第一章 二
―同刻、プレアデス城内、小百合の間―

 白の小袖と淡い黄色の単に濃い橙色の細長い帯を結んだ寝間着を着ている細身の少女の姿が、暗い部屋の中で窓から差し込む月の光と行灯(あんどん)の光に照らされている。
 癖のある明るい茶髪と大きな焦げ茶色の瞳、いつも身に着けている水色の薄くて透ける布と赤い石をあしらった六弁の鮮やかな桃色の花を模した髪飾りが印象的な彼女は、名をリリィナ・キュアーシ=ミストヴェールといい、リリィと呼ばれていた。
 王家に仕える者達が住む部屋や詰所、局で構成されている城の南西部の一室を借り、住み込みで働いているリリィは、座布団に座って低い机の上に並べた医療器具を和紙越しの小さな灯りを頼りに点検していた。寝る前に欠かさないそれを終わらせた彼女は、手を組んで体を伸ばした。擦った目を何気なくガラス越しの満ち切っていない月にやると、その美しさに声を漏らす。
「綺麗な月……。もう、こんなに円いのね。……ナスタ様、本当に成人なさるんだぁ……」
 リリィは、プレアデス王家にヒーラーとして代々仕える家の娘であった。彼女自身も国家資格を取得してヒーラー――戦場や被災地に赴いて負傷者の迅速な治療を主な仕事とする職業だ――になり、七歳の頃から城に出入りしていたのだ。そして、戦闘訓練で負傷したプレアデスの王女を、見習いの時期も含めて十年間、ずっと癒してきた。
 それ故に、越えることのできない身分の差はあれども、言葉を交わし、傷を手当てして、それなりに仲を深めてきたと思っていた。親しくなり、自分も二年前にヒーラーの本試験に合格して一人前と認められたからこそ、ナスタが貴族の姫ではなくプレアデスの次期女王なのだと知る数少ない人間の一人になれたのだと、思っていた。
 ――それなのに。
 ナスタが成人したら、唯一の王位継承者である彼女は間違いなく今までより多忙になり、武術の稽古にもなかなか打ち込めなくなるであろう。
 つまりそれは、自分は本格的に姫君に会えなくなるということ。
「寂しいな……せっかく仲良くなれたのに」
 王女とヒーラー――王女と庶民の間に、友情は生まれると思っていた。しかし、それは永遠ではなかったのだ。いや、それはそもそも、自分だけの思い込みだったのか――。
 思わず目頭が熱くなったリリィは、慌てて机の上の医療器具と座布団の周りに散らばっていた点検道具を片付けてから行灯の火を吹き消した。そして窓の障子を閉め、広くはない部屋の小さな座敷に敷かれた布団に体を潜り込ませる。
(明日は、頑張らなきゃ)
 明るい茶髪の少女は、息を深く吐き出して、瞼をゆっくりと閉じた。やがて、穏やかな寝息が聞こえ始める。
 だが、リリィの閉じられた目からは幾筋もの涙が流れていた。


―翌日の朝、某国の空船(そらふね)内―

「船長! まだプレアデスに着かないのか!」
「王子、どうかお部屋にお戻り下さい! 隣国とはいえ、あと六時間は――」
 王子と呼ばれた、鮮やかな金の巻き毛の青年は、空船――空に浮かぶ島々に生きる人々の交通手段の一つで、その名の通り空を渡る木造の船だ――の操舵室に苛立ちを隠せない顔と態度で入ろうとしたところを、副船長に制止された。
「六時間!? っ――」
 今にも掴みかからんばかりの勢いで食い下がろうとした青年だったが、何を思ったのか、薄い唇を噛んで一歩下がった。
「……善処せよ。事は一刻を争う。これは我が国だけの問題ではない、プレアデスも危ないのだ」
 踵を返した青年は、焦りと不安を宿した明るい茶色の目で窓越しに空を見る。
(頼む、間に合ってくれ……!)

- 12 -
*前へ表紙へ次へ#

書庫へ トップページへ
ALICE+