第一章 四
―プレアデス城内、七星の間―

 ガラスと障子を突き破るという危険で派手な方法で現れた侵入者は、黄土色の革のフード付きのローブで全身を包み隠していた。ぱっと見ただけでは顔も性別も分からなかったが、
「……貴方様が、ナシュティアヴィーネ・ルスタ=プレアデス様……」
 と呟く声は、女のものだ。深く被ったフードが隠しきれない唇に紅を差しているこの人物は、どうやら若い女性らしい。背はナスタやリリィよりも高い。丈の長いローブの裾から出ている、先が尖っていて踵が高く、足の甲がむき出しの紫色の靴――革のブーツを履く文化のプレアデスにはない、異国のものだ――を履いた足は華奢で白かった。
「……そのような名は、耳にしたことはありません。それが、本物か偽物か……本当に私の物であるのかは、さておき……プレアデス王家の方の物と思しき真名(まな)を、軽々しく口にするなど……そなたは一体、何者なのですか?」
 夜空のような深い蒼の髪を高く結い上げた姫君は、父王しか知らない筈の自分の本名を謎の女の口から聞き、彼女へ向ける視線をより厳しくする。そして、見知らぬ他人に真名を寸分違わず知られていることへの動揺を言葉の中の僅かな間に隠し、女が言った物が自分の物ではないと匂わせるのも忘れなかった。肯定してしまえば、自分が存在しない筈のプレアデス王家の娘だと認めることになってしまうからだ。
 しかし、女は赤く彩られた艶やかな唇の両端を下弦の月のように緩やかに持ち上げた。
「うふふふ……ご冗談を。貴方様がプレアデスの王女であらせられるあの御方だということは、承知しております。ナスタ様」
「!」
「えっ!? あんた、さっきの、ほんとにナスタ様の……?」
 ナスタは目を見開き、リリィはあからさまに動揺した。一体、この女は何者なのだろうか。
 そこに、シュードが襖を開け放って部屋に飛び込んできた。
「失礼致します、姫!」
 濃い緑の単に消炭色(けしずみいろ)の男袴、黄朽葉色(きくちばいろ)のプレアデス王国式の革の鎧を着て、腰には一振りの刀に似た剣を差している彼は、王女を不審者から庇って素早く前に出る。
「シュウ!?」
「……シュード」
 リリィに「シュウ」、ナスタに「シュード」と呼ばれた近衛騎士は、ローブの袖でガラスの破片を手早く払う女を、敵意を宿した深緑の目で睨みつける。
「無礼者! ここをどこだと心得ている!」
「あら〜ん? ボクに用はないのよぉ? 私はねぇ、ナスタ様をお迎えに上がったのよ〜」
 と挑発的に笑い、魔術を使おうとして魔力を高めに入った。
「!? 貴様、今、何と……」
 シュードの顔と声に、動揺が走る。侵入者が口にした物がこの部屋の主の貴人の愛称と全く同じだったのは、偶然とはとても思えなかったのだ。
 不用意に攻撃してもいいのだろうかと固まった彼の後ろで、リリィは護身役を務める為に持っていた愛用の杖を構え、ローブを纏った女と同じように魔力を高め始めていた。
「ナスタ様に手出しなんかさせないわよ!」
「だからぁ、ガキんちょにも用はないんだってば〜」
 しかし、女は彼女を鼻で笑う。初対面の不審者に「ガキんちょ」呼ばわりされた明るい茶髪の少女は、簡単に挑発に乗った。
「何ですって!? もう怒ったよ! ガキんちょって言うなーっ! ――〔ディープミスト〕!」
 ヒーラーの少女が技の名を叫んだ途端、どこからともなく現れた濃い霧が女を包む。魔術が発動したのだ。
「ちょっとぉ、見えないじゃないのっ……――! 霧? ガキんちょってば、もしかして、霧の民なの……?」
 不意に視界を遮られ、さらに稀有な魔術――特定の血を引く人間しか使えない、特殊術と呼ばれる魔術だ――に動揺する女に、ナスタが素早く簪を二本投げつけ、追い討ちをかける。
「ああっ!」
 先端に刃物のような金属を被せた特注の簪が見事に右肩と左腕に突き刺さり、女は痛みに膝をつく。そこに、怒りに満ちたリリィが彼女を見下ろしながら歩み寄った。赤くて丸い大きな石の下に薄くて透ける水色の布があしらわれた短めの杖をフードの上にかざしながら、幾分低い声で問い詰める。
「あんた、誰? なんでナスタ様攫いに来たの?」
 膝をついたのが元でずれたフードから、侵入者の薄紫の髪と翡翠のような緑色の瞳がちらりと覗いていた。しかし、女は余裕たっぷりに笑いながら、黒い革の手袋を嵌めた左手で杖をはね除けつつ立ち上がる。
「ふふふ……仕方ないわね〜、名乗ってあげるわぁ。私はチェルシー」
 女は簪を引き抜きながら、間の伸びた口調で続ける。
「でもぉ、ナスタ様をお迎えに上がった理由は教えてあげなーい! だってぇ、私達の秘密ですものぉ〜」
「『私達』? 貴様のような輩が他にもいるのか!?」
 噛みつかんばかりのシュードに、女はフードを直しながらさらに笑みを深くし、
「うふふふふ、ボクったら〜。私達のこと、そんなに気になるぅ? じゃあ……北の大国の白い森の真ん中にいらっしゃい。そこの小屋で待っていてあげるわぁ」
 そこで言葉を切ると、女はナスタに向き直って胸に左手を当てて軽く腰を折り、
「ナスタ様、貴方様に是非ともお見せしたいものがございます。勝手なお願いとは重々承知致しておりますが、どうぞお越し下さいませ。それでは、これにて失礼致します」
 と言い終わると、最後にシュードとリリィに向かってにこやかに手を振り、
「うふふ、それじゃあね〜ん」
 砕けた口調の別れの挨拶と共に、侵入者は耳朶の何らかの飾りを煌めかせ、自分が突き破った窓から飛び出して行った。

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