いつかこの関係に名前が付くまで

「何をしているんだい?中也」
 ポートマフィアの幹部執務室―――少しばかり休憩を、と思いソファーに身を沈めた俺の上に振って来たのは、部下である名前の声だった。
 思わず顔を顰める。

「……見りゃあ判んだろ、休憩だ。邪魔すんな失せろ」
「やれやれ非道い言い草だなあ。身長が小さいと器も小さくなるのかな?」
「あァ!?手前もう一遍云ってみろ!」
「もう帽子置き場に云う言葉は無いよ」
「手前……」

ぎゃあぎゃあと騒いでいると頭が痛くなる。それは此奴の所為でも有るが――――
「では私は行くよ。じゃあね中也、精々踏み潰されない様に注意し給え」
「五月蠅え早く行け!!」

バタン、と戸を開け彼女が立ち去る。
「……全く」
 今度こそ静かになった部屋で目を閉じる。頭の中には僅かな苛立ちと―――そしてもう一つ。目を背ける事が出来ない、もどかしさの様なものがあった。
 
 名前との会話は、嘗ての相棒を想起させるものだった。ただ真似をしているだけでは無く、彼女自身に合わせて、自然な調子で使ってくるから性質が悪い。
 ……真似。そう、今の名前の口調や言葉は、彼奴の真似事。何故そんな事をしているのか。訊こうにも、彼女自身が言外に其れを拒んでいて、出来なかった。




 ―――部下である名字名前は、まあ一言で云ってしまえば、「マフィアに相応しくない程普通な女」だった。実戦では勿論役に立たず、書類仕事や雑用をこなす一構成員。
 では何故そんな俺と名前が知り合ったかと云うと、理由は単純なもので。

『其処のお嬢さん!!お美しい……是非私と心中……おっと』
『手前は何時も何時も何してんだよ青鯖あ!!』
『一寸邪魔しないでよ中也、ほら彼女も困っているよ』
『否確実に手前の所為だろ!』

『……あの、お二人は御友人なのですか』
『『誰がこんな奴と』』

 見事に声が重なった俺達を見て、きょとんとした後、堪らず笑い始める―――その女が名前だった。
 太宰に気に入られた名前と、俺も何と無く一緒に居る内に、何時の間にか名前が傍に居る事が普通となった。

 名前は何時も、一緒に居る俺達に自分から話しかける事も無く―――否、尤も太宰は事有る毎に構っていたが―――何時も云い争いをする俺達を楽しそうに眺めていた。

 其れで居て時折寂しそうな表情をするものだから、気にせずに話しかければ良いと云ったものの、ただ首を横に振るばかりだった。

 ――――それから暫く経って、太宰はマフィアを去った。
 名前が太宰の真似をし始めたのは、それから直ぐの事だ。



 目が覚めた。思ったより深く眠ってしまったらしい。……と、目を開けて直ぐに見えた顔に思わず息を呑む。

――――――名前が、此方の顔を覗き込んでいた。

「……!お、お早う中也、仕事の途中でこんなに眠るなんて余裕だね」
「……手前」
「じゃ、じゃあ」
「!」

 立ち去ろうとした名前を、腕を掴んで引き留める。
「痛い痛い、何だい中也!筋肉莫迦!離し給えよ」
「手前は」

 今なら訊ける気がした。
 ――――――何故そんな真似してる。何故変わってしまった。
 ―――――――――何故、何時も、そんな、寂しそうなんだ。
 然し、口から出てきたのはそのどれでも無かった。

「太宰に、惚れてたのか」
「…………は?」
「答えろ」
 知らず腕に力が籠る。名前が顔を顰めた。

「…………痛いですよ、中也さん」
「…………」
「……惚れてなんて居ませんよ。誰にも何にも」
「嘘だろ」
 声が低くなる。胸中に渦巻くこの感情が何なのか判らない。

「太宰が居なくなったから、ンな真似してんだろ」
「……ええ、そうですよ」
「だったら、」
「私はですね?中也さん」
 名前が確りと俺の目を見る。

「恋人などと云うものに微塵も興味は無いのです」
 その強い眼差しに気圧される。思わず腕を離した。然し今度は名前が此方の腕を掴む。
「私は太宰さんに嫉妬してたのですよ、中也さん。敵を知るには先ず敵の真似をすべし!!私は太宰さんを超えるために彼の真似をしていたのです」
「……は?」
 今度は此方が訊き返した。名前がふふんと笑う。やめろ腹立つから。

「太宰さんと貴方は相棒という括りを超えた関係です」
「何云ってるか判らねえがとりあえず気色悪いからやめろ」
「もう相棒では無いにも関わらず、あの連携!最早心が繋がっているとしか云い様がありませんね、ええ」
「悪ぃ、殴って欲しいなら云え、全力で叶えてやる」
「―――――私は」

 名前が不意にあの表情になる。時折見せた、あの、寂しそうな顔。
「貴方達が好きだったんです。貴方達の関係が。喧嘩する癖に息はぴったりで、『相棒』と云う名前だけでは測れない何か」
「…………」
「その、名前の無い絆に憧れていました。其処に私の這入る隙は無いし、這入らないことで貴方達を見ているのが好きだったのです」

「…………でも、」
 名前は静かに目を閉じる。何かを思うような。何かを確認するような。そんな顔で。
「嗚呼、あの人の位置に、私が居れば、と」
「判った」

 静かに、短く返答した。遮られる形になった名前が目を開き、此方を見る。
「手前は、友人とか、恋人とか、そう云う名前の付いた絆なんざ欲しく無ぇんだな」
「……ええ。そんな直ぐ失われる物は要らない」
「……莫迦じゃねえの」
 軽い口調で云う。先程胸中に渦巻いていた感情は、まるで最初から無かったかの様に消え去っていた。

「人と人との関係に付く名前なんざ共通認識の為の道具だろうが。それが有ろうが無かろうが、その関係は其奴等だけのモンだ。同じモンは無えし、大きさだって比べられ無い。況してや失われるなんて決められるモンじゃ無えんだよ」
「………………」
「俺は、…………手前の事を何にも関係無い奴なんて思ってねえよ」

 傍で、一緒に笑って居た。友人と呼ぶには物足りなかったのかも知れない、況してやそれ以上の関係でもない。それでも其処には確かに、此奴の云う、『何か』が有ったのだ。

「大事な存在だし、失くしたいとは決して思わない。…………それで、充分なんじゃねえのか」
「…………何だ」
 不意に、名前が笑う。―――嗚呼、何時もの笑顔だ。

「私はとっくに、それを手に入れていたのですね」


 何時か、この関係は変わるのかもしれない。―――否、確実に変わるのだろう。無くなってしまうか―――願わくば、もっと深いものに。

「悩みも解決した事だしご飯でも行きましょう」
「仕事中だっつってんだろ」
「良いじゃないですか寝てたんだし」
「嗚呼もう仕方ねえな…………」


 それでも今は、まだこの名前の無い関係を、二人で。

(2016.11.12)
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