戦闘訓練の翌日。
 疲労の取れた身体を起こし、あくびを噛み殺しながらキッチンに立った。炊飯器を開けると温かい蒸気が溢れ、炊き立ての米の匂いが名前の腹の虫を鳴らした。昨夜食べたそこそこの量の夕飯は、寝ている間の疲労回復に全て費やされたらしい。
 昼用のお握りを握っては手際よく大皿に載せてゆき、最後のひとつは海苔をくるりと巻いて大きく口を開けた。少し塩辛いかと思ったが、海苔を巻くと丁度良く釣り合いが取れている。咀嚼しながら冷蔵庫を覗いた。
 卵焼きと作り置きのきんぴらごぼう、後は冷凍食品を適当に詰めれば良いか、と弁当の中身を決める。野菜が少ないがそこは妥協する。朝に何品も作るほど名前は料理好きではない。

 進んで自炊をするのは、コンビニやスーパーで出来合いのものを買うより安上がりという経済的な理由が大きい。あとは曲がりなりにもヒーローを目指す身として、資本である身体を鑑みた結果だ。
 とは言え、と名前は二つ目のお握りを口に入れながら空っぽの炊飯ジャーを眺めた。
『個性』の使用頻度が増えたのに比例して、食事量の増加も著しい。食費を見直す必要がありそうだ。
 生活が苦しいかと問われれば否である。正直なところ節約する必要も無い。保護者である従伯父から、十分過ぎる額が毎月一日に振り込まれている。
 しかし名前はその支出をなるべく抑えたかった。
 本来なら従伯父が支払うものではないからだ。家族を求めていなかったかれは、遠い親戚の子どもを引き取るという貧乏くじを引き、保護者という責任を負わされた。名前の存在がかれの人生設計を大きく狂わせたであろうことは想像に難くない。

 手際よく卵を巻き、他のおかずと共にタッパーに詰め、お握りを二つラップで包む。今日は実技授業が無いからそれほど持って行かずとも足りるだろう。
 余ったおかずとお握りの乗った大皿を持ってリビングのローテーブルへ。テレビを点けた。
 ぱっと明るんだ画面に映ったのは、昨日だけで少し身近になった平和の象徴の姿。
『先日、オールマイトが雄英高校の教師に就任したという発表がありました。トップヒーローが遂に次世代の育成を開始したと各所で話題になっています』
『歓迎と期待の声が多いですが、中には不安を持つ人も……』
『突如オールマイトが教師就任を決めたのは何故でしょうか? その理由と背景に迫ります』
 どこのチャンネルでも取り沙汰されているのは流石の一言だ。それだけオールマイトの影響力は大きい。本人が教師になることについて自分の口から語っていないせいもあるだろう。マスコミはどうにかオールマイトにコンタクトを取ろうと躍起になっているようだった。



 ――だからと言って、ここまでやっていいのだろうか。
 雄英高校の校門前に群がるマスコミを前にして名前は唖然とした。生徒が通る度に詰め寄ってマイクやカメラを向ける様子は、どう頑張っても好意的には受け止められない。
 俯いて端をすり抜けようとするも、ひとりの男性が目ざとく名前に近寄った。
「ねぇ君、ヒーロー科の生徒? オールマイトの授業はどうですか? 何か印象変わった?」
 カメラで覗き込まれ、マイクを突き付けられて思わず立ち止まってしまったのが良くなかった。
「学内でオールマイトにはよく会う?」
「何か指導は受けた?」
「オールマイトが教壇に立つことについてどう思ってますか?」
 黒々としたレンズの視線は不躾で無遠慮だ。
 カメラもマスコミも、やはりすきになれない。
 と、突然後ろから手首を掴まれた。驚き振りほどく暇を与えず、手首を掴んだ誰かが名前の前に出て視線を遮る。グレーのブレザーに包まれた背中。少し目線を上げれば、尖った赤髪と青空のコントラストが鮮やかに映った。
「すんません!! 授業遅れるんで通してください!」
 そのまま強い力で引っ張られ、足早に人ごみの中を掻き分けてゆく。校門をくぐり抜け、昇降口に辿り着いてようやっと二人は足を止めた。
「いやーすげえな! 大丈夫だったか?」
「うん、……ありがとう」
 繋がれたままの手をついと見る。赤髪の生徒はきょとんとした後に勢い良くその手を離した。
「悪ィ! 名字具合悪そうだったからつい! 昨日もほら、ブッ倒れてそのまま帰っただろ」
「ああ……けど、体調はもう、全然。だいじょうぶ」
 靴を履き替え、言葉少なに頷く。先に教室に行って良いのか、待っているのが普通なのかと逡巡したその時、
「切島に名字じゃん、おはよー。校門の前ヤバくね?」
 ぽんと放り込むような気軽い声が、不快を感じさせない温度で会話に入った。スクールバッグを背負った金髪の少年だ。会釈する名前に目を合わせて笑い、下駄箱に屈み込む。ほとんど話したことの無い相手が増えたことで安い絶望を味わいつつ、結局名前は突っ立って二人を待った。

 三人で教室に向かいながら改めて自己紹介を交わす。赤髪の少年が切島鋭児郎、金髪の少年が上鳴電気。
「それにしても昨日の名字すごかったよな。オールマイトの講評聞いた?」
「うん、帰り際に」
「名字の対戦、講評も盛り上がったんだぜ。放課後にも続いてさ! まず『個性』は何なのか考察!」
 放課後に訓練の反省会をしていたと聞き、名前はすごいねと素直な感嘆を零した。ヒーロー科は伊達じゃない。名前の『個性』考察がそこそこの人数で行われたことに関しては単純に気後れした。気絶しておいて良かったかもしれない。

 二人に拙いながら自分の『個性』を明かすと、上鳴はまじまじと名前の右手を見つめた。
「はー、なるほど。急に手ぇぶった切ったもんな、びっくりしたわ」
 軽い感想にびっくりしたのは名前の方である。リカバリーガールやオールマイトの深刻な表情との落差が酷い。
「……リカバリーガールにも止めろって言われた。から、今度からびっくりさせないようにします」
「あーまあ心臓に悪いけど、すげぇ『個性』じゃん」
 上鳴がにっと笑う。
「……な! 対戦も熱かったし!」
 切島も同調して拳を握りしめた。名前は二人に視線を行き来させ、消え入りそうな声でお礼を囁いた。随分と好意的な反応で逆に困惑してしまう。
 教室に着き、上鳴が近くの席のクラスメイトと挨拶を交わしながら名前を振り向いた。
「でさ、今度いっしょに飯行かね?」
「え、と……嫌、です」
「どストレート!」
 項垂れる上鳴に、切島が苦笑した。
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