「体調はどうだい?」
「良好、です」
 茜色はほとんど薄まり、代わりに淡い紫から夜色のグラデーションが空を埋めている。足元は既に暗い。
 下駄箱で名前を引き留めたオールマイトはあれから直ぐに戻って来た。授業の講評を今日のうちに伝えたかったらしい。とは言えあまり帰りが遅くなってもいけないと、普通科の校舎――玄関から近く、雄英高校の施設の中でいちばん規模が小さい――をぐるりとひと回りする間に講評を聞くことになった。
「あの時の君のアドバンテージは情報! 最初の轟少年の氷漬けは回避できたはずだ。油断を誘うにしてももっと良い手はあったはずだし、名字少女の場合は二対一だっただろ? 身動きが取れないってのは一番避けるべき事態だぞ」
 自分の隙や至らない点が詳らかにされるのは中々に居た堪れない。こうして振り返れば訓練という状況に甘え、舐めてかかっていたのは名前も大概だ。『蘇生』の遠隔操作の試用運転に気を取られて、相手が見えていなかった。
 障子の足止めの拙さ、多対一の基本的な動き等々、修正点は幾らでも出てくる。
 神妙に頷いていた中、褒められたのは体術だった。
「何か習っていたのかい?」
「……合気道、柔道、空手、……剣道と、ボクシングも少しだけ」
 器械体操やパルクール、ボルダリングなんかもやっていた。二つ習い始めてはひとつ止めるといった具合で、身体を使う種目は粗方経験したのではないかとまで思う。今はどこにも通っていないが、最後まで続いたのは合気道とパルクールだった。
「それは……すごいね」
 習った名前も、習わせた保護者も。オールマイトが言わんとすることはよく分かる。名前は深く頷いた。
 遠い親戚の子どもに何故こんなにも投資してくれるのか。聞けずじまいの疑問は感謝と共に名前の胸に残っている。
「その身体能力と体術は立派な武器だ、これからもっと伸ばしていけるだろう」
「、はい」

 一周を終え校門に差し掛かると、オールマイトは表情を真剣なものに変えた。最後にひとつ、と指を立てる。
「『個性』の使い方について――楽だからって、咄嗟に自分を傷付ける癖を止めること」
 心臓が跳ねた。
『楽だから』。かれの指摘は的を射ていた。
 一度壊してリセットする。一度死んでも元通り。名前は容易にその選択ができる。怪我を負うことによるリスクを考えず――極論、死ぬことをほとんど意識せずに敵に突っ込める。何も考えずにいるのは楽だ。
 それじゃあ、と名前は思う。自分を大事にしていないというのは、名前が楽な方に身を委ねていることに対する批判なのだろうか。頭を使って戦闘をしていない、楽をするなという意味合いの指摘?
 確かに苦難を味わうのを美徳とする風潮は、未だ蔓延っている。
 加えてここは雄英、Plus Ultraの精神だ。相澤も言っていたではないか。『三年間、全力で苦難を与え続ける』と。
 自分を大事にしなければならないとはつまり、楽な方に流されるなという叱責の意味を含んでいたのだ。名前は一先ず納得した。
「……気を付けます」
 リカバリーガールの哀情やオールマイトの真剣さを思料せず、納得してしまった。

 
 名前はほとんど幼子のようなひたむきさで、ヒーローを目指している。
 リカバリーガールやオールマイトが、ただ名字名前という少女を案じて言葉を紡いでいるとは思いもよらない。
 教師として大人として傾けられたかのじょ達の心を、名前はヒーローの卵として受け取ってしまう。無理もない。子どもとして守られる経験が名前には圧倒的に不足している。大人からの庇護を受け入れる器は、ずっと前に壊されてしまった。
 だから名前は、守られなかったぼろぼろの自分を抱えたまま、今日まで捨てられないでいるのだ。
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