敵たちが瞬く間にセントラル広場を席巻する。
 指示を飛ばし、単身広場へ身を投じようとする相澤に緑谷が焦ったように追いすがった。
「ひとりで戦うんですか⁉ あの数じゃいくら『個性』を消すっていっても!!」
 相澤を置いて避難すること、共に避難できないこと――それぞれの不安や焦燥が伝播し、生徒たちは色を失いながら相澤の背中を見つめた。が、かれは振り返らぬままひと言、
「一芸だけじゃヒーローは務まらん」
 13号に生徒を託し広場に躍り出た。
 操縛布を操り、ランダムに個性を消して相手の連携を崩す。肉弾戦を交えて敵を次々と戦闘不能に追い込んでゆくその身のこなしは鮮やかで圧倒的だ。
 大人数相手に引けを取らない姿は、名前たちの不安を拭い、扉へ向かわせるには充分だった。

 13号に続くA組の前に、突如黒い靄が広がった。ゆらゆらとその靄は人の形に収束する。
「初めまして、我々はヴィラン連合」
 平らな声が悠長に名乗りを上げた。
 ――ヴィラン連合。なんとも分かり易い名付けだ。誇示を一切感じさせず、思想や感情が見えない。
「せんえつながら……この度ヒーローの巣窟――雄英高校に入らせていただいたのは、平和の象徴オールマイトに息絶えて頂きたいと思ってのことでして」
 だからこそ、慇懃に告げられた明確な目的を、すぐに咀嚼できなかった。
 息絶えて――……つまり、殺す? オールマイトを? なぜ?
 オールマイトは平和の象徴だ。名実ともにこの社会を守るトップヒーロー。その失墜を求めるのに、眼前の敵が纏う平熱平温の態度はあまりに吊り合わない。取り返しがつかない行いをする時は、誰しもが恐怖に震えたり、熱に浮かされたりするものではないのか。自分の思想や感情を理由にして、悪意を他者に向けるのがヴィランだと思っていた。
 なのに目の前の敵には『理由』が見えない。
 なぜ。
 疑問に足を捕られ固まっている間に、前方で爆発が起きた。爆豪と切島だ。
 黒い靄が怪しく揺れた。
「危ない危ない……そう、生徒といえど優秀な金の卵」
 黒の濃さが増し、闇が名前たちを囲い込むように左右に広がる。ぶわりと風が巻き起こった。声が出ない。フードの端を握って出来る限り身体を小さくした。すぐ隣にいた八百万がこちらに手を伸ばすが届かない。なす術なく名前たちはどす黒い霧に取り込まれた。
 生温い霞にざわざわと肌を撫ぜられているような妙な感覚に全身が包まれている。ぐっと息を止めて足場の無い空間でうずくまった。
 数秒か、数十秒か。気付くと名前の身は空中に投げ出されていた。
 肺が縮み、内臓が下る感覚。眼下に広がるは、無数の人影。相澤の操縛布が蛇のようにしなり、人の間を縫って舞い踊っている。
 名前がワープゲートで飛ばされた先は、中央に噴水が鎮座するセントラル広場だった。
 受け身を取るも腰を強かに打ち付け、地面に転がる。痛いは痛いが、骨折等の怪我は特にない。大した高度でなかったのが幸いした。

「は? 何こっちにまで子ども飛ばしてるんだよ、黒霧……」

 くぐもった声がすぐ上から降った。ひゅっと喉が引きつった音を出す。
「っ、名字!!」
 何者かの足が視界の隅を踏んだ刹那、背後で戦っている相澤が名前を呼ぶ。名前は弾かれたようにその場から飛び退いた。ざざ、とスニーカーの底が地面を擦る。体勢を低くしてフードの下から睨め上げる。踏み込んできた男は身を屈め、手を不自然に突き出した格好で固まっていた。
 遠目に一度邂逅を果たしている、無数の手を纏った男。この時の名前は知る由もないが、かれの名は死柄木弔。今この時を境として、A組と奇妙な因縁で繋がるヴィラン連合の中心人物だ。
 死柄木がゆっくりと身体を起こし、己の首筋を掻きむしった。
「あー……あぁ、さすがヒーローの卵。すごいなあ」
 名前は腰にぶら下げた小刀に触れた。
 よりにもよってセントラル広場に飛ばされるとは。目の前には『個性』不明の男。その男の横には動く気配の無い異形が控えている。後ろでは相澤が依然ひとりで多人数を相手取る。逃げ場が無い。
 相澤の加勢? それとも無理やりにでも正面突破して逃走? 名前の『個性』で対抗できるだろうか。
 悠長に考えを巡らせる間は与えられなかった。
 死柄木が名前との距離を素早く詰めた。予備動作が小さく、先ほどまでの緩慢な動きが嘘のような身のこなしに、名前は一瞬反応が遅れる。伸びた手が僅かに額に触れた。五指が名前の頭を掴む前にその手を叩き落とし、脇腹に蹴りを叩き込む。よろけた死柄木から再び距離を取った。
『個性』が分からないから下手に近付けない。
 舌打ちをした。
 背後で戦う相澤が、多対一の不利の中、名前に気を回しているのが分かる。合間合間に死柄木を視て『個性』の抹消を行ってくれているのに加えて、明らかに攻撃のペースを上げていた。ただでさえ考えることの多い戦闘中に現れた、名前という懸念事項。更なる負担をかけていることへの歯痒さに臍を噛む。
 前も後ろも敵に阻まれた状況では、逃走という最善手が取れない。
 真っ向から臨んでも勝ち目は薄いのは分かり切っている。
 目の前の敵を見据えた。
 

 一撃入れては距離を取ってという動きを繰り返していたが、決定的なダメージを与えられない。いよいよ小刀を取り出し『個性』を使おうとしたその時、振り上げた左手首を死柄木が捕らえた。
「――っ、」
 抵抗する暇も無かった。五指で掴まれた手首に細かい亀裂が走り、名前は目を見開く。朽ちた樹の表皮がぼろぼろと剥がれてゆく様を連想した。振り解こうとして防御が疎かになったのを死柄木は逃さない。名前の手を離さず鳩尾に膝を入れる。
「ぁ、ぐ」
 地面に蹲って咳き込んだ。
 死柄木に手を掴まれたまま吊り下げられているような状態だったが、ふっとその左手が軽くなった。握っていたはずの小刀が冷たい音を立てて床に落ちる。急に重くなった左腕がだらんと身体の脇にぶら下がった。振り子のように前後に揺れる。死柄木の爪先が腹に触れ、そのまま蹴り飛ばされた。頬が地面に擦れ熱を持つ。
 相澤が背後で何事かを叫んだ。

 名前は右手で口元を拭い、左手を地面について立ち上がろうとし――その手は空を切った。
 見下ろす。
 頼りなく萎れる長い袖口。布地が黒のせいで分かり辛いが、赤い血でぐっしょりと濡れている。掴む。質量は無い。
 左の肘から先が消えていた。
 袖口から血が滴って地面を染める。
「可哀想になあ。ヒーローになるのに、大事な大事な手を失って……すぐ傍にヒーローが居たのになあ……」
 にい、と死柄木が唇を左右に開く。揶揄するその薄暗い声は、名前共々、相澤まで追い詰めようという明確な意思を持っていた。
 名前は重くなった袖を肩まで捲った。歪な断面が顔を出す。幾分軽くなった左腕を、肩を揺らすようにして振った。痛みは感じず。ぱたぱたと血が飛ぶ。
「――……なんだ、」
 これだけか。
 拍子抜けした声が落ちた。
 ぐちゃり、あのおぞましい音が溢れる。露わになった肉が蠢き、血管がうねり、骨が軋み、繊維が伸びて形を造り始める。ぐちゅぐちゅ、みしみし。逃げ出したくなるほど懐かしい感覚が身体を支配した。
 伏し目がちの瞳を持ち上げ、死柄木を視界に映す。薄い唇で弧を描き、名前はうっそりと笑った。

『大事な大事な手』。――残念、名前の四肢は価値が低い。

 死柄木の顔から笑みが引き、無防備に立つ名前に再び手を伸ばす。
 操縛布がひらめいた。今度こそ相澤が死柄木の腕を拘束して『個性』を抹消した。しかし広場の敵は制圧しきれていない。背後から襲ってくる敵にどうしても拘束は緩む。

 その間も剥き出しの肉は質量を増やし、骨が生成されてゆく。肘から手首まで三十秒もかからない。
 手首から指先を蘇生させるその瞬間、名前は死柄木との距離を詰め、かれの眼前で衝撃波を発散した。
「――脳無!!」
 死柄木が叫ぶと、なにものかが名前と死柄木の間に立ち塞がった。
 手応えが無い。外した――いや防がれた。攻撃の不発を悟り、次の動作に移るべく身体に指令を出そうとした瞬間、肋骨の辺りに重い衝撃。身体をくの字に折り、痛みを感じる間もなく、目の前が真っ暗になった。
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