さあ、第2ラウンドの始まりだ

 私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。そろそろこのマフィア幹部との逢引……もとい取引も日常になって久しい。慣れとは恐ろしい物でこの頃は手を握られても抱き着かれても自分の反応が薄いのが判る。太宰は若干物足りなさそうな顔をしているが嬉しそうなのが隠せていない、と云うか隠そうともしていない。

 慣れた、だけで片付けてしまえば気分的にも楽だが生憎そうはいかなかった。
 矢張り、私は―――。そう思うととても癪だが事実は事実だ。

「…………名前」
「何でしょう」
「何だい、この距離」

 街中を歩く私達の距離は一寸離れている。太宰の二歩ほど後ろを私が歩いている格好だ。太宰が私に話しかけるために少し振り返っている。

「何です?別に普通じゃないですかね」
「えー……」
「…………良いですか、太宰治」

 立ち止まり、びしっと太宰を指さした。太宰も不思議そうな顔をして止まる。

「確かに貴方にとっては自分の思い通りに事が進んでるんでしょうし私も貴方に勝てるなんて思ってません」
「へぇ……急に何かと思えば」

 太宰が少し距離を詰めた。怯みそうになったが堪える。

「漸く観念したのかな?」
「……そう云う事じゃない」

 脚を一歩踏み出す。まだ空いていた距離を自分から詰め、太宰の腕を引っ張った。

「……っ、名前?」
「一寸来てください、話があります」

 其の侭建物の裏手に回る。人気も無い此処なら落ち着いて話が出来るだろう。
 引っ張って来た太宰から手を離し、ついでに先程と同じくらいの距離を取った。息を吐いて話し始める。

「……私が『貴方を信じられない』、と云ったのを憶えていますか」
「うん、憶えているよ」
「私は……今まで貴方を拒絶する事しか考えてませんでしたが」
「……一寸傷付いた、今」
「真面目に聞いてください……その、一寸意識を変える事にします」
「……?」


 ―――――それは、私なりの決意だ。これから先の、私の人生を変えるであろう決意。


「私は貴方の事が嫌いではないし……多分最初よりは、最初と比較して、ですけど、好意的に思っている。それは認めましょう」
「……名前、それって」
「最初と比べればですよっ!!」

 誤解が無いよう否定する。嫌いではないからと云って私は此奴を好いている訳じゃない。それは今までも判っていた事だ。

 でも、今までは結婚を避ける事が前提で、この人とちゃんと向き合っていなかったと思う。それに加え、年末のあの出来事で、自分がこの人を拒絶する事は出来ないんだろうと悟ってしまった。

「……だから、その、これからは、あの」

 上手く口が回らない。一体如何したと云うのだろう。何時もこんな事口からするすると流れ出ていた。それなのに今は口が石に為ってしまった様に動かない。
 これが詐欺なら。上辺だけなら幾らでも云えるのに、私は。こんな時だけは上手く行かない。


「……名前、そう云う時はね」


 間近で太宰の声が聞こえ、はっとして見上げると直ぐ傍に太宰の顔が有る。咄嗟に後退ろうとしたが何時の間にか腰に太宰の片腕が回っている。街中だと云いたい処だが生憎人気のない処に連れてきたのは自分だ、自業自得か。


「具体的に云って御覧」


 息が掛かりそうな距離で、溜め息を吐く様に囁かれる。相手の胸に手を中てて押すが、その手も掴まれた。太宰が薄く微笑む。

「『手を握られても振り解きません』とか」

 云った後手を離して、私の唇を指の腹で撫でた。冷たい感触に、自分の肩が跳ねるのを感じる。

「『口付けを厭がったりしません』とか」

 口から手が離れ、腰に回っている腕の力が強くなって、二人の体が密着する。耳に吐息を感じ、後ろに回った太宰の手が私の腰から背中をなぞり、自分の物とは思えない声が出た。

「『貴方を拒みません』、とか」
「……っ、そ、れは、具体的じゃない、のでは……っ」
「へえ?此処で云って良いの?それとも今から場所を変えて教えてあげようか……言葉以外で」

 顔に瞬時に熱が集まるのを感じた。クスクス笑う声が聞こえる。

「でもさ、判ってる?君が云ってるのはそう云う事だよ?」
「…………否、何でも受け入れるとは云ってませんから」
「おや、まだ云い返す余裕が在るんだ。図星かな?ひょっとしなくても君だって判っているんだろう?」

 全く詐欺師の様に口が回る人だ。考える前に判断能力を失くさせて自分の意見に頷かせる。そう云うのが上手いのは判っている。拷問などは得意分野だろう、この人は。

「……『何でも』では、ない」

 もう一度、強調して繰り返す。此奴の思い通りに為って堪るか。

「い、今は…………手……までは、きょ、許可、します」
「……………………」

 静寂が降りた。漸く体が解放されて、見上げると、何だか物凄い不満そうな顔をされていた。
「五月蠅いです」
「何も云ってないよ」
「表情が」
 太宰は呆れきった様な表情で首を横に振る。無駄に悲壮感が漂う目をして溜め息を吐いた。

「名前…………それは無い。それは無いよ、せめて一緒に住むくらいまでは行こうよ」
「否貴方の物差しで決めないで下さいよっ!!」
「だって私の事受け入れられるように頑張ってくれるんでしょ」

 私は上手く云えなかったと云うのに何だこの理解力は。ただ、別に受け入れるために努力するなどとは云ってはいないのだが。

「貴方は見た処女性に慣れているんでしょう」
「……今の、もう一寸拗ねた感じでもう一度」
「あのだからもう少し真面目に聞いてくれませんか?」

 ごめんごめんと笑う太宰を睨む。太宰は苦笑しながら私の頭をぽんぽんと撫でた……子供か私は。

「……だから、女性を騙すのも得意でしょうから」
「君を騙している心算なんて毛頭無いけど」
「…………騙しても」
「?……名前?」
 思わず俯いた。ポロリと、自分の口から言葉が洩れる。


「……騙しても良いですから、私を安心させてもらえませんか」


 太宰の手が一瞬止まった。だが、本当に一瞬の事だった。
「君は居場所を失うのが怖い、そうだよね」
「……はい」
「詰り」
 頭から頬に手が滑る。優しい手付きだった。


「私が生きて居る処が君の確固たる居場所だって、君に判って貰えば良いんだね?」


「……自殺愛好家が云うではありませんか」
「今まで死ねなかったのは、君に逢う為だったと考えると悪くない」


 ―――――嗚呼、本当に狡いというか。何だか、貴方を受け入れない私が悪いと云う気分になって来る。いっそ諦めて委ねてしまおうかと思ってしまう。


「……精々頑張ってくださいね。私は頑固ですから」
「知ってるし、意外と素直なのも知ってるよ」
「…………料理も出来ない、そもそも家事全般得意な訳じゃあない」
「君と食べた肉じゃがは美味しかったし、君の部屋は居心地が良かった」
「………………口も、悪いし」
「私は君と話すのが好きだよ」
「……………………貴方のそのペラペラ回る口は嫌いです」
「私は、君の事」

 『好きだ』と云われた記憶が蘇って、そう何度もやられて堪るかと身構えた。然し。


「―――――愛しているよ」


 構えていたら想像以上の打撃が来た。手を払い除け、くるりと振り返りスタスタと歩き出す。

「あっ待って置いていかないで名前」
「話は終わったので」
「照れ屋さんだなあ私のお嫁さんは」
「下らない言葉を発するその喉に其処の小石詰まらせて苦しめばいいのに……」
「恥ずかしがる時の悪口が厭な表現になるの止めない!?」

 先刻とは逆の立ち位置で歩き始める。精一杯の早足で進むが、普通に歩く太宰に直ぐに追いつかれてしまった。其の侭手を繋がれる。溜め息を吐いて歩調を緩めた。




 ―――――はてさてこれから如何なる事やら。ただ一つ判っているのは。

「ねえ名前」
「何ですか」

 これから先は、攻防戦ではなくて。
 私が何時落ちるかの、持久戦だと云う事だ。

「結婚しよう」
「厭です」

 握られている手を少しだけ、本当にほんの少しだけ握り返した。
 手を繋いだ侭、私達はまた、ゆっくりと街を歩いて行った。

(2017.01.28)
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