四月も末に近付き、ヒーロー科のカリキュラムにも慣れ始めた頃。すっかりお決まりとなった中庭での昼食を終えて、名前は教室に戻った。午後の授業はヒーロー基礎学。演習での『個性』の使用に備えたエネルギー補給は万端だ。
 チャイムの音と共に相澤が教壇に立つ。
「今日のヒーロー基礎学だが……。俺とオールマイト、そしてもう一人の三人体制で見ることになった」
「なにするんですかー!?」
「災害水難なんでもござれ――レスキュー訓練だ」
 ヒーローには敵退治をメインに活動する者と、災害や事件等の現場における一般人の避難・救助をメインに活動する者とがいる。オールマイトやかれに名を連ねるヒーロー達はそこを区分けせずマルチにこなすが、詳細はヒーロー情報学の分野である。今は割愛しよう。
 兎も角もA組内でも将来的に救助活動専門で活動したい者は一定数いるようで、かれらを中心に盛り上がりが隠せない。

 訓練場は離れた場所にあるらしく、コスチュームに着替えた後は玄関前のバスに集合となった。
 昼休みに確認したSNSでは、オールマイトが三件もの事件を解決したというネットニュースが流れていたが、そんな状態で来られるのだろうか。かれが教師の職務を蔑ろにしていると思っているのではなく、単純に平和の象徴としての責務がそれだけ重い故の懸念だ。
 なにせ授業と違って、街の平和はひとの命に直結するのだし。


「すっげ――――!! USJかよ!!?」
 バスで移動した先の訓練場は、高校の一施設とは思えぬ規模であった。中心に据えた広場を囲む形で、水難事故や土砂災害の現場を再現したエリアが敷設されている。
「あらゆる事故や災害を想定し、僕がつくった演習場です。その名も……ウソの災害や事故ルーム!!」
 セントラル広場前でA組を迎えたのは、宇宙服のようなコスチュームを身に纏った人物だった。暗いヘルメットで表情は窺い知れない。しかし丸っぽいシルエットのせいだろうか、テーマパークのキャラクターのような親しみ易さがある。
「スペースヒーロー『13号』だ!」
「わ――私好きなの13号!」
 麗日が頬を紅潮させてぴょんぴょん飛び跳ねる。
 相澤と何事かの言葉を交わした後、13号は生徒の方に身体を向けた。二十一名のヒーローの卵をぐるりと見回す。
「えー始める前にお小言をひとつ二つ……三つ……四つ……」
 手袋に包まれた彼の指が、人差し指から小指まで順々に立ち上がる。
「皆さんご存知だとは思いますが、僕の『個性』はブラックホール。どんなものでも吸い込んでチリにしてしまいます」
「その『個性』でどんな災害からも人を救い上げるんですよね」
 すかさず緑谷が発言した。丸い瞳がきらきらと輝いている。
 13号の『個性』を知らなかった名前は、そこで災害救助専門ということに合点がいった。たとえ敵相手でも使うのが難しそうな『個性』。敵退治専門となると逆に活動の幅が狭まりそうだ。だって簡単に、
「しかし簡単に人を殺せる力です」
 続けられた言葉が名前の思考とぴたりと嵌まって、どきりとした。
「超人社会は『個性』の使用を資格制にし、厳しく規制することで、一見成り立っているようには見えます。しかし一歩間違えれば容易に人を殺せる『いきすぎた個性』を個々が持っていることを忘れないで下さい」
 飾り無く、穏やかに平易に語られた13号の言葉。
「君たちの力は人を傷つける為にあるのではない。救ける為にあるのだと心得て帰って下さいな。――以上! ご清聴ありがとうございました」
 胸に手を当て頭を下げ、『お小言』はそう結ばれた。
「ブラボー!! ブラーボ―!!」
「ステキー!」
 拍手や歓声に紛れ、名前も小さく頭を下げる。
 いきすぎた力。人を救ける為の力。名前の『個性』はどう使えば、そんな力になれるだろうか。

「そんじゃあまずは……」
 手すりに寄りかかった相澤が何かを言いかけた口を閉じ、つと視線を階段下の広場へ落とした。
 小さな違和感。セントラル広場に、突然ぽつりと黒い染みが浮かんだ。その染みが渦を巻くように足を伸ばし、徐々に徐々に広がってゆく。真っ暗な穴となった時にはもう遅い。ひたひたと迫った悪意は名前たちの喉元に手を掛けた。
「ひとかたまりになって動くな!」
 相澤の判断は早かった。尋常ではない切羽詰まった声が名前の身を竦ませる。
「13号!! 生徒を守れ」
 生徒の前に立った相澤の背から広場が見える。大きく広がった黒い靄から現れた幾つもの人影。
「何だアリャ⁉ また入試ん時みたいなもう始まってんぞパターン?」
 切島が訝し気に呟く。
「動くな、あれは――ヴィランだ!!!!」
 ゴーグルを着け一喝した相澤が足を踏み出す。
 どす黒い靄から次々と現れる敵たち。一目で異形系の『個性』と分かる者も多い。その中心に立つ人物に、名前の視線は注がれた。口が渇き、身体が強張る。服の腹の辺りをぎゅっと握りしめた。男がふらりと揺れ、一歩二歩と足を進める。
「どこだよ……せっかくこんなに大衆引きつれてきたのにさ……。オールマイト……平和の象徴……いないなんて……」
 高いような低いような、不気味に震えた声が脳に入り込む。
 顔を、首を、腕を、腰を――何もののかも分からぬ手に握られた痩せぎすの男。幾つもの手に囚われている様は奇妙だった。灰がかった長めの白髪と相まって輪郭も分からない。猫背気味の立ち姿が、得体の知れない異様さに拍車をかけている。
 あのマスコミ騒ぎの時、名前はかれを目撃した。

「――子どもを殺せば、来るのかな?」

 初めて相対する途方もない悪意。薄ら寒いものがぞっと背筋を走った。

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