第一章 六
ナスタとシュードとリリィは、木造の長い渡り廊下を足早に歩いていく。昼下がりの風は穏やかなものであったが、それでも今しがたの事件に動揺している彼らの歩みを緩めはできなかった。
三人は城内の東端にある王女の部屋から、城の中心にある謁見の間に辿り着いた。部屋を警護する近衛騎士達の深い礼に出迎えられたナスタは、騎士の一人に謁見の希望を伝える。
「ご苦労様です。ナスタでございますが……陛下に、近衛騎士シュードとヒーラーのリリィ同伴の謁見を……お許し願いたく存じます。……お取次ぎ願えますか」
「かしこまりました」
再び深く礼をした騎士は、目の前に堂々と佇む、松や桜が描かれた色鮮やかな襖ではなく、隣の引き戸から謁見の間に入る。襖はあくまでも王族と貴族、来賓の為のものであり、仕える者達はこの引き戸から出入りをするのだ。
隠し扉にも見える戸から騎士が出てきたのはすぐだった。どうぞお入り下さいませ、という言葉に安堵する間もなく、謁見の間の中の騎士達がゆっくりと襖を開けた。
「ナスタ、無事であったか。安心したぞ」
豪華な襖が音もなく開かれた途端に現れた部屋の最奥に、プレアデス国王は座していた。畳を何枚も積み重ねて階段のように高くした台に乗せた玉座に煌びやかな屏風を背にして座る彼は、御簾越しのナスタの姿に唇を綻ばせた。
烏帽子(えぼし)のような形の漆黒の冠を被る為に後ろで結い上げられた、漆黒の中に僅かに銀の筋が入っている艶やかな髪と、額に巻いた金色の細やかな刺繍が施された白い帯が、民を守り導く五十代の男性の貫禄と凛々しい顔立ちを飾っている。濃い紫の、右の胸元と襟の左に丸く美しい石の飾りをあしらった袍(うえのきぬ)という服の裾を揺らして、王は立ち上がって降りてくる。彼が御簾越しにリリィとシュードに土下座――王族に対する最敬礼の仕草を解くように命じると、膝と手をついて頭を垂れたままの姿勢でシュードが王に嘆願した。
「陛下、発言をお許し願います」
「申してみよ」
「此度の侵入者は、城の防衛に関するあらゆる魔陣をすり抜け――」
「そなた、そのように取り乱すな」
国王は王女誘拐未遂に動揺して早口になった若い近衛騎士の報告を遮った。
「そなたの報告は聞く。まずは落ち着き、その座敷に上がるがよい。ナスタとリリィも座すのだ」
「御意」
「……はい」
「は、はいっ」
三人は床や柱の木目が美しい部屋の隅に設けられた、香り高く真新しい畳が敷かれ、今は布団と火のない掘り炬燵がある座敷に上がった。下座にシュードとリリィが、上座にナスタが座る。
それを見届けた国王は、どういうわけか護衛の騎士達を退室させた。
(……人払い……?)
ナスタの訝しげな視線を受けつつも、国王は御簾をくぐり、自らもリリィとシュードの向かいの座布団に腰を下ろした。座布団を遠慮している三人に座るのを勧めてから、ナスタに今回の事件について話すように促す。姫君は一言断ってから座布団に座り、戸惑いながらも自分が知る限りの事柄を話し始めた。
「……七星の間で待機しておりましたところ、部屋の外……城の庭に、人の気配を感じたのです。不審に思い、リリィに近衛騎士を呼ぶように言いかけたところで……侵入者が攻撃魔術で窓を破り、私達の前に現れました。……恐らく、氷属性の初級攻撃魔術、〔アイスボール〕でしょう……。ガラスの破片の中に、氷の破片が混じっていましたから」
それを聞いた国王は眉をひそめながら、そうか、と呟き、リリィの名を呼んだ。
「あっ、はい! 時間は十四時過ぎだったと思います。侵入者は、黄土色のローブの女でした。髪が薄紫で、目は翡翠みたいな緑色で、確か口紅をしていたと思います。ローブで服はよく分からなかったんですけど、靴は外国のものだと思うんです。私は見たことがない、踵が高い靴でした」
リリィの証言に、言葉遣いがなっていないとシュードは無言で睨みつけるが、王の御前で緊張している彼女は全く気付かなかった。眉間の皺を深くしながら、国王はシュードを呼ぶ。シュードは、元々良い姿勢をさらに正し、
「はっ。侵入者はチェルシーと名乗りました。あの者は、城のいくつもの魔陣を反応させることなく潜り抜けたようです。魔陣については、城の魔陣師を参上させましょう」
「……」
「侵入者は、『ナスタ様をお迎えに上がった』と申していました。また、仲間がいるようです。そして、あの者はナスタ様の存在を知っているかのような口ぶりでした」
「な……」
目を見開く王に、ナスタが躊躇いがちに話しかける。
「……陛下。……侵入者は……私の真名を……知っていました」
「馬鹿な! そなたの――プレアデスの王女の存在だけでなく、真名までも……!?」
思わず大きな声をあげる国王の前で、シュードもあまりの衝撃に顔を強張らせた。侵入者――チェルシーと名乗った女がナスタの真名を言い当てたところには居合わせなかった彼らにも、ナスタにもリリィにも、この出来事は大きなショックだった。このアズールでは、真名を知られることは忌み嫌われていて、互いを愛称で呼ぶ習慣があるからだ。
「何故……」
「……その女、野放しにはしておけぬ。捕らえたいところだが、それにはまだ情報が必要だ。そなた達、他にないか?」
すると、何かを思い出したナスタが、胸元から小さな桜色の巾着を取り出した。中に入れた物を手のひらに乗せ、王に見せる。
「……先程、侵入者が落としていった物でございます」
国王が王女の手の中のそれを覗き込んだその時、外から伝令役の若い騎士の声が響いた。
「申し上げます。アルデバラン王国第三王子、セージ殿下が入城されました」
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