なくした日から

(キャラ死ネタ、バッドエンド気味)





一年前



 私の様な者は貴方には勿体無いのです。
 私は確かそう云ったのだと思う。思う、と言うのは、同僚からの突然の告白に戸惑ったからであり、事実その言葉の通りに思ったからであり、悲しい事に彼の事を好きではなかったからであり、それらの所為でよく憶えていないからだった。

「良い」

 一言、たった一言彼は口にした。怪訝な顔を私はしていたのだろう、彼は一寸笑って云った。

「知っていた。お前が好いているのは太宰だ」
「……国木田さん、」
「何も云わんでくれ」

 笑っていた。その筈の彼の顔は然し、滲んで善く見えなかったのだ。

「何も云わんでくれ。彼奴に、太宰に云ってやってくれ。俺には何も要らん」



四ヶ月後



「結婚するんだって?」

 慣れない書類仕事に頭を悩ませていると、飴でも含んでいるのだろう、少しくぐもった声が掛かった。

 斜めの席に座る人物を見遣る。棒付きの菓子を持って口から出し、もう片方で頬杖をつく名探偵は、つまらなそうな顔をしていた。最近事件が少ない所為もあるのだろう。

「結婚するの?」
 もう一度訊かれたので自分の事と知り、頷く。

「ええ」
 私の薬指に、指輪はまだ、無い。

 あの人だったら購ってくれただろうか。屹度無理してでも購ってくれただろう。

「あっちは良いの?『好きだ』って云われたんでしょ?」

 あの人だったら。

「私が好きなのは、太宰さんですよ」

 そう云うと、一回溜息を吐いた乱歩は「嗚呼、そう」と興味を失った様に、また菓子を咥えた。



一年後



 花嫁衣装に身を包む。私は今日から妻となる。

 辛い時に支えてくれた。優しい声で励ましてくれた。屹度他に優先すべき事は有っただろうに、何時も私の傍に居てくれた。愛していると云ってくれた。愛していると応えた。
 幸せな時間。幸せだった時間。私はそれを心にあの人の妻となれるのだ、何と幸福な事か。
 会場に入ると、探偵社員達の姿が目に映る。皆笑顔だった。皆拍手をしていた。探偵社員同士の結婚を、皆で祝福していた。

 然し、二人だけ、悲しい顔をしていた。
 一人は、国木田の気持ちを知っていて、少し顔を顰めていた。
 もう一人は、ただ此方をじっと見ていた。

『これで、善かったんだな?』―――そういう言葉が聴こえる程に。
 だから目だけで頷いて、私は夫となる人のもとへ向かう。
 私を待つ人のもとへ。

 愛していると云った。愛していると応えてくれた。
 だから幸せだ。私は幸せな筈だ。誰かが不幸になったかもしれないけれど。

 幸せに細められている目が私を見つめている。
 何時も私の傍に居てくれた、その優しさも好きだったけれど、この目も嫌いではなかった。



××年後



 夫が川で見つかった、と聞いたのは、結婚してから始めた仕事の途中での事だった。
 慌てて上司に頭を下げ、病院へと向かう。命に別状は無いとの事だったが、気が気ではなかった。

 また入水なんて。なんて莫迦な事。死んでしまう。今度こそ死んでしまうかもしれないのに。

 病室へ着いて、思わず息を吐く。個室の番号と、患者名を確認した。手を伸ばしてゆっくりと戸を開けるのがもどかしい。
「…………」
 夫は窓の外を見ていた。包帯が腕に巻かれている。所々血が滲んでいて、一体どんな入水をしたのだと思わせる程。
「……如何して」
 心配したんですよ、とか、怪我は大丈夫ですか、とか、そんな言葉は何も出ずに、私の口からは怨嗟にも似た呻きが漏れだした。


「如何して。死なないって云ったじゃありませんか。私を置いていかないって。死ぬ時は一緒だと仰ったじゃないですか。嘘だったのですか。私を幸せにしてくださるのではなかったのですか」


 ただただ夫への恨み辛みを吐き出す私に、彼は最初、そっと目線だけを返した。最後の言葉で、それはまた窓の外へと戻った。


「幸せじゃないか」
 誰に云ったのか、彼が云った。

「幸せだろう」
 私はただ何も返さず、荒い呼吸のみをしていたので。彼はそっと続けた。


「幸せだろう。……お前も太宰と一緒になりたかっただろうにな」


 劈くような声が聞こえた。私の声ではなかった。彼の声でもなかった。
 此処は精神病棟だった。この部屋は自殺を繰り返す様になった、国木田独歩の為の病室だった。
 私が好きだった人と同じ姿に為って、私と同じ苗字の彼は乾いた声で笑った。
「……………………ごめんなさい」
 彼を壊したのは私だった。紛れもなく私だった。国木田名前の声だった。
「ごめんなさい……ごめんなさい…………ごめんなさい………………ごめんなさい……」



一日前



 最後に逢ったのは病室だった。


「ねえ、名前さん」
 私の好きな声が、私を呼ぶ。病床に居るとは思えない程、確りとした声。それなのにその姿は痛々しい。包帯だらけの姿は変わらないのに、明らかに以前よりやつれ、
「何ですか、太宰さん」
「此処に居て良いのかい。国木田君が待っているよ」
 出された名前に、悲しみが込み上げるのを感じた。
「っ、私が……好きなのは、国木田さんじゃ、」


 辛い時に支えてくれた。優しい声で励ましてくれた。屹度他に優先すべき事は有っただろうに、何時も私の傍に居てくれた。愛していると云ってくれた。愛していると応えた。


 でも、別れて欲しいと云われた。短くて幸せな時間は終わった。
 もう、長くないのだと云われたから。そんな理由で、国木田君、あの子を頼むよ、なんて勝手な事を云ったらしい。
「誰と一緒になっても、私が好きなのは」
「駄目だよ」
 少し厳しい声になり、彼が云った。

「駄目だ。貴女は幸せにならなくてはいけない。私を忘れなくてはいけない。国木田君についていくんだ。屹度彼は、」

 何時になく激しい口調で云った彼は、其処で咳き込んだ。咳き込みながら起き上がろうとするので、私は慌てて止めようと手を伸ばす。然し、彼本人の手によって阻まれた。

「私よりも、名前さんを大切にしてくれるよ」



「…………あ」
 俯きがちに廊下を歩いていたので、その声で漸く誰かとすれ違ったことに気が付いた。顔を上げると、白い髪が目に入る。中島敦君。あの人が救った子。

「あの、その。太宰さんの御見舞いですか?……ですよね」
「……ええ」
「えっと、国木田さん、玄関で待ってらっしゃいますよ」
「ありがとうございます」

 最低限の会話だけ交わして立ち去る。否、彼が迎えに来る事は知っていたから、最低限ではなかったのかもしれない。
「―――――名字さん!」
「?はい」
 通り過ぎようとすると、止められる。何事かと立ち止まった。
 少年は迷った様に唇を噛み締めたが、やがて口を開く。

「国木田さんは、貴女の気持ちを知っています。知ってて、太宰さんの御願いを聞いたんです。だから、……だから、」
「そんなの、私には関係ありません」

 今度こそ前を向き立ち去った。私の言葉が聞こえたかは判らない。ただ、彼の目は乱歩を思い起こさせた。
 この先私が国木田と結ばれたとしても、あの二人は祝福してはくれないだろう。知らない。関係無い。

「愛した人は変わらない。愛する人は変わるかもしれないけれど」

「国木田さん」
 外は曇り空で、昼にしては暗かった。少年と共に来たのであろう、恋人が、私の今の『恋人』が待っている。
「国木田さん。戻りましょう」
 帰りましょうとは云わない。私の帰る家は一つだけだ。あの人と過ごした部屋。
「ああ」
 多分、この人もそれを判っているのだろう。
 労わる様な目を向けられる。その優しさはあの人程じゃなかったけれど、その目は嫌いには為れなかった。


 その翌日、私は病室には行かなかった。彼の病室に誰も居ない時、彼は逝ったらしかった。



一日後



「彼奴を忘れろとは云わない、云える訳がない。それでいい。彼奴との時間を抱えた侭、俺と一緒に居て欲しい。太宰がお前を置いていくなら、俺は置いていかない。太宰がお前と死ねないのなら、俺がお前と共に死のう。それまで共に生きよう。俺と、お前で」

「…………ありがとう。ありがとう、私を幸せにして下さると、貴方はそう云うのですね。
 でも、私は、あの人から云われたかった。それを云って、私を連れて行って欲しかったのに」

「―――――それで、良い。それで良いから」
「……ありがとう。ごめんなさい。…………ありがとう……」



××年と××ヶ月後



 頷いていたら、私達は、幸せになれただろうか。


 やっと指輪を購った。二人の指輪だ。私達の結婚指輪。
多分、あの日、購う筈だった。手に入れる筈だった幸せ。私が失くしたもの。あの人が無くしたもの。
 もう一つをつける人は、もう居ない。

(2018.01.17)
ALICE+