鬼ごっこしましょ、幹部様

 私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。今の此の状況を説明したいのだがとてもじゃないがそんな余裕は無いので一言で云わせて頂くと―――――

―――――誰か助けて下さい。


「一体……本当、何なんですか、太宰治」
「厭だな、初めて会った時みたいに『治さん』と呼んでくれ給え」
「そんな桃色な声音で呼んだ覚えは無い」


 あの悪夢の様な誘拐未遂事件から数日―――私は地獄の様な日々を送っていた。


 翌日から行く先々に現れる黒服の男達に連れ去られそうになり、その度に詐欺師として培った逃げ足の速さと機転で何とか切り抜けていた。事務所には顔を出していない。

『此方にも張り付いてるのが居るみたいだよ……事務所に絶対来ちゃ駄目だからね!!』
 上司との最後の電話を思い出す度目に何かが滲みそうだ。

 人質にでも取られたりしたら―――そう云う心配が頭を過り、付近に居る奴らを何とか引き付けられないかとこっそり事務所の近くまで行った。先程の事である。


 そしてそれが致命的な失敗だった事を悟ったのはその直ぐ後だ。


―――――『君なら来ると思っていたよ、名前』


「非道いなあ、約束を守りに来たのに」
「約束なんてしてませんから」
 じり、と後退りする。太宰は楽しそうに一歩ずつ歩み寄って来る。此処は事務所の近くの裏路地だ、決して広くはない。如何なるかは目に見えている。

「迎えに行くって云ったじゃないか」
「…………何故ですか」
「あれ?云ってなかったっけ」
「聞いてません」

 太宰が立ち止まる。微笑んで、片手を胸に当て立つ様は、世の女性なら一目で心奪われるだろう。



「単刀直入に云うけれど。私と結婚して欲しい、名前」



「――――――厭です」



「……そう云うと思った」



 クスクスと笑い乍ら、太宰が云う。
「君は中々気が強そうだし」
「気が大層丈夫そうなポートマフィア幹部様に云われるとは恐縮ですね」
「ほら、そう云う処だよ」
 太宰が歩みを再開し、此方に近付いて来る。

「矢っ張り面白い子だよね。……だから、欲しくなったのだよ」
「…………」
「私と一緒においで。今なら優しくしてあげる」
「…………それは、詰まり、抵抗したら」
「さあね?結果は変わらないのだから何方でも良いよ」
 詰まり過程は変わると云う事だ。主に連れて行く方法とか。

「じゃあ、行こうか?」
「あ、あの待って下さい」
「厭だ」
 壁に背が付く。何か無いかと必死に頭を回し、言葉を紡いだ。本当に咄嗟だった。


「あの、―――――勝負、といきませんか」


「…………?」
 太宰の脚が止まる。善し。
 此の侭攫われたんじゃ堪ったものでは無い。然し此処から逃げ出せたとしても何時までも逃げ切れるとは限らない。だったら。

「こう云うのは如何でしょう?私と貴方で、何か、一日一回勝負をするんです」
「…………」
「期日を決めて、それまでに過半数、或いは規定回数勝った方が勝ち。貴方が勝ったら大人しく結婚でも何でも致しましょう、私が勝ったら―――」
 息を吸い込み、後の言葉を強調する。

「二度と、私の前に、現れないで下さい」

「…………ふぅん」
 太宰は口の端だけで笑った。
「じゃあ私が勝ったら君は私の云う事聞く訳だ」
「……………………ええ、まあ」
「なあにその間。まあ……面白そうだね」
「じゃあ……」
「それで、もう一つ訊くけど」

 太宰がニッコリと笑う。

「私がそんな事をする利点(メリット)は?」
「…………」

 痛い処を突かれた。

「今の処、私にとっては此の侭君を連れ去った方が良いのだけれど」
「…………う」
「うふふ」

 太宰が顎に手を当てて笑う。可愛いなあとか聞こえてくるが空耳だろう、空耳に違いない。

「十秒あげる」
「……え?」
「十数える間、私がその勝負を受けても良いと思える様な利点を考えて御覧。何も無かったら此の侭連れて行く」
「…………」
 十秒って何だ、短過ぎやしないか。とは云えそう云われては頷くしか無い。
「じゃあ行くよ」


 何か有るだろうか……と悩み始めた時――――――するり、と腰に腕が回された。
「!?」
 引き寄せられ、体が密着する。手で後頭部を固定され、摺り寄せるように耳元に口が寄せられる。


「いーち、」
 至近で囁かれるものだから、低音が直接鼓膜を震わせてきて、唇が耳を擽ってぞわり、と何かが奔る。
「一寸!!なん…やめ、」
「にーい、」

 抜け出そうともがくも無駄な抵抗だった。秒読みは進んでいく―――必死に働かない頭を働かせようとする。

「さーん、」

 そもそも何なのだ此の人は。一目惚れしただの可愛いだの。

「しーい、」

 本当にそう思って居るならば、こんな真似せずとも普通に口説けば良いのではないのか。口説かれた処で了承出来るかと云われると否だが拐かされるより遥かに増しである。

「ごーお、」

 人の事を物か何かだと思って居るのか。思って居るのだろう―――何せ相手は非情なマフィアなのだ。

「ろーく、」

―――ああ、本当に、

「なーな、」 

―――本当に、もう、

「はーち、」 

―――貴方は、一体、

「きゅーう、」


「貴方は結婚を何だと思って居るんですか!!」

(2016.11.14)
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