名前が振り分けられた演習会場はB。
 試験の前に、会場の傍に隣接するB更衣室に案内された。衣擦れの音だけが室内を満たす。同校の生徒は演習会場も分けられるため、周りは全て初対面。試験直前ということもあり、会話などあるはずもなかった。
 名前は肉付きの悪い身体を大きめのジャージに包み、そのポケットに飴玉や箱から取り出したカロリーメイトを押し込む。名前の『個性』は大量のエネルギーを使う。使った端から補給しなければ最悪気絶してしまうのだ。『個性』必須の試験となると、エネルギー補給もまた必須。戦闘中であることから、飴玉等のかさばらない物で済ませるのが、考える得る限りは最適だった。
 試験中にお菓子を食べる者など他にいないだろうし、試験官に不真面目と断じられてもおかしくはない。しかし倒れて戦闘不能になることとを天秤にかければ、どちらに傾くかは決まっていた。
 幸いにして持ち込み自由と説明はされている。各々が『個性』にあった装備を身につけるのだろう。名前にとっては、食料――エネルギー源が装備のひとつというだけの話だ。
 そしてもうひとつの装備を、温度のない眼差しで見つめた。スクールバッグの中に鎮座する小刀。試験の為に購入した安物だ。名前が最大限の『個性』を発動させるためには、必要不可欠。一度ためらうように真っ白な手を開き、閉じる。覚悟を決め、小刀を握った。
「B会場の皆さんは、準備ができたらこちらへ!」
 演習会場に足を踏み入れる。左ポケットに入れた小刀を撫で、深く息を吐く。たった十分の試験で、あっという間になまくらになるはずだ。そういう使い方を、する。

 試験開始まではまだ時間があるらしい。
 演習会場に繋がる大きな扉を眺め、取り出したカロリーメイトをもそもそと口にする。ついでに地面に生えていた雑草を引き抜き、小さめの石を拾い、小刀と同じ左ポケットへ。
「何をやっているんだ君は? 試験会場で飲食など、緊張感が足りないのではないか?」
 突然の硬い声音にびくりと肩を揺らす。
 眼鏡をかけた生真面目そうな青年が名前を睨み付けていた。四角四面という言葉が頭を過ぎる。咀嚼していたものを飲み込み、名前は下を向いた。非難されたくらいで落ち込みはしないが、言い返すこともできない。男性を前にした時のこの態度は、もはや反射に近い。
「我々受験生に時間を割いてくださっている試験官の先生方にも、失礼だとは思わないか?」
「……い、です」
「なんだ?」
「あなたに、関係……ない、とおもう」
 青年が目を剥いた。彼の口が再び開くのを待たず、名前はきびすを返して他の受験生に紛れた。やはりヒーロー科志望は男子生徒が圧倒的に多い。と、彼らの間に茶髪の女子生徒を見つけた名前は、こそこそとその隣に逃げこんだ。目を閉じて深呼吸する彼女の邪魔をしないように、息すら潜める勢いで背中を丸めて、先ほど拾った雑草と石で細工をした。

 しばらく経つと、市街地演習場に繋がる扉が静かに開き始めた。
 周りはなぜか後ろに注目していて気付かない。見える範囲に試験官はおらず、開始の合図もなさそうだ。そう判断した名前はするりと演習場に入り込み、路地に潜った。索敵しつつ狭い道を駆け抜けていると、

「ハイスタートー!」

 遠くからプレゼント・マイクの声が届いて、名前は一瞬足を止めかけた。
 フライング取られるかな、独り言ちる。しかし緩めた足を叱咤して走り続けた。市街地ということは、そこらに監視カメラがある。一挙手一投足を見られているのだ。躊躇っている間に、頭を回せ。
 狙うは1Pの仮想敵。1Pはいちばん図体が小さく、恐らくいちばん脆い。大通りよりも路地に出現する可能性が高いはずだ。
 思考を巡らせる名前に正解を告げるように、1P仮想敵が二体、目の前に立ち塞がった。
「標的捕捉!! ブッ殺ス!!」
「…………口、悪い」
 ぼそりと呟いて左ポケットに手を突っ込む。物凄い勢いで迫る仮想敵に向かって、雑草を巻き付けた十数の小石を、
「甦れ」
無造作に放った。仮想敵の足元に転がった石ころがかちりと光り、刹那。衝撃が波紋のように広った。一体が態勢を崩し、もう一体はもろに衝撃を食らって足を無くした。
 その隙を逃さず名前は駆けた。
 小刀の刃を晒し、躊躇なく右手の親指と人差し指を切り落とす。
 奥歯を噛みしめ跳び上がった。仮想敵の首に血塗れの手をかける。

「蘇、生」

 先ほどの石と同様に、右手が光った。今度は赤く。次いで、衝撃波。
 仮想敵の首が落ちたと共に名前も地面に放り出される。強かに腰を打ったが、すぐに態勢を立て直す。油断なく仮想敵に対峙した。足を無くし首を落とされた二体は、ぎしぎしと藻掻いた後、すぐに地面に崩れた。行動不能。
「……2P」
 再び走り出す。失ったはずの親指と人差し指は、何事もなかったかのように右手に存在していた。
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