朝のホームルームが始まると、開口一番、相澤は昨日の戦闘訓練に言及した。爆豪と緑谷が声を掛けられているのを見てどきりとしたが、幸い名前には何の小言も無かった。
「本題だ。急で悪いが今日は君らに……」
 勿体ぶる相澤に、初日の様な臨時テストかと教室の空気が張り詰める。
「学級委員を決めてもらう」
「学校っぽいの来た――!!!」
 一気に緊張感が弛緩した。次いで我先にと立候補を表明する手と声があちこちから上がる。前の席の八百万も当然のように真っ直ぐ腕を伸ばしていた。端からやる気の無かった名前は立候補しないことに居心地の悪さすら感じる。轟が興味無げに目を落としているのに気付いて思わずほっとしたくらいだ。
 自分が学級委員など集団を率いる役割にとんと向かないことは自覚している。適材適所という言葉の通り、やりたい人、向いている人に任せれば良い。
「静粛にしたまえ!」
 すぱん、とよく通る声がざわめきを一刀に斬った。
「『多』をけん引する責任重大な仕事だぞ……! やりたい者がやれるモノではないだろう!!」
 と、平生の気真面目さで語る飯田の発案から、投票制となった委員決め。
 中学の時はやりたくない人達の押し付け合いが必至の役割だったのに、ヒーロー科というだけで違うものだ。

 配られた数センチ四方の紙に、名前は暫し迷った後『飯田さん』と記入した。彼への苦手意識はまだ拭えないが、物怖じしない態度と自他に誠実を求める姿勢は『多をけん引する』に相応しかろう。
 開票を行い、緑谷が三票、八百万が二票を獲得したところで、名前はこのまま行けば八百万と飯田で同票かと思案した。この二人に絞って投票のし直しか、と。まさか飯田が自薦しないとは思っていなかったので。
「さすがは聖職……!! しかし一票……貴重な一票を投じてくれたというのに、僕は……!」
 結局飯田が獲得した票数は名前が入れた一票のみ。緑谷と八百万がそれぞれ委員長と副委員長に決定した。
「他に入れたのね……」
「おまえもやりたがってたのに、何がしたいんだ飯田……」
 砂藤と全く同じ気持ちになった名前だったが、この結果もまた飯田の性格を表しているようで、好ましくは思えど、呆れたり残念がる気持ちは湧かなかった。


 そして昼休み。
 各々が机をくっつけ合ったり食堂に向かう中、名前も弁当を入れた巾着をスクールバッグから取り出す。
「名前」
 自席から歩いてきた耳郎が財布を持った手で廊下を指す。
「ウチ今日は食堂で食べるんだけど、一緒に行かない?」
 ぱちり、瞬きした名前は徐々に視線を下げた。
「…………お昼食べたあと、用事あって」
 苦心して絞り出した言葉はあっさり受け入れられた。
「そっか。じゃあまた今度」
 頷いた耳郎がそのまま机の前から立ち去らないので、名前は怪訝にかのじょの表情を窺った。顎のあたりで切り揃えられた黒髪を耳にかけ、迷ったように顔を逸らした耳郎が改まって口を開く。
「昨日、大丈夫だった?」
 尖った口と簡潔な言葉。素っ気なくも聞こえる内にはっきりした憂慮を感じ取った名前は少し慌てた。そういえば、昨日気を失っている名前に着替えと鞄を届けてくれたのは耳郎だった。
「ぜんぜん、大丈夫、平気。ごめん、昨日……あの、保健室に鞄届けてくれたって、リカバリーガールに聞いた。お礼言ってなかった」
 ありがとうございました、小さく言った名前に耳郎が頬を緩める。
「何で敬語」
「、ごめん」
「いや謝らなくていいけどさ。手とか、痛くないの?」
 名前は目を丸くして、ゆっくり首肯した。
「うん……べつに」
 右手を開いたり閉じたりさせる。蘇生した箇所の痛みを聞かれるのは不思議な気分だった。耳郎が窓の外に目をやり、一度唇を結んだ後、腕を組んで言う。
「みんな心配してたんだから、ひょいひょい過激なことするの控えなよ」
「……気を付ける」
 名前は素直に良い子の返事をした。

 所変わってヒーロー科棟の中庭。人気のない隅のベンチに腰掛けて名前は弁当を開けた。
 クックヒーロー・ランチラッシュが切り盛りしているとあって、雄英の生徒は圧倒的に学食派が多い。弁当の持ち込みをする学生も大抵が教室で食べる為、名前はひとり閑静な木漏れ日の下で食事を取る。
 朝食と変わり映えしないおかずを、もそもそと口に運んだ。時折ぼうっと足元の小ぶりな花を眺めたり、遠くの声に耳を澄ませたりした。お握り片手にスマホを立ち上げてSNSアプリを開く。このご時世、我勝ちにヒーローの目撃情報を書き込む人が非常に多い。
 イレイザーヘッドのようなアングラ系で売っているヒーローにとって、こうやって書き込みをする一般人は、活動上のネックのひとつだろうなと画面をスクロールする。

 木の影からばさりと小鳥が飛び立った。
 木漏れ日が揺らぎ、名前が顔を上げた瞬間、突如として高低合わさった不穏な音が空気を震わせた。嫌でも心臓をざわつかせる不快な和音。警報だ。
『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんはすみやかに屋外へ避難して下さい』
 ――セキュリティ3? 訳の分からぬまま名前は立ち上がる。
 ふっと視界の端を人影が過ぎった。灰色のかかったような霞んだ白髪が、真向かいの校舎に消える。猫背のそのシルエットが妙に禍々しく感じられ、名前は警報を忘れて木陰に立ち尽くした。生徒ではない。教師だろうか。いや、とかぶりを振る。姿を捉えたのは一瞬間にすぎないが、とても教師とは思えぬ雰囲気があった。

「名字?」
 肩を揺らす。相澤とプレゼント・マイクが連れ立って廊下を通り行くところで、中庭にいる名前を見つけたらしい。相澤が急いた口調で告げる。
「マスコミが侵入した。滅多なことは無いと思うが、中入っとけ」
「あの、さっきあっちに人がいて」
 名前が反対の校舎を指差すと、相澤は僅かに眉をひそめた。プレゼント・マイクが額に手を当てる。
「ったく面倒しやがるぜ。センキューリスナー、心配しないで教室戻っててくれよ」
 そうして足早に去ってゆく二人を見送り、名前は巾着とスマホを手にもう一度中庭を振り返った。しかし不穏な人影はひとつも無い。ただただ穏やかな真昼の光を背に、名前は中庭をあとにした。


 その後マスコミは無事撤退し、いささか疲れた表情の相澤が他の委員決めを行うようにと始めたホームルーム。どういった経緯か分からないが、緑谷の提言で飯田が学級委員長となった。
 司会をするかれは生き生きとしていて、クラス中、誰の目からも充分に相応しく見えた。

 

 そして数週間後。名前は中庭で目撃した人物について詳しい報告を行わなかったことを、酷く後悔することとなる。
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