トラ・トラ・トラ

※十月三十一日の出来事





 私の名前は名字名前。しがない結婚「名字君!!名字君助けてよ!僕じゃ手に負えないよう!」
…………しがない結婚詐欺師だ。

 却説十月も半ばを過ぎるとめっぽう気が滅入る者が出始めるものである。もう直ぐ年末だからだ。悲しいかな、五月病の一種と云うべきか。

「名字君!名字君!!」

やれ『聖夜祭だ』やれ『お正月だ』と浮かれるにはまだ早く、今年がもう直ぐ終わり来年度という人によっては新しい生活に向かって準備を始めなければならない面倒さ。

「名字君!!」

 幸いなことに学校に行っている訳でもない私には其の様な悩みは無縁であるのだが―――

「如何かしたんですか?」
「あっ……あぁあ…………いえ……」

 先刻から焦った様に此方の名前を呼んでいた上司の声が小さくなり消えていく。そし新たな声が聞こえてきた。誰かは考えるまでも無い。私を名で呼ぶ人物はそんなに多くない。
 先に此方に来た上司より遅れて、コツリ、コツリと脚音が近付く。

「如何しました?私は唯名前が何処に居るか訊いているだけなのですが。一言応えて下さるだけで良いのに」
「名字君は……その……」

 少しだけ身体を前屈みにすると温かい物が膝から落ちそうになる。『それ』はもぞりと動く。慌てて音を立てない様に姿勢を直した。声を出さないで……お願いだから……。

「…………………驚きました」
「だからですね……えっ?」
「貴方にそんな度胸が有ったとは。流石名前の……だけあります」

 何て?然し訊き返す訳にもいかない。心なしか上司の声が止んだ気がした。

「処で、ご存知ですか」

 今度は周りに聞かせるような声。張り上げなくても響いていく声だ。流石幹部というべきか。お陰で空気がとても冷たい。寒いのではない。冷たい。

「巷ではハロウィンなる祭りが流行っているそうなのですよ」
「え、ええ……知っています」
「今はもう民間的な祭りと化していますが、元々は質の悪い心霊の類を追い払うものだったとか……却説」

 あ、これは。拙いかもしれない。頬に汗が伝う。

「云うことはあまり変わらないのですが、折角ですので私も行事に則ってみるとしましょう―――ねえ?

『Trick or treat.(お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ)』」


 誰か笑ってやってくれ。あの歴代最年少幹部様が冗談を云ったのだ。笑ってあげなくては可哀想だろう。私は笑っている場合ではないので―――


 逃げさせていただく!


 ―――――が、然し。


「あ、見っけ」


 机の下からコッソリ出ようとしていた私に影が掛かる。見下ろす太宰は何処か含みのある笑顔をニコッと浮かべた。ゆっくりと机から顔を出して見ると、上司は顔を覆っている。

「ありがとうございます」
「ごめんよ名字君……」
「…………良いのです所長」

 今まで隠れていた机の下から出た。裏切り者ぉ!と叫びたいのは山々であったが。

「行き成り頼んだのですし、寧ろ数分持っただけでも」
「ふうん……そう、『頼んだ』んだ」

 周りに誰が居るのか忘れて会話するのは大変失礼かつ危険な行為である。気を付けよう。取り敢えず笑顔すら忘れて威圧感を放ち始めた悪霊……もとい太宰に向き直る。

――――と、

「あー、違うんです、これは……、っ!」

 もぞりと、今まで私と共に隠れていた『それ』が動いた。

「『これは』、何………………何あれ?」
「こら!」

 机の下から小さな茶色が転がり出る。其れはふわふわと辺りを歩き回り、数秒と待たずに私たちの脚下に転がり込んできた。思わず額に手をやる。『それ』を隠すように軽く掛けていた筈の毛布は床に落ちていた。


「…………犬?」


 すっかり毒気を抜かれた様な太宰に、何も知らない子犬が首を傾げるように瞳を向けた。


「同僚が、数日預ける先を探していたそうなのですよ」
「うん」
「ペット……ホテル?でしたっけ、シッター?は以前揉め事が有って信用できないそうで」
「うん」
「然しみんな殆ど犬の世話などしたことなくて、交代で見ることになって。今日は私になったんです」
「……うん」
「私は犬が好きですが、貴方は苦手だったなあと。だから今日は如何断ろうか考えていたらこんな時間になり仕方なく隠れまして」
「…………うん」

 膝の上に居座る子犬はとても大人しい。静かに撫でると気持ちよさそうだ。そして先程から太宰をじっと見つめている。何が見えているのだ。包帯男かそうか。
 私たちが居るのは事務所の来客用ソファだ。二人で向き合う形で子犬を挟んでいる。

 太宰はと云えば、私の話を聞いているのかいないのか、話に頷きながらもしかめっ面で子犬と睨み合っている。否、子犬は睨んでいないので一方的だ。犬が苦手というのは本当だったらしい。
 然し、おそらく彼にとって突っ込み処であろう部分で相槌が微妙なものになるのは、矢張り話は確り聞いているのだろう。

 上司は早々に自分の席へ退散した。……ごめんなさい巻き込んで。

「云ってくれれば良かったのに」
「子犬の生命を優先したまでです」
「厭だなあ幾ら私でも幼気な子犬に害する訳ないじゃないか」
「白々しいにも程がある」


 向かい合う形で座っていた私達だが、子犬を睨むのにも飽きたのか太宰が立ち上がる。其の侭私の隣に改めて座り直す。

 私は思わず子犬を前に構えた。

「…………」
「………ワン!」
「『ワン』じゃないよ名前。何盾作ってるの」
「…………怒っている貴方は苦手です」

 掲げた子犬の影に隠れてぽそりと呟く。そっと窺うと、太宰は少し目を丸くしていた。然し直ぐにその目を閉じ、はあと溜め息を吐く。髪の毛を掻き混ぜ乍ら話し出した。

「別に怒っている訳ではなくて」
「…………」
「急に隠れるし、出て来てみれば其れに構ってるし?別に約束していた訳では無いけどさ、今日私が此処に来ること君も知っていたじゃないか」
「……うわ面倒くさ……ではなくて、それ、怒ってるのでは……」
「…………怒ってないけど……はあ……今日何の日か知ってる?」

 ……今日。そう云えば太宰が云っていた様な。

「トリック、オア、トリート、ですね」

 今日は十月三十一日、ハロウィンだ。
 この国でも良く知られた異国の祭り。お化けの仮装をした子供たちが、『御菓子をくれ、さもなきゃ悪戯するぞ!』と練り歩く。

「お菓子」
「は?」

 思わず訊き返した。見れば目の前の太宰の目は据わっている。少し目線を下げれば、包帯だらけの手が此方に差し出されていた。子犬も心なしか「クゥン……」と怯えた様な声を出す。そう云えば距離も、何だか近い様な。じり、じりと座った儘にじり寄ってくる彼に茶色い生命は見えているだろうか。

「お菓子頂戴」
「えっ」
「でないと悪戯するよ」
「いっ……」

 落ち着け。何時もの事だ。太宰が面倒なのは何時もの事。この事態だって予測していなかった訳では無い。

 しなかった、訳では無いが。

「太宰治。貴方はもう子供ではないのですから。そういうのは子供に譲りましょう」

 苦し紛れに言葉を紡ぐ。良い云い方が思い付かなかった。然しこれ以上この状況に相応しい説教が有ろうか。貴方は十八ですよ。
 然し、太宰が納得するかは別なのである。恐る恐る反応を伺うと。

 ――――太宰は、お笑いかという程ぽかんとした表情をしていた。と、見る見るうちにその顔が輝き始める。情緒不安定か?

「…………え」
「名前……名前、それ……そういう意味?」
「え?」
「厭だな名前……気が早いよ、未だもう少し二人で暮らしてから」
「待って、いや待って」
「矢張り一年くらいは二人で過ごそうよ」
「話が見えな……否、見え……見え、ちょ、そういう意味じゃない!!」

 頬を染め、両手を添え乍ら話す太宰に怒鳴る。何をトリップしているのだ此奴は。
然も質が悪いのは、『そういう意味ではない』事を知っていて云っている事だ。

「子供は二人くらいが良いよね」
「だ、か、ら!」
「名前〜、別にハロウィンだけの話ではないよ、将来の事だから」
「あー、お菓子欲しいんでしたっけ!?残念ながら此処には無いのです!お帰り下さい!!」
「…………名前?それ云っちゃう?」

 妄言を遮れば、完全にやる気……否何のやる気だ……を取り戻した太宰がニヤリと口角をあげる。

「お菓子が無いなら―――」

「帰らないなら!」

 これ以上ふざけた遣り取りをするならば此方にも秘密―――でもなんでもないが―――兵器が在るのだ。
 先刻から寂しそうになっていた子犬を掲げる。

「さあチビ1号!行くのです!噛みつきなさい!」
「待って」

 調子が戻り始めていた太宰がビシッと手のひらを前に差し出す。ざまあみろ。彼のパターンは大体読めて……読め……ない事も多いが今日は読めた。

「先ず『チビ1号』とは」
「今思い付きました」

 飼い主はこの子に名を付けていない。『好きに呼んでいい』と云われた。
 元々決まったペット等を飼わない人だ。失うのが悲しいから。だから名も付けていないのだろう。

「君に名付けを任せない方が良いのだろうか」
「では貴方なら何と?」
「………………『太郎』?」
「……いっ……良い名ですね……」
「矢っ張り君に任せるべきじゃない気がする」
「さあチビ1号行きなさい!」

 子犬はまた首を傾げている。何故だろう。こんなにも判り易く邪悪な奴が近くに居ると云うのに!尻尾振っている場合じゃない!

 …………処で、私と云えば、肝心な処でのミスが多いのだが。

「あの悪霊に向かって!さ、あ……」
「大体さあ、名前?」

 子犬から手を離したら、それは盾の消失を意味するわけで。
 ソファがギシ、と音を立てる。脚と脚が触れた。手を掴まれて、ぐっと近寄られればもう逃げ場は無い。

「こうなる事くらい予想出来たんじゃない?菓子位用意できたでしょ?」
「……そうでも、ありません」
「まァ、菓子位で満足できる訳無いけれどね?」
「……まあ、子供でも、ないですし」
「でしょ?……ふふ、嬉しいなあ。名前の方からお膳立てしてくれるなんて

 ―――悪戯、させてくれるんでしょ?」

 首筋に触れてくる手に、ぞわり、と寒気ではない感覚が奔る。
 目を細め、そっと額を寄せてくる太宰に、静かに首を振った。

「違います」
「もう、往生際が」
「違います、そうじゃなくて。私は」

 諦めて白状しようとし、然し顔の近さに言葉が詰まる。近い。互いの息が掛かりそうだ。可笑しい、今日は寒い日だったはずなのだけれど、熱い。

「お膳立てとかじゃなくて、ハロウィンだから」
「……?」
「ハロウィンだから、その。元々悪霊を追い払うものなんですよ」
「……知ってる」
「だから、その」
「…………名前」
「お菓子あげるのは一寸、その、可哀想かなあって!!」

 ―――――最後はやけくそである。
 そうなのだ、太宰はどうせ『Trick or treat!』と云ってくるだろうと判ってはいた。子供が相手ならば可愛い行事だが本当に悪霊みたいな此奴が相手だと、

『お菓子を渡せば何だか厄介払いのような気分にならないか?』

 という自分でも良く判らない罪悪感のようなものが襲ってくるのである。

「ねえ、名前」
「……何ですか」
「それさ、状況を何も変えないのだけれど」
「…………え?」
「寧ろ、こう」

 否、罪悪感と云うより、これは、

「背中を押されてしまった気分なのだけれど」
「……私は」
「うん」

「太宰治が帰ってしまうのが厭だったんでしょうか」

 ―――――どさり、と何か音がする。
 考えていた私にはそれが何の音が判らず、然し直ぐに理解した。

 天井が、見えている。いや天井だけではなく。
 握られた手が熱い。振ってくる視線が熱を帯びている。

「…………以前にもありました。この状況」
「止め刺されちゃったから」
「…………云い訳できません」
「おや、大人しいね」
「そうですね」

 ふ、と微笑んで、顔を少し寄せた。其処で少し躊躇って視線が彷徨う。
 然し、直ぐに太宰の目を見つめ返す。

「今日くらいは、良いかなと」

 其れを見た彼は私の頬に手を滑らせて。二人の顔が近付き。


――――――――近付いたところで、私は大きく息を吸った。


「――――――今ですっ!『太郎』っ!」


「キャンッ!!」
「へ?ちょっ!?ぶっ!!!」

 茶色の塊が太宰の横顔に追突した。その隙に私は彼を押し退け滑り落ちる。
 振り返ると、其処には獅子の如く踏ん反り返る『太郎』と、顔を抑え悶える太宰の姿が有った。

「ざまあああああみやがれです!!悪戯くれてやるのは此方だったという寸法ですよ!」
「いやいやいやいや今良い処だったよ!何なら計画早めたって良いくらいだったよ!」
「何のですか?貴方の入院計画ですか?」
「あと何時の間にその子は『太郎』で決定したの!?」
「貴方が『太郎』って云うから……太郎は気に入っています。私には判ります。因みにこの子は雌です」

 太郎は確りと胸を張り、尻尾をぶんぶん振り回している。この子は良い子だ。守り神の様だ。今日限定なのが悲しいが。

「…………まァ、良いさ」
「?」

 拗ねた様子だと思っていたが、太宰の呟きは心なしかほっとして居る様にも聞こえた。片手を上げ、口の端を擦っている。見れば少し、耳が赤い。

「一寸……加減できなかった、かも知れないし」
「…………勘弁してください」



 因みにその後、上司の、「あのう…………此処一応事務所なんだけど…………」の一言で、私まで顔に熱が集まったのは云うまでもないのだが。

(2017.11.01)
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