太宰治と護衛役

「名字名前と申します」

 鈴の様な声とは裏腹に、固い口調で名乗りを上げる少女。その姿は全身を黒で纏め、薄暗い部屋の陰に隠れてしまいそうな印象を受ける。

 その少女にちらりと目を向ける青年。包帯に覆われた右目こそその光は隠れているものの、左目の光に寄り容易にその冷たさが伺える。黒服に身を包みながら包帯だらけ、現在は右腕も吊っている青年、その名を太宰治。ポートマフィア幹部である。

 その向かい側、少女を挟んでやや歪な三角形を形作る位置に座るのはポートマフィア首領―――森鴎外。浮かぶ表情は憂いか、それとも愉悦か。常人には計り知れない。
 彼はゆっくりと息を吐き、静かに微笑んだ。

「と云う訳だ太宰君。頑張ってね」
「お待ち下さい首領」

 ―――――否、頑張ってねとは何だ。如何いう意味だ。

 引き攣った顔でそう思い、太宰は声を上げた。そもそも先刻から聞かされている話から理解が出来ない。

「だからね太宰君。今日からこの子が君専属の護衛役(ボディガード)だ」
「宜しくお願い致します、太宰幹部」
「…………」

 先刻から聞かされることには、この女性は他の組織から先日ポートマフィアへと這入り、その戦闘力は現場に出せる程だという。

 新入りが幹部の護衛と云う異例ではあるが、如何やら、貧民街から拾った少年を教育している太宰の下で現場を覚えるのが適任だと判断されたと云う事らしい。

 色々云いたい文句を飲み込み、太宰は少女を見た。確か一つ違いの十九と云っていたか。彼女は何の感情も浮かばない目で太宰を見返した。

 果たして、この少女は太宰治の護衛役になったのである。



「今日の任務は把握しているね?」
「はい」

 名字名前が配属されて数日。護衛役とは云え、そう四六時中も危機がやって来るわけではない。彼女にとってはこれが初任務となる訳だ。

 今日の太宰の仕事は、様々な企業の重役が集まるパーティに参加する事。其処にはポートマフィアの商売相手も参加する。こう云った付き合いも面倒ではあるが仕事の一つだ。
 然し当然ながら、稀に其処にはポートマフィアを快く思わない連中も紛れ込む。

「暗殺には適した状況ではあると云う事だ」
「そうは為りません」
「嗚呼、そうだね」

 それらから太宰を守る事が名前の役目。

 ―――――正直に云うと、守ってくれなくて結構なのだが。

 然し死を望む身とは云え、華やかな宴会に紛れてコソコソと人を殺そうとする姑息な連中に殺されるのも気分が良くなるものでもないか。
 それに、ここ数日では図れなかったこの新しい部下の実力を見る事も出来る。

「……ふむ。処で、名前さん」
「…………名字で結構です」

 否、その呼び方だと逆に距離が遠くなっては居まいか。何が『結構』なのか。

「君は如何いう異能力を持っているのかな?」
「……影を操る異能力です」

 聞けば、己の影を自在に操れるものらしい。現在己が弟子にして部下、芥川と似た様な印象だ。影を固体や気体にして攻撃手段や盾とする。彼と違う処は、すでに己の異能力の使い方をある程度は把握できていると云う事か。

 それに加え、僅かではあるが他人の影にも鑑賞できるらしい。他人の影を使い、その人物をその場に縫い付ける事が出来るとか。今の処、足止め程度にしか役に立たないと本人は云うが、それだけ出来れば十分だろう。

 出来れば、の話だが。

「まあ、宜しくね」
「はい」

 感情を見せず、然し此方を見て頷く名前を横目で眺めながら、太宰は内心顔を顰めていた。



『実は名前君は元は―――の構成員でね』

 鴎外があっけからんと云い放った其処は、数カ月前太宰が潰した組織だった。

『しかも強力な異能力者として重宝していた―――然し、彼女には一切忠誠心など無かったという。それ処か、君に渡した彼等の機密情報があっただろう?あれは彼女が此方にリークしたものだ』

 太宰がその組織を潰す際、確かにそのメンバーの名などの情報が連ねられた名簿や、アジトの位置など、短期間では集まる筈も無い情報が届けられ、訝しんだものだが。

『そして今度は此方に所属したいという―――大変貴重な戦力だ』

 ニッコリと笑う鴎外のその言葉は勿論本心ではない。詰りこう云う事だ。

 ―――――名字名前を身近に置き、彼女の真意を見極めろ。



 はっきり結果を云ってしまえば、全く真っ白なものだった。少なくとも彼女自身の行動のみで云えば。

 ここ数日の彼女の行動からは奸計や芝居の気配は見出せない。太宰の指示を聞いて仕事を黙々と熟す姿からは、まるで上司が変わっただけと云わんばかりだ。前の組織に忠誠心が欠片も無いならば意味が判らぬ行動でもないが。

『ポートマフィアの事を如何思っている?』

 直球でそう訊いてみた。きょとん、とした名前の答えは、

『再就職先です』

 判らない。

 判らないのだが、案外単純すぎるものなのかもしれない。本当にマフィアの組織など、金稼ぎの場としか思っていないのかもしれない。

『私が誰か知ってる?』
『太宰幹部です』
『君の前居た組織を潰したのは誰か知ってるかい?』
『太宰幹部です』

 此処まであっさりした会話など何年ぶりだろう。とはいえこの娘に駆け引きが無駄だと判ってしまうともう、この飾りもへったくれも無い会話が小気味よくさえあった。

『私の事、如何思う?』

 だから、何故そんな事を訊いたのかと問われれば、「何となく」とも答えるし、女性を見かければ口説いている己の欲に従ったとも云う。
 名前はまた表情を変えずに云った。

『格好良いと思います』



 華やかなドレス。豪華な料理。仮面と見紛う程の眩い笑顔の人々。その笑みの裏は何が潜んでいるのやら。

 一通り挨拶回りを終えた太宰は、壁際に寄り少し休んでいた。グラスに注いだ葡萄酒は憎き相棒が好んでいた物だったかなと思い返す。そんな如何でも良い事を想う程には退屈していた。

 名前は少し離れた処に居て、周りに悟られぬ様に此方に気を配っている。背中が開いたドレスは着心地が悪いとぼやいていたが中々着こなしていた。
 太宰も何時もとは違うスーツなのに加え、何時もの包帯は取り去っていた。まあ右目の怪我だけは如何しようも無い為、小さめの眼帯を付けて髪で隠している。

 軽快なジャズが響いている。曲が変わると流れる空気も共に変わる。人間と云うのは不思議な物で、そう云う違和感には存外意識の外にある癖にしっかりと感じ取って居るものだから、もう少し有意義な事に脳を使えないのか―――なんて如何でも良い事をつらつらと考えていると。

 ふと、『空気』が変わった。

 音楽が変わった所為かも知れない。然しこのぞわりとした寒気。殺気。
 濃厚な、『死』の感覚。

「――――――――――――!!」

 目の端に捕らえるのは、自分に近付く一人の男の姿。その顔は見覚えの在る様な、無い様な。まあ恨みなど売れるほど購っている。もしかするとその隠しきれない憎悪の表情のみに覚えがあっただけかもしれない。

 ―――――嗚呼、やっと、今度こそ。

 然し、それが叶わない願いである事もまた、自明の理であった。


「太宰幹部っ!」


 嗚呼護衛にしては反応が少し遅いかな、などと、呑気に思う太宰の視線の端に、ドレスの裾を翻しながら此方に掛けてくる姿。その娘は彼女には珍しい焦りの表情をしながら―――異能力を発動する。


 ―――――瞬間。世界が闇に包まれた。


「………………はっ?」

 勿論錯覚である。正確には会場内が、所謂『影の様な物』に包まれた。ピリピリとした空気が太宰の頬を撫でる。無音の静寂は、微かな耳鳴りを起こさせた。
 太宰の周り数米(メートル)を残し、辺りが真っ黒に染まり―――それが一瞬で晴れる。

 其処に広がる光景は、太宰以外の人間が倒れているという、異様な光景だった。

 世界に音が戻ってきたが、それは先程までの厳かな宴会の音ではなく、況してや人々の騒めきでもなく、風やら外の鳥の鳴き声やら、ただの自然に発生する音しか無かった。何処かで落ちた食器のカラン、と云う音が此方まで響いてくる程だ。ガシャン、と隣でした音に目を向ければ、高価そうな皿が粉々になって落ちていた。

 ゆっくりと、太宰はその世界を生み出した元凶を見た。彼女はじっと、太宰を見ている。
 まるで、次の指示を待つ忠犬の様に。


「………………名前さん」
「名字で結構です太宰幹部」
「君は一体何をしたのかな」

 何をしたのか、など。可笑しい、自分は此の様な阿呆らしい質問を部下にしたことがあっただろうか。然し状況に頭が少しばかり混乱していた。こんな感覚は何年振りか。

 彼女は首を傾げ、無表情の侭口を開いた。

「私は太宰幹部を狙う刺客を視認し、異能力で撃退致しました」
「一寸周り見てくれる?」
「…………見ました」
「この惨状の云い訳をして御覧?」
「…………?」

 太宰の云う事が判らないとばかりの表情だ。名前はもう一度周りを静かに見回し、太宰の顔を見て、今度は反対の方向に首を傾げた。

「あのさ、先ず私ごと攻撃したね君?」
「太宰幹部には中らない様にしましたが……万が一中っても異能が無効化されたかと」
「うん、でもね、先刻飛んできた食器で怪我しそうになったよ?二次被害だよ」
「その場合、私の影でお守りしていたので大丈夫です」
「よし、次に行こう。何故関係ない人まで巻き込んじゃったのかな?此処には敵しか居ないのではないのだよ?」
「巻き込むなとは云われなかったので……」

 とある予感と云う名の確信が頭を掠め、太宰は呆れたように目を閉じた。

 ―――――この子、莫迦だ。

「君、それなりに常識が無いね。あ、違うな、純粋すぎるのかな」

 その表情が、漸くはっきりと目に這入る。無表情なのではなく、無垢な瞳。
 この娘、明らかに何かの感覚が三歳児並になっている。

 太宰は額に手を遣った。確かに異能力は強力だ。今自分が教育している弟子を凌ぐ可能性もある。
 然し組織の一員としての意識が伴ってない。如何やら能力は制御は出来るらしい以上、これは本人の問題だ。下手をするとあの弟子より難航しそうな予感がする。

 小さく溜め息を吐き、名前に近付く。彼女が何かする前に手を上げた。
 静かな会場に、掌が肌を打つ音が響く。

「女性には手を上げない主義だけど、君は女性という以前に部下だからね」

 打たれた頬を抑え乍ら、然し、その表情は変わらなかった。

「はい、私は太宰幹部の部下です」

 其の声を聞かず、スタスタと歩き始めた太宰に、とことことついて来る。
 その気配を感じながら、太宰はこっそりと、また溜め息を吐いた。

 一体如何しようか。この惨状は何とか云い訳するとして。後ろのこの娘を如何するか。

 今更ながら首領の『頑張ってね』の意味が判り頭が痛む。詰り世話役―――もとい教育係、否、飼育係を押し付けられたのだ。

 正直今抱えている弟子一人でも手が一杯なのだが……幸い教える内容はそんなに無い筈だ。成人手前の女性が闇の世界で今まで生きてきたのだ、其れなりに組織内で生きる術は学んでいる筈。手が掛からなくなるまでそんなに無いだろう。


「ああ〜もう頭が痛いよ……」
「大丈夫ですか?頭には被弾なされていない筈……」
「頭痛がしているだけだよ……全く。ほら、行くよポンコツ名前さん」
「……?私の名字は『ポンコツ』ではなく『名字』ですが」
「それを皮肉じゃなくて心から云ってるから凄いよねえ君……」

 そう云うと、名前は感心した様に頷いた。

「太宰幹部は心も読めるのですか。矢っ張り格好良いです」
「……どうも。それ前も云ってたね」
「はい」
「君の元上司を殺した男を『格好良い』とか思った理由を教えてもらえる?」
「それは」

 己の所属する組織を潰した男に対して『格好良い』などとほざく理由。太宰の考えが間違っていなければ、否、おそらく間違いなく―――。

「貴方が部隊を率いて指示しているのが、格好良かったので。リーダーみたいで」

 リーダーみたいではなく実質指揮役(リーダー)だったのだが。……否、問題は其処ではなく。
 これは、ポートマフィアに忠誠を誓う事なんて無いのだろうな……と太宰は心の中で独り言ちた。


 ―――――この時、太宰は知らなかったのである。
 この娘の教育が恐ろしい程に難航することを。そして、この娘との付き合いが予測よりも長い付き合いになる事を。


 黒い影が二つ並ぶ。凄惨たる現場から、彼等はそんな未来など知らぬとばかりに颯爽と去っていくのであった。

(2017.03.27)
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