とある詐欺師の在り方
私の名前は名字名前。しがない結婚詐欺師だ。
今から約一ヶ月前、そういえばチョコレートを作って渡したなと思い返す。慣れなくて割と時間が掛かってしまったんだったか。幾つか作った内の一個だけを包んで渡した。正確には寝ている間に置いておいた。
あの後見たら既に包みは開けられていて、でも何事も無かった様な振りをしていたので此方としても気持ちが楽だったのだ。出来れば気の迷いの一環として此の侭忘れ去られてはくれないかと願ったのも記憶に新しい。
そして、その約一ヶ月後の今日、私は何処かに連れ去られようとしていた。
「………………あの、太宰治」
「何だい?あ、もう直ぐ着くよ」
「………………あの、真逆、この、道は」
「はい到着〜」
のんびりとした太宰に手を引っ張られ、彼の部下が運転していた車から降りる。目の前には遥か天高くそびえ立つ建築物。
ああ……立派なビルだな……。
「綺麗ですね……」
「中身は真っ黒だけどね」
感動しつつも繋がれている手の持ち主が現実逃避を赦してくれない。
「真っ黒…………」
「うん。―――――ようこそ、ポートマフィア本部へ」
ああ、空の青さが眩しい。目の前のビルの窓に反射して尚の事眩しい。
「態々連れて来て下さってありがとうございます。じゃあ私はこれで。仕事頑張ってください」
回れ右しようと手を振り解いた。然し今度は肩をがっちりと掴まれる。
「私ねえ、午前中は空いているのだよ」
「そうなんですか。では随分早くの出勤なんですね。社会人の鑑ですね。では」
「まあまあ、そんなに怯えなくても怖い処じゃないから」
「何方かというと場所じゃなくて人に怯えてるんですが」
「大丈夫、怖い人なんて居ないから」
「貴方の事ですよ!?判って云ってるでしょう!?」
こんな場所に連れてこられたらこんなもの普通の反応だ。誰か助けて下さい。然し助けを求めるにも周りは太宰の部下であろう人物しか居ない。運転手に目を向けたらそっと目線を逸らされた。
そういえば此奴は幹部だった。下手に抵抗するより降参した方が得策か……それにしても何故こんな処に。
私が抵抗を止めたのを見て取った太宰に手を引かれ、本部へと這入る。黒服の男たちが此方を見て、太宰に向かって礼をするのが見えた。
慣れない感触に床を見ると、高級そうな絨毯が敷かれている。迷いなく進む太宰が向かう先には、昇降機が見えた。其の侭二人で乗り込むと、硝子張りのそれは自分が知っているより倍は広く、眩暈が襲ってくる。一体何処なんだろう此処は……横浜か?横浜なのか?
「「………………」」
落ち着かない気分でそわそわしていたが、或ることに気付いて横を見た。
何時もお喋りな太宰まで黙り込んでいる。その顔は何処か緊張気味だ。
「……あ、の」
「……え、ああ、御免」
声を掛けると我に返った様に返される。見た事の無い様子に、胸の内に不安が過った。
「…………これから、君に逢って欲しい人が居るのだけれど、一つだけ懸念が在ってね」
「……はい」
太宰が不安そうな声音で云い、唇を引き結んだ。然し意を決した様に此方を見詰め、口を開く。
「君の事を紹介する時、『妻』と云うべきか『奥さん』と云うべきか『お嫁さん』と云うべきか」
「何を悩んでいるんだこの自称夫がああああっ!!」
「姐さん、失礼します」
太宰がコンコンと豪奢な戸を叩鼓(ノック)すると、中から女性の声で「這入れ」と聞こえてくる。
太宰に続いて這入った私は、その中に居た人物に目を奪われた。
先ず、鮮やかな着物が目に這入る。振り返った顔は丁寧に化粧がされ、然し着物にも化粧にも引けを取らぬほど整った顔立ちはまるで華の様だ。
美しく紅で彩られた唇が弧を描く。
「何じゃ太宰。お主が手こずっていると云うからどの様な女狐かと思えば、可愛らしい子猫を連れてきおって」
「厭だなあ姐さん、この子がその噂の子猫か判らないじゃあないか」
「そんなに大切そうに抱えて何をぬかすか」
何だこの会話。子猫って何だ。私は何方かと云うと犬派である。
それに、『抱えて』いると云う表現で、今更ながら繋がれている手が恥ずかしくなってきた。『姐さん』というのなら、如何やらこの女性は太宰より先輩なのだろう。先輩の前で堂々と女と手を繋いで飄々と受け答え出来る此奴はある意味大物なのか。
「それで―――例の物は」
「ああ、準備はできておる」
「では約束通り」
太宰がやや後ろに居た私を前に押し遣った。おそらくニコニコしているだろう太宰、その手が両肩に置かれる。
弾んだ様な太宰の声と、呆れた様に微笑む女性の溜め息が重なった。
「この子に似合う口紅を。よろしくお願いするよ、姐さん」
「名は何という?」
「名字名前です」
「ほう、『太宰』とは名乗らんのかえ」
「…………」
「冗談じゃ、そのような顔をするでない」
尾崎紅葉。女同士の会話を邪魔するなと太宰を追い出した後、この女性はそう名乗った。私と一回りも離れていないのに何処となく言葉に出来ない風格がある。
緊張して黙り込む私にクスクスと笑いながら、紅葉が幾つかの丸い入れ物を取り出した。
「さて……撫子色、紅梅……唐紅も良いかもしれんのう」
「あ、あの、すみません」
「良い。久々に面白い話し相手が出来て心も踊ると云うもの。それに……太宰が入れ込んでいる女子(おなご)に興味も有ったからのう」
そう云って紅葉は含み笑いで此方を見た。居た堪れない。何故だろう、私に非は無い筈なのに…………無いですよね。
元々していたものを落として、静かに椅子に座った。
それからは、緩やかに時間が過ぎた。指で塗る口紅なんて初めてだった。恐縮して、自分でやりますと云ったが、お構いなしに紅葉の手によってそれは塗られた。少しずつ試し乍ら、色々と話をする。
「太宰とは如何なのかえ」
「…………如何、とは」
「ふふ、そう畏まらずとも良い。否何、太宰がこれ程長い間一人の女に付き纏っておるのも珍しゅうてのう」
「……そうですか」
矢っ張り女慣れしているのは経験に寄る物か……それに、性格はアレだが相当の美形だ、まあ恋人の一人や二人居ても可笑しくは無いと思っていた。
「あの男に泣かされた女は其れこそ十の指に収まりきらん程居るからのぅ」
一人や二人の騒ぎでは無かった。何してるんだあの男。詐欺師の私でも泣かせた男は居ないのだが……否、私と比べても仕方ないのだが。
それにしても、そんなに色々な女性と付き合ったのなら私以上の良い女性など沢山居ただろうに。何故血迷って今私なんぞを選んだのか。
屹度、私よりも隣に居るべき女(ひと)が居ただろうに。
「………………」
―――――何だろう、この気分の悪さは。
「それで?まあ、無理に答えんでも良いが」
「いえ……」
困った。これは如何答えれば良いのか。間違った答えを云った瞬間殺されるのではと云う錯覚を起こしそうなくらい緊張する。否落ち着け、相手はマフィアとは云え女性である。屹度これは同じ女性として興味を持たれただけなのだ、そうだ、だから落ち着いて欲しい。
然し其処ではたと気が付く。落ち着かないもう一つの原因がある。
私は、太宰との関係がはっきりとはしていない。
恋仲ではないし夫婦では絶対に無い。かと云ってもう、ただただ一方的に付き纏われているだけだとも云い切れない。
…………一人で悩んでいても仕方がない。もう莫迦正直に云ってしまおう。何だか最近こういう詐欺師らしからぬ思考が増えた。多分太宰の所為だ。
「実は……その、自分でも判らなくて」
「ほう?」
「嫌いではないです……でも、好きでもないです」
―――――否、違う。
「私は、あの人が……好きでは……」
「……恐ろしいか」
静かに紅葉が問う。
「……おそろ、しい?」
「私(わっち)には、そう見えるが」
じっと目を見詰められ、戸惑う。
恐ろしい?あの人が?それとも―――。
「……この、感情が、何なのか、屹度……答えは出ているんです」
「…………」
「でも、其れを認めようとすると、不安に襲われるんです―――――例えば、暗闇を、進む様な」
「……先が見えない恐怖かえ?」
「いえ、多分……隣に立つ人が見えない恐怖です」
『お父さん!お母さん……!厭だ、一人にしないで―――』
「………………一人は、厭ですから」
「…………家族も居ないのか」
「いいえ、『家族』は、居ます。でも……あの人たちだって本物じゃない。判ってるんです、私は家族なんかじゃない」
「………………」
屹度何を云っているのか判らないだろうに、紅葉はじっと話を聞いていた。
……そうだ、私に『家族』なんて物は無い。本当は判っているのだ、所長は私を雇っているだけだし、同僚だって仲間であって家族なんかじゃない。
屹度これからも出来はしない。
『ありがとう、君のお陰だ』
『もう一度頑張ってみるよ』
『これからも君と一緒に―――』
今まで騙してきた人たち。あの人たちは、嘘で塗り固まれた私を『本当の私』だと信じて、その私と共に歩んでいこうとした。彼等は光の世界を歩んでいく。
でも私は、彼等に置いて行かれているのだ。嘘で塗り固めた『私』は一人歩きして彼等と共に歩んでいくけど、本当の私は真っ暗な世界で一人ぼっちだ。
―――――嗚呼、何て、詐欺師に向いていない小娘。
上手くその孤独を受け入れて、騙す事に心を捧げれば良かったものを。孤独が怖くてそれが出来ずに。
厭だ、厭だ、独りは厭だ。置いて行かないで、誰か、一緒に―――。
「受け入れて、今度こそ、心まで一緒に誰かと歩んで」
『騙す為』などと云い訳せずに。嘘ではなく、心から誰かを受け入れて。
「そうして、また見えなくなったら」
其の侭、隣で歩む人を見失ってしまったら。
「私は屹度、死ぬんです。私は弱いから」
だから、あんな事を云ったのだろう。
『騙しても良いですから、私を安心させてもらえませんか』
―――――その『居場所』が、幻でも、良いから。
私に、貴方と歩む勇気を下さい、と。
あの時、彼に、願っていたのかもしれない。
(2017.03.11)
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