初戦から波乱はあったものの、全てのチームの対戦が終了。各々が緊張の取れた面持ちでいる。名前は深く被ったフードの下、落ち着かない様子で前髪をいじった。
「では最終戦、名字少女に対戦相手を決めて貰おうか!」
 後方からモニターを眺めていた名前の元にオールマイトが箱を差し出す。最初に指先に触れたボールをそのまま掴んだ。
 描かれていたアルファベットは、B。轟・障子ペアだ。
「マジかよ、運悪ィなアイツ!」
「また轟の『個性』で瞬殺なんじゃ……」
 周囲が騒めく中、対戦の決まった三者は静かなものだった。名前と轟は無表情のまま、障子はひとつ頷いたきりで反応が薄いことこの上ない。
「オーケー、『敵』は名字少女、『ヒーロー』はBチームの二人! 名字少女は先に行ってセッティングをしてくれ!! 五分後に『ヒーロー』が潜入するからそのつもりでな!」
 オールマイトの言葉に見送られ扉に手を掛けると、後ろから葉隠が声を上げた。
「ファイト!」
 驚いてぱっと振り返れば、ガッツポーズをする葉隠と、控え目に手を振る耳郎がいた。ノリの良い赤髪の少年やメッシュの入った髪の少年までもが「頑張れー!」等々声を上げる。
 戸惑いを隠せない名前は固まった。視線を泳がせ、口を開いて閉じる。どう返すのが正解か分からなかった果てに、会釈をして逃げるようにモニタールームを去った。
「小動物みたいね」
 ケロ、と呟かれた声は聞こえないふりをした。



 最上階に『核兵器』を設置した名前は見取り図を改めて照らし合わせた。五階建ての鉄筋コンクリートビル。廊下は入り組んでいるが、階段は一階からの吹き抜けだ。灰色の壁を右手の甲で軽く叩いた。包帯の下の切り傷に響いて小さな痛みが走る。
 せめてコンクリートじゃなくて木製なら『個性』を活かせたのに。このご時世、都会でなくとも望み薄なことを心の中でぼやく。
 そこここに設置された監視カメラを気まずく思いながら、名前はポケットから幾つかの小袋を取り出した。袋に踊る『アサガオの種』というポップな字体は、戦闘訓練と銘打たれたこの場にはちぐはぐに映る。
 名前は袋を地面に放り、躊躇いなく踏み潰した。新品のスニーカーの下で、小さな命の欠片が潰えてゆく感覚に多少の抵抗はあるが、どうせ生き返るのだし。無表情で作業を終え、粉々になった種の半分ほどを『核』の周りにばら撒いた。
 そろそろ『ヒーロー』達が潜入してくる頃だろうか。先ほどのBチームの対戦を思い返す。残りの種を廊下に落としつつ階段を下りていた名前は、何を思ったかスニーカーを脱いで、二階のドアノブに靴紐で吊るした。

 そうしてぺたぺたと一階に下りた瞬間、凍えるような空気が吹き込んだ。あっと思う間もなく、床から天井へ氷が侵食した。吐く息さえ白い。一度身震いした。
「…………寒い」
 こつり、足音がして轟が現れた。素足が凍り、身動きの取れない名前を見止めて目を側める。
「何で靴脱いでるんだ。さっきの対戦、見てなかったのか」
「……轟、さん……ひとり?」
 問いかけというよりは呆れの混じった轟の言葉には答えず、逆に尋ねた。かれの返答はシンプルだった。
「危ねえだろ」
 舐められてるなぁと思った。苛立ちなどは無い。単純に、事実として甘く見られている。名前が対策を練っていたとしても無力化できるという自負の元、轟はひとりで対峙しに来たのだ。
「下りてくる足音を障子が聞いてた。五階だろ、『核』」
 淡々と言いながら名前の横を通り過ぎる。視界から完全に名前を外した。

 今。
 氷漬けの足を力づくで引き剥がし、蘇生。
「――っ、」
 衝撃波が生まれる一瞬の光に反応した轟が、間一髪、名前の蹴りを避けた。もう一方の脚を振りかぶる。血が舞った。轟が手を一振りすると、足元から分厚い氷の壁が現れ、名前と轟とを分断する。勢いを殺さず、その壁に衝撃波と共に蹴りを叩きこんだ。罅が入り、崩れるように穴が開く。
 階段を駆け上がる轟の後ろ姿を追おうとするも、刹那、背後から大きな腕が名前に伸びた。
 瞬時に飛び退き、『死んだ』種を宙に撒いて蘇生する。閃光が目を刺した。衝撃波の向こうで障子の姿を捉えた名前は、身を翻して轟が走り去った階段を駆け上がった。恐らく障子は近接戦闘を得意としている。いま相手にしている暇はない。去り際に轟が作った分厚い氷の壁を崩した。障子相手ではあまり効果は無いかもしれないが、多少の足止めにはなるだろう。

 五階。入り組んだ廊下の向こうに轟の後ろ姿を見つけた。かれの足元に意識を集中させ、
「蘇れ」
 セッティング時に撒いておいた種を遠隔で蘇生。足元がぐらついた轟に迫るも、やはり氷の壁が立ち塞がる。
 ――鬱陶しい。
 昨日の傷のせいで右手が思う様に使えないのだ。腰から小刀を引き抜いた名前は、包帯ごと右手を叩き切った。手首から下が氷漬けの床に落下する。血が噴き出したが、顔色ひとつ変えずに氷の壁に傷口を押し当てた。
「蘇生」
 爆発と見紛う程の閃光が弾けた。
『名字少女!!』
 名前のインカムにオールマイトの厳しい声が入る。
 同時に、道を塞いでいた氷が木っ端微塵に砕け飛んだ。黒い袖の中、たったいま失われた右手は既に形を取り戻している。傷跡もどこにも無い。
 砕けた氷の跡を走りながら、種子の欠片を次々に遠隔で蘇生してゆく。轟が『核』を設置した部屋まで真っ直ぐ向かって行くものだから、名前も妨害の手を止められない。
 インカムがオールマイトの声で震えた。
『君も! 次その使い方したら強制終了だぞ!』
 強制終了を勧告されるのは名前で二人目。オールマイトが言う『その使い方』は、自傷で衝撃波を生んだことだろうか。爆豪と違って誰も傷付けようとしていないのに何が悪いんだ。
 とは言え、同じことをするエネルギーはもう残っていない。しぶとく轟の背を追い続けていた名前だったが、『核』のある部屋にかれが辿り着いたのを確認して足を止めた。
 試したかったことをやって終わりにしよう。最後の悪足掻きだ。
 息切れを抑え込みながら目を閉じる。
 まだだ、まだ。まだ。
 轟が『核』に触れる瞬間。その周囲に撒いておいた『死』に触れる瞬間。
 両手を組んで握りしめた。

「よみがえ、れ」

『核』を設置した部屋から眩い光が閃いた。次いで空気を震わす衝撃。
 ――――できた。
 目視できぬ場所にある『死体』の蘇生。
 しかし、

『ヒーローチーム、WIIIIN!!!』

 オールマイトの声が響いた。耳の奥で反響して頭が痛んだのでインカムを外した。
 名前の――『敵』の負けだ。遠隔の蘇生には成功した。しかし衝撃波が轟に当たらなかったのか。当たった上で『核』に触れたのか。何かしらの方法で防がれたのかもしれない。
 名前は壁に背を預けへたり込んだ。フードを深く被り直して、立てた膝に顔を埋めた。長く息を吐く。こんなにも人前で『個性』を乱発したのは初めてだ。
「大丈夫か?」
 静かな声が降ってきた。目を開けると、フードに遮られた狭い視界に青のブーツが映り込んでいる。障子だ。追い付いてきたらしい。返事が無い名前を気遣うようにそっと横に屈みこむ。
「とりあえず靴は履いた方がいい。二階にあったスニーカー、名字のだろう」
 障子が差し出した真っ黒なスニーカーは確かに名前のものだった。
 小さく頷いて顔を上げたが、目の裏がちかちかする。頭の奥が鋭く痛んだ。貧血にも似た感覚だ。ぐにゃりと目の前が歪む。
「おい、」
 気持ち悪い。それ以上に、
「おなかすいた……」
「は?」
 小さく呻いた後、名前は意識を飛ばした。

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