第一章 十二
 主である姫君が了承したのを聞いて、言いたいことを奥に無理やり押し込めたシュードが、鎧の胸元に手を当て、すっと会釈した。
「プレアデス王国近衛騎士団二番隊副隊長、シュードと申します。齢は十九にございます。お見知りおきを」
 そのシュードに服の裾を引っ張られ、顔を赤くしてぼうっとしていたリリィが、がばっと掘り炬燵にぶつからんばかりの勢いで頭を下げる。
「えっと、あた……私はプレアデス王家直属のヒーラーのリリィです! じゅ、十七歳ですっ」
 三人の様子を見たセージは、苦笑いを深めた。
「んー、ナスタはまあいいとして、シュードもリリィちゃんもガッチガチじゃん! そんな硬くなんなって。オレもナスタも王族だけどさ、旅の最中は敬語とかなし、素で、な! 全然お忍びじゃねえもん、怪しすぎるって」
 困ったように笑うセージは両手をひらひらと振りながら、面食らった顔のシュードと口をぽかんと開いたリリィに、強制じみた提案をした。その後で、自分が自己紹介をしていないことに気付いたようで、
「あ、オレはアルデバラン王国第三王子のセージ、十八歳だ。セージって呼んでくれよな」
 改めて名乗ると、片目を閉じてみせた。長い睫毛と白く端正な顔立ちが愛嬌と色気を同居させるその仕草に、リリィの顔が再び赤くなった。シュードは鳩が豆鉄砲を食ったような表情のまま、口の端をぴくりと引きつらせた。ナスタは袖を口元に当てたままでそのやり取りを見ている。その顔には何の色も浮かんでいない筈なのに、シュードの反応と併せて見ると、冷めた目をしているようにも受け取れる。
 三人の反応を気にしているのかいないのか、セージは「そうだ」と、リリィに向き直った。
「リリィちゃんってば、可愛いね。君によく似合ってるその髪飾りの布、もしかして……」
 華のある魅惑的な笑顔と共にさらりと放たれたその一言に、リリィは顔から火が出る思いになった。現に、彼女の愛らしい顔は薔薇色どころではなく、立ち上る湯気が見えそうな程に真っ赤になっている。明るい茶髪のヒーラーは、頬がやけに熱くなっているのを当てた右手に感じながら、しどろもどろに返した。
「え、えっと、こ、こ、これは、そのっ」
 意味をなさず余裕の欠片もない返答に、金髪の王子は明るい茶色の目を瞬かせた。きょとんとした顔がにやけたその時、真顔のシュードの静かな声が割って入った。
「リリィの髪飾りがいかがなさいましたか、セージ殿下」
 深緑の髪の騎士の声が鋭いように聞こえたのか、それとも突然会話に入ってきたからなのか、セージとリリィは悲鳴のような声を漏らして飛び上がらんばかりに体をびくりとさせる。大袈裟なまでに驚くと、セージが唇を尖らせた。
「おい、シュード、敬語はなしっつったじゃん」
「……失礼致しました」
「いや、言った傍から直ってねえし」
 痛いところを突かれたからか、今は旅の途中ではないと抗議の意味を持たせたのか、シュードは黙ってしまった。
 彼をよそに、リリィが顔に熱を集めたまま、もう一度返事を試みる。
「あ、あたしの髪飾りの布、ですか? これ、は、霧の民のです……あ、霧の民の、だよ」
 つっかえながらも律義にセージの提案に乗ったリリィに、セージは花の咲いたような笑顔になった。
「そっか、やっぱな! その薄くて透ける布、霧の民の証かなって思ってたんだ」
 嬉しそうなセージにつられて、リリィの顔にも笑みの花が咲く。
 ――霧の民とは、霧を用いた魔術を使える唯一の民族のことだ。特殊な魔術を使える特定の血は古代アズール文明の頃より伝わっており、その古の血を色濃く引いた民族は他にもいくつかあるのだが、これらをまとめて特殊民族と呼ぶ。また、使用者を血統に限る特殊な魔術は特殊魔術、省略して特殊術と称され、使い手と共にアズールにおいて稀有な存在だ。リリィがチェルシーに使った〔ディープミスト〕は、濃い霧で相手を包み、対象の能力――物理攻撃力や魔力防御力などのいずれかを一時的に低下させる効果がある、水属性の特殊術である。
 霧の民は、リリィが生まれたミストヴェール族を含め、霧の名を冠する七つの血統が現代まで残っている。彼らにのみ製法が伝わる、薄くて透ける柔らかい布が、霧の民の証であった。リリィは水色のものを、鮮やかな桃色の六枚の花弁と中央に赤くて丸い石を配したプレアデス王国の伝統の形の髪飾りに一枚あしらっている。知識があればすぐに霧の民であると分かるそれに、セージは目を引かれたのだ。
「リリィちゃんはいいねー、ちゃんと素で喋ろうとしてくれてさ。シュードも見習えよな」
 悪戯っぽく言ったセージの台詞に悪意はないのだが、シュードはどういう訳か苛立ちを覚え、こめかみと口の端をぴくりと引きつらせてしまった。そこで、今まで黙っていたナスタが控えめに切り出した。
「……では、セージ。支度がございますので……私達はそろそろ……」
「おっ、ナスタもありがとな! んー、いつも敬語の女の子はいるし、様とかつけなきゃアリかな……もうちょいソフトだといいんだけど。私(わたくし)じゃなくて私(わたし)ぐらいなら、違和感あんまないと思うよ」
「……分かり……ました」
 一般人に馴染む為のアドバイスに、ミッドナイトブルーの髪の姫君は気後れしたように返事をした。外国の王子は庶民の言葉遣いを知っているものなのだろうかと、ナスタだけでなくシュードとリリィも首を傾げたくなっていると、セージが何かを思い出したかのように、「なあ」と呼びかけた。
「悪いな、もう一個だけ。――君達、マジで『アズール・ブルー』って知らねえ?」
 先程までの笑みが消え、苦々しい顔をする明るい茶色の瞳の王子に、三人は否定するしかなかった。名前も初耳であったし、チェルシーと名乗った女が落としたブローチも見たことがなかったのである。「……いえ」「存じ上げません」「ううん、知らないわ」と言わざるを得ない。
 肩を落としたセージは、「そっか……」と呟いて、三人を、特に深緑の瞳の騎士を見た。

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