
判っている―――きっとこんな心情にさせる事が目的だ。私を好きなんて嘘だ、あの人は私を苦しめたいだけだ。
―――――死ねば。あの人が死ねばこんなに苦しまずに済むのに――――
「…………ちゃん!お姉ちゃんっ!!」
「――――――あ……」
気が付くと、私の手を、咲楽が握っていた。心配そうに見上げる目は僅かに潤んでいる。その手は小さかった。とても小さくて、温かかった。
『それを理由にすればいい』
『血塗れた手で、子供には触れられない。孤児院で、子供の世話をするために、殺しはしない、と』
『お前も、夢があるんだな』
「…………ごめん、なさい」
私は今、何を考えていた?それだけではない。数日前、私は人を―――。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
誰に謝っているのか、何故謝っているのか、自分でも判らなかった。ただ、大切な人を裏切ってしまった様な苦しさが胸に広がっていた。
嗚呼、確かに。あの人の云う通りだ。
人を殺した時、私は確実に壊れるだろう。
(2017.01.04)
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