第一章 三
―プレアデス城―

 プレアデス城内は、ナスタの成人の儀を明日に控え、そわそわと落ち着かない空気に満ちていた。侍女も近衛騎士も、王家に仕えている城の人々は皆、緊張した面持ちをしながらも、くるくると回るように忙しなく働いている。
 第一王女の成人の儀の前日だというのに、城の中の人間は普段の三分の二程度しかいなかったが、それには理由があった。城に出入りしている者達の中には、ナスタの存在を知らない者、知っていても彼女が貴族の娘だと紹介されてその嘘を信じ込んでいる者――王女だと知らない者がいるのだ。一部の近衛騎士が城内で警護にあたっており、秘匿の姫を知らない者達は全て城外で厳重警戒態勢に入っている。
 来賓は国内外から招いているが、彼らが入城するのは儀式当日で、今頃は城下町の特別な宿でゆったりと寛いでいるだろう。今回の儀式の主役が、貴族の姫ではなく、存在しない筈のプレアデス王国第一王女だとは知らずに。招かれた客人達の質と数に、ただの貴族子女ではないと感づいた人は少なからずいようが、まさか国王の娘だとは思うまい。
 現プレアデス国王は、次期女王の成人の儀をもって彼女の存在を公にするつもりらしいが、どういった思惑があるのだろうか。
 主役であるナスタも、衣装の最終調整や儀式の手順の確認などに追われていたが、それでもやはり城の外へは出られなかった。
 太陽がすっかり昇りきって天の頂を過ぎた頃、ナスタは広々とした木の床の自室に昼食と休憩の為に戻ってきて、座敷に腰かけていた。
 食後は三十分程休んでからお披露目の会食の打ち合わせの手筈であったが、衣装の手直しや会場の準備に手間取っているとの報告を受け、休憩は間食の頃合いまで延びている。思いがけない空き時間に、ナスタの外の世界への羨望が高まった。
 しかし、彼女は、これは自分の我が儘だと思い込み、外へ出られる可能性を否定する。自分に諦めさせる為に、考えつく限りの様々な理由を自分に言い聞かせるのは、プレアデスの秘匿の姫君の日常茶飯事であった。
(……今、私が城を出ようとしても、城の者にすぐに見つかるでしょう。そうでなくとも……人や魔物の出入りを知らせる魔陣を反応させずにすり抜ける術を……私は存じ上げません)
 手にしていた儀式の台詞の覚書が、くしゃりと小さな音を立てた。
(……もう、私の望みは……叶わないのでしょうか……)
 目を閉じて俯くと、今日限りの侍女役と護衛を名乗り出て任された、鮮やかな山吹色の袖のない単と臙脂色の丈の短い女袴(おんなばかま)――スカート状の袴のことである――の上に、薬師袍(くすしのうえのきぬ)――袖が短くふんわりと膨らんだ白い割烹着のような、プレアデス王家直属のヒーラーの証の服だ――を着て髪をおさげにしたリリィが、心配そうに尋ねてきた。
「ナスタ様? どうなさいましたか?」
 その声にナスタは目を開き、王家に代々仕えてきた家のヒーラーの見慣れた愛らしい顔を見て、
「……他に、何かすることはないか……と思いまして」
 と、口角を僅かに上げて答える。
 それを聞いたリリィは、姫君は慣れないことに疲れ、この予定外の長い休憩が退屈なのだと解釈した。正直、自分も手持ち無沙汰だったリリィは、二人で楽しめる気分転換の方法を考え始める。今が間食の時間帯であることを思い出したリリィは、お茶をすることを思いついた。
「ナスタ様、お茶でもいかがですか? 甘いもので、お疲れも少しはとれると思いますよ」
 年の近い顔馴染みの少女の提案に、ナスタはこくりと頷く。
 しかしながら、リリィは自分が支度をする為に部屋を出てナスタを一人にする訳にはいかないので、襖の外にいる近衛騎士の一人に声をかけ、茶と菓子の用意を頼むと、振り返って王女を呼ぼうとした。
 が。
 ミッドナイトブルーの髪の姫君は何故か立ち上がって座敷から降りていた。彼女は普段着の衣服の薄い灰色の膝丈の女袴の裾を捲り、その白い太腿に巻いた紫色の布のベルトで忍ばせてあった薄紫の六弁の花を模した簪(かんざし)を細い指の間に挟み、身構えている。柳眉をひそめ、大きな四角い窓を訝しげに睨むナスタを見て、リリィは困惑の色を含んだ声で王女に問いかけた。
「ナ、ナスタ様?」
「……リリィ、近衛の者をお呼びなさ――」
 ガラスが大きな力を受けて砕け散る異常な音が、慌ただしくも静かな筈の城内の一角に響き渡った。
「っ!」
「きゃあああっ!?」


―同刻、プレアデス城内―

「!?」
 突然現れた攻撃魔術の魔力とガラスが割れる音、甲高い悲鳴に、渡り廊下を歩いていたシュードは目を見開く。一体何事か、と謎の魔力と音の発生源の方向を見て、考えるよりも先に足が動いた。
(ナスタ様の私室で、何が起きたんだ……!?)

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