第一章 十四
「……セージ。お怪我につきましては……侍女にお申し付け下さいませ。……どうぞ、お大事になさって下さいまし」
「分かった、ありがとな」
「ところで……ベテルギウス共和国は……とても寒い所だと伺っておりますが……」
「ああ、すっげえ寒いらしいぞ」
隣のナスタに大きく頷いてみせたセージに、シュードが目的地の情報を求めた。
「旅支度の為、ベテルギウスのことをお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「そうね、準備するのにお話聞きたい! お願いします、セージ王子」
「……よろしくお願い致します」
三人に頼まれて、セージは何やら得意げに話し出した。
「ベテルギウスはこのアズールの一番北にある国だってのは知ってるよな? 雪が一年中積もってんだとよ。今はどうか分かんねえけど、あんま積もってない時とすっげえ積もってる時があるらしいぜ」
「そうなんですね! じゃあ、暖かくしていかなきゃ」
「そうだな、アルデバランの服も薄いけど、プレアデスの服も薄い方だもんな」
表地は黒く裏地は青みがかった灰色の薄手のコートをつまんだセージにつられて、リリィも臙脂色の丈の短い袴の襞(ひだ)をつまんだ。プレアデスも冬には雪が降り積もるが、その雪が年中積もっている程の寒さは今一つ想像できないようで、プレアデス王国の三人は首を捻っている。
「そうだ、シュウ、旅って何を用意したらいいの? あたし、旅に出るのも外国に行くのも初めてなの。あ、ナスタ様もですよね」
小首を傾げるプレアデス王家直属ヒーラーと、こくりと頷くプレアデス王国第一王女を見て、プレアデス王国の近衛騎士は指を折りながら羅列を始めた。
「武器、防具、金銭、食料、着替え……今、思いつく限りでは、以上でございます」
「あ、防寒具もだな。あとは旅したことある人に聞くといいかもな」
「左様でございますね。……怪我の手当てはリリィの領分故、ナスタ様はお気になさらずともよろしいかと存じます。リリィは医療道具や薬の類を忘れないように」
「うん、ちゃんと用意するね」
「……分かりました」
小さく頷いたナスタは、今度こそと言わんばかりに座布団から退いて三つ指を突いた。それに倣い、シュードとリリィも座布団の後ろに下がって頭を下げる。
「……それでは、セージ。支度がございますので……私達はそろそろ……失礼致します」
「またな、ナスタ、シュード、リリィちゃん。――あ」
国賓と長話をする訳にはいかないのに、と言いたいのを呑み込んだシュードが、ナスタが顔を上げたのを察して自分も顔を上げ、尋ねる。
「いかがなさいましたか」
「シュードとリリィちゃんは、家族にはこの命令のこと、伝えとけよ? 陛下の命だし、国外に出るんだからさ。あと、オレとの約束、ちゃんと守ってくれよな。じゃ、また明日な」
そう言うと、セージは片目を瞑り、右手の親指と人差し指と中指を立てた気取った挨拶で三人を見送った。
藤の花の紫色と葉の緑色、金の装飾が映える襖が、廊下に座していた二人の近衛騎士の手で静かに閉められる。
藤の間から退室した三人――正確にはナスタの元に、護衛の近衛騎士と侍女が二人ずつ、「お供致します」とやって来た。ナスタが四人を連れ、藤の間から少し離れた渡り廊下まで歩いていくのに、シュードとリリィも付き従う。すぐに立ち止まったナスタは、くるりと振り返った。
「……では、シュード、リリィ。旅の支度をなさいませ。使いが来たら……指示を仰ぎなさい。……セージ殿下が仰ったように、家族への報告も……お忘れなきよう」
「御意」
「はい」
ナスタは二人が肯首したのを見て、解散を言い渡した。
「……私は、七星(ななほし)の間に戻ります。それでは……また」
シュードは藤の間を後にしてから、そのまま近衛騎士の詰所に向かった。上司である二番隊隊長に王女誘拐未遂事件と国王の命の拝受を報告し、荷物をまとめる為である。
偶然にも詰所の前の廊下で隊長――武官よりも文官が似合いそうな温和な面立ちの、三十代半ばの男性である――に会えたシュードは、先程の事件の詳細を報告し、国王の命を受けたことを伝えた。
「そうか。お前さんが、な……」
隊長は呟くと、大きく頷きながら若い副隊長の肩にぽんと手を置いた。
「報告、ご苦労さん。事件もお前さんが受けた命も分かった。しっかりナスタ様をお守りして、賊を捕らえてきなさい。くれぐれも、無事に帰ってくること。隊のことは心配しなさんな」
「はい」
黒髪の隊長は焦げ茶色の目を細め、穏やかに微笑んだ。
「出発は明日となると、これから荷造りか? ……家に寄るのを忘れなさんなよ」
言葉の後半は、どういうわけか、声量を落として耳打ちされた。まるで、他人には聞かれては困ることを囁いているように。
上司の気遣いに、シュードは苦笑いを我慢できなかった。眉尻は下がり、笑みは零れるのに唇の両端に変に力が入ってしまう。
「……勿論です」
シュードは失礼します、と言って会釈し、詰所の中に入っていった。
(家、か)
一時帰宅する旨を、国王の近くの者に伝えておく必要があった。自分にも使者が来る予定なのだ。居場所を知らせておけば、手間取らせることもあるまい。シュードは詰所での荷造りが終わったら、謁見の間の前の騎士に伝言を頼みに行くことにした。
(……隊長のあれは、一体何だったんだろう?)
隊長の呟きに違和感を覚えていたシュードだったが、よくよく思い出してみると他意はなかったように思えてきた。心に棘が刺さった訳でも、しこりができた訳でもなく、例えるならば指でそっとつつかれた、その程度の些細な違和感だったのだ。
(……早く荷物をまとめて、父上と母上に報告しなければ)
プレアデス城の南東部にある藤の間から東端にある七星の間――自室に戻る為に、ナスタは吹き抜けの渡り廊下を歩いていた。近衛騎士と侍女を二人ずつ従え、しずしずと歩むその姿は、大変に雅やかである。
沈みゆく夕日と涼しい風が、一日の終わりを告げている。夜風よりは陽の温もりを残した穏やかな風が、ナスタの真夜中の空のような黒みがかった青い髪を撫でていく。
(……夜間でも飛べる種の中で最速の伝書鳥ならば、七時間程……アルデバランに届くのは……日付が変わる頃。あちらで会議などもあるでしょうから……二時頃にアルデバランを発てば……九時頃に、プレアデスにお返事が届く筈……ですね)
考えを巡らせている間も、風にかき上げられそうになった前髪をそっと抑える間も、プレアデス王国第一王女の美しい顔はずっと無表情であった。その様子は、人形を思わせる。
夜空をそのまま映したような深く暗い青色の姫君の目の奥にあるものは、誰にも分からなかった。
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