「個性把握……テストォ⁉」

 そんなの聞いてない。名前は体操着の腹の辺りを握りしめた。クラスメイトの困惑や、文部科学省をこき下ろす相澤の声が青空の下でいやに広がる。
 ひとりの男子生徒が相澤に促され、物騒な掛け声と共にソフトボールを投げ飛ばした。後ろにいる名前たちにまで爆風が起こり、その『個性』の強さが知れる。
『個性』使用前提の体力テスト。中学までとは明らかに違う形式でのテストに生徒たちは盛り上がりを隠せなかった。
「すげー面白そう!」
 ひとりの言葉に、黙って様子を眺めていた相澤の表情が変わる。敏感にそれを感じ取った名前は立ち位置をずれ、ガタイの良い少年の後ろに隠れた。いきなり怒鳴られては堪らない。これまで見てきた教師の半分くらいは、そういう乱暴な諭し方をよくしていたので。
 突然自分の背後に回った名前に真ん丸な瞳をきょろっとさせた少年は、しかしそれ以上の反応を示しはしなかった。
 結果的に名前の警戒は杞憂に終わる。合理性を重んじる相澤は怒鳴るようなことはせず、ただ静かな声で宣告した。
「よし、トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」
「はあああ⁉」
 怒鳴られるより悪いことが起きた。まずい。本格的に蒼褪めた。
「最下位除籍って……! 入学初日ですよ⁉ いや初日じゃなくても……理不尽すぎる!!」
「自然災害……大事故……身勝手な敵たち。いつどこから来るか分からない厄災。日本は理不尽にまみれてる」
 名前は臍を噛む。
 対人戦ならともかく、これから行うのは体力テストだ。名前の『個性』が不利なのは言うまでもない。

「これから三年間――雄英は全力で君たちに苦難を与え続ける」
 相澤が口の端を微かに吊り上げ、挑発するように指を曲げた。
「“Plus Ultra”さ。全力で乗り越えて来い」



 クラスメイトが次々に走り抜ける五十メートルの白線を目で辿った。
 足の指を切ったら衝撃で少しは勢いが付くのに。せめて手首さえ切断できれば、衝撃波の反動で走り易くなる。そう思いごちて名前は嘆息した。こんな大勢の前でいきなり足や手を切り落とすほど非常識ではない。そもそも今日は小刀を持ってきていないし。
 諦めてその辺に伸びていた雑草を千切り、スニーカーに巻き付けた。ほとんど気休めだが0.1秒くらいは縮むだろう。

 その後握力、立ち幅跳び、反復横跳びと、ぱっとしない記録を残し第五種目、ソフトボール投げ。
 絶え間なく種目を行う間、名前は入試の実技試験で出会ったふたりを見つけていた。麗日お茶子と緑谷出久。名前を反芻する。

 入試の時のかれらは鮮烈だった。
 『個性』に対して純粋な称賛をくれたのは麗日が初めてだった。
 緑谷は色彩の乏しい名前の世界に、良くも悪くも鮮やかな軌跡を描いていった。邂逅とも呼べない。向こうは名前の存在すら認識していないだろう。名前は、緑谷出久がヒーローの素質を苛烈に示した瞬間の、ほんの数分の目撃者であったというだけなのだから。
 閑話休題。
 そんな刷り込みに近いものもあってか、名前の目は自然とふたりを追っていた。
 麗日は引力を無効化する『個性』とあって、テストの方はそこそこといった様子。緑谷の方は終始暗い面持ちである。名前は内心怪訝に思った。
 実技試験で自身を顧みず巨大仮想敵に立ち向かったかれと同一人物とは思えない。まさか除籍処分の危機があるこのテストで手を抜いているわけもなく。鬼気迫る瞳は本物だ。
 思い詰めた表情で緑谷が手の中のボールを見つめ、何か覚悟を決めたように唇を結んだ。思い切り腕を振りかぶってボールを投げる。
 ざわ、と空気が動揺にさざめいた。
「――『個性』が消えた?」
「なに、イレイザー?」
「名前だけは見たことある! アングラ系ヒーローだよ!」
 視ただけで人の『個性』を抹消する『個性』。呆然とする緑谷と何やら話し込む相澤の瞳は、赤く輝いていた。
 結果的に緑谷は麗日に次ぐ記録を打ち出す。同時に『個性』のコントロールがほとんど利かないとクラスに知れ渡ったわけだが、名前は素直に感嘆した。
 入試の時に倒れていたのはそういう訳か。零か百かの能力で無茶をするものだ。ああ、無茶をするから、かれはヒーローなのかな。
 食い入るような眼差しを相澤へ移す。
 自分は存外欲が深いらしい。

「……いいな」

 ぽつりと呟くと、前に立っていた少女が振り返った。
「相澤先生の『個性』?」
「え、」
 名前が小さく声を漏らすと、こちらを向いた少女はきょとんと首を傾げた。肩の上で切り揃えられた髪が流れ、耳から伸びたプラグが揺れる。
「いいなって言ったから。違った?」
「ぁ、ううん、そう……」
「『個性』を消すとかほとんど反則だもんね」
 少女がひょいと肩を竦め、一歩下がって名前の横に立った。俯きがちな名前を覗き込んでちょっと笑う。
「ウチ耳郎響香。そっちは?」
「名字、名前」
「名前ね。よろしく」

 突然に始まった想定外の交流だが、耳郎はとっつきやすい少女だった。反応が薄い名前を過剰に気遣うことも無く、他の生徒の様子を眺めながら会話を繋ぐ。名前が返答に詰まっても、不自然にならない間を意識せず保つことに長けているようだった。
 そのうちに順番が回ってきた。耳郎がひらりと手を振って名前を送り出す。
 相澤からボールを受け取り、歩きながらやはり萎びた雑草を巻き付けた。自分でも芸が無いとは思うが『蘇生』を有効に使う方法は今のところこれだけだ。
 イメージとしては、最初の物騒な少年――爆豪のやり方と似ている。かれは直接球威に爆風を乗せたが、名前は球威を宙で増加させることにした。ボールに巻いた植物を空中で『蘇生』して衝撃波を放ち、記録を伸ばす算段だ。
 遠隔操作は体感で倍の集中力が必要になる。体力的にも『個性』を使用できるのはこの種目が最後。思い切りやろう、と力んだのがまずかった。
 ボールが放物線を描く。
「よみがえれ」
 ぎゅっと手を握り、祈るように呟いた瞬間、

「ぁっ」

 あろうことかボールが爆破した。
 巻き付いた草に流れ込んだ『蘇生』エネルギーに球が耐えきれなかったらしい。十メートルほど向こうでぱらぱらとボールの残骸が雨あられのように降った。ワンテンポ遅れて、根の先まで青々と生き返った草が地上に帰る。
「はああああ⁉」
 後ろで見ていたクラスメイトの叫びが、薄っぺらな名前の背中を襲った。
 慣れないことはやるものではない。周囲の反応にびくつきながらも名前の頭は比較的冷静に動いていた。ボールの向きを見極めて衝撃波の方向を操れるほど、自分の動体視力はよくないし器用でもない。除籍に怯えて力量以上のことをやろうとしてしまったのが敗因だ。
「はい、ゼロメートル。あと一回」
「無慈悲……」
 淡々とした相澤の言に、耳郎が真顔で呟いた。
 名前は新しいボールを受け取りながら相澤の顔色を窺う。
「あの、弁償」
「あ? ああ、いらん」
 あっさりときびすを返した黒い背中を見送り、二回目。さすがに同じ方法で挑む気にはなれなかった。今度は手の平にぐるぐると硬い植物の茎を巻く。グラウンドの隅でへたり込んでいたものだ。
 ボールを離すタイミングで、手の平の茎に対し衝撃を伴う『蘇生』を行った。今度は完全に爆豪と同じ要領だ。
 瞬間、右手に刃物で切り付けたような痛みが走る。『死んでいた』茎が、硬い葉と共に鞭のように蘇り、名前の柔い手の平を傷付けたのだ。伸びた根が親指に絡み付く。その感覚が普段は顔をしかめる程苦手なのだが、いまは飛んで行くボールの行方が気がかりだった。
 名前の心配を余所にボールはきちんと記録を伸ばした。緑谷や爆豪、麗日の超人的な記録には遠く及ばないものの、一投目の爆破を考えれば大躍進と言える。相澤からのお咎めや指摘もない。
 ほっと肩を下ろした名前は、真っ赤になった右手を隠して残りの三種目をやり切ったのだった。
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