第一章 十五
 国に借りている城内の一室、小百合の間に戻ったリリィは、シュードに言われた通り、医療道具や薬、着替えを用意していた。
「……お父さんとお母さんに、言いに行かなきゃ」
 袖のない単を箪笥から出して、ぽつりと呟いた、その時だった。
「リリィ、いる? さっきの、大丈夫だった?」
 襖の外から、少女の声がリリィを呼んだのだ。
 返事をして単を抱えたまま襖を開けると、そこにいたのは薬師袍(くすしのうえのきぬ)を着た焦げ茶色の髪の少女だった。彼女は隣の雪柳の間を借りている、リリィと同い年のヒーラー見習いである。
 リリィは同僚でもあり友人でもある少女を部屋に招き入れた。襖を閉め、内緒話の準備を整えると、リリィは「さっきの」に居合わせたこと、国王の命で旅に出ることをかいつまんで話した。
「そうだったの……大変だったね。じゃあ、私、荷造り手伝うよ」
 目まぐるしく変わる状況に心細くなっていたリリィは、友人の協力を喜んで受けた。
 プレアデス王国の慣習で庶民の未成年女子の髪型とされるおさげ髪が、色違いで二つ並んでいる。ふと、焦げ茶色のおさげがさらりと揺れた。
「リリィ、治療部隊の隊長さんに報告するの、忘れないでね。ご両親にもちゃんと言ってくるのよ」
 今度は、明るい茶色のおさげが跳ねるように揺れた。
「あっ、忘れるとこだった! ありがと、ちゃんとお家にも戻るわ」
「もう、そそっかしいんだから。隊長さんには、一旦お家に帰るのを言っときなよ? お使いの人が来た時にリリィが部屋にいなかったら、困っちゃうわ」
「そっか、そうだよね」
「謁見の間の騎士さんか侍女さんには、私から言っとくよ。時間、勿体ないでしょ?」
 友人の気配りに、リリィは目を丸くさせた後に、ぱあっと輝かせた。


 三人が退室した藤の間では、セージが掘り炬燵の縁に腰かけたままで一人思案していた。
(父上に何て言ったら、お許しいただけるかな……)
 藤が刺繍された藤色のふかふかの座布団の上で、出された茶と菓子をお供に考えを巡らせる。
 緑茶は熱すぎず、また苦すぎず、口の中に残る甘みと香りを楽しめる。喉を潤すには丁度良い温度だが、一度に飲み干してしまうには惜しく感じられた。菓子は桜の花の塩漬けが乗った白い皮の饅頭だ。桜そのものは勿論、桜のピンク色と皮の白さの対比も美しく、また塩気と甘さのバランスが丁度良い。セージが初めて口にした時に特に称賛した菓子だからか、彼がプレアデス王国を訪ねた際にはよく出されるのであった。
(さすが、アズールの塩湖の半分を持ってるプレアデスだな)
 空に浮かぶアズールには、海がない。代わりに、海水のような塩水が満ちた湖、塩湖があるのだ。しかし、その数は限られている。淡水ではない鹹水(かんすい)の水棲生物や塩そのものは、アズールにおいて貴重品であった。桜の塩漬けは、塩湖に恵まれ、桜が自生するプレアデス王国ならではの食べ物なのだ。
 考え事が脱線していると、襖の外からセージを呼ぶ若い女性の声がした。どうやら、準備が整ったらしい。
「今、参ります」
 応えた声も顔つきも、今はアルデバラン王国第三王子であった。


 成人の儀を明日に控えたプレアデス王国第一王女を狙った誘拐未遂事件に大きく揺れたプレアデス城にも、夜が訪れる。
 満ちきる直前の丸い月が、非日常に混乱する人々をいつもと変わらぬ様で照らしていた。


―翌朝、プレアデス城内、謁見の間―

 明くる日、シュードとリリィの姿は謁見の間にあった。昨晩訪ねてきた使者に、十時に参上するように伝えられていたのだ。
 二人が玉座の前で座して待っていると、入り口の襖が開かれた。現れたのは、セージとナスタであった。国賓と王女の登場に、シュードとリリィは二人にも玉座にも背を向けないように、両者に対して直角に向き直り、深々と土下座する。
「おはようございます、シュードさん、リリィさん」
「……おはようございます……」
 セージとナスタは二人に朝の挨拶をすると、玉座の前に臨時に設けられた席に座った。外国の王子であるセージは畳の上に置かれた漆塗りの椅子に腰かけ、国内の王女であるナスタは畳の上の深い紫色の座布団に正座する。文化の違いに配慮したもてなしであった。
 四人の着席から程なくして、
「国王陛下の御成りでございます」
 落ち着いた女性の声が謁見の間に朗々と響くと、部屋の奥、玉座の裏の襖が開いた。御簾越しの国王の登場に、プレアデス出身の三人は額を床に付ける程に深く土下座し、アルデバランの王子は椅子から立ち上がって胸に手を当て、深々と腰を折った。
 国王は玉座に腰を下ろすと、四人に応え、顔を上げることと着席を促す。全員が座してこちらを見ているのを確認すると、朝の挨拶を簡潔に済ませて本題に入った。
「先程、アルデバラン国王陛下からお返事を賜りました」
 セージの父王からの許可は、得られたのだろうか。シュードは心なしか体が強張ったように見える。ナスタはこれといった変化は見受けられず、ただ静かに座っている。リリィは息を呑み、膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。セージは唾をそっと呑み込み、膝の上の手でジーンズをそっと掴んだ。
「陛下は、セージ殿下の旅立ち、及びシュード達へのご同行をお許し下さいました。つきましてはセージ殿下、シュード達をどうぞよろしくお願い申し上げます。シュード、ナスタ、リリィ。そなた達は、くれぐれも失礼のないように。ゆめゆめ使命を忘るるでないぞ」
 許可が下りた、と聞いた四人の反応はそれぞれだった。シュードは体だけでなく眉間と口の端にも力が入る。ナスタは目を瞬かせただけで、他に特筆すべき変化はなかった。リリィは驚きに開いた目と口が、プレアデス国王の言葉の意味を理解すると笑みの形に変わった。セージは安堵したのか、いくらか脱力したようで、ため息のような吐息をほうっと漏らした。
「御意」
「……はい」
「はい!」
「承知致しました」
 四人の返事を聞いて大きく頷いた国王は、「例の物を、二つ、ここに」と呼びかけた。すると、玉座の前の御簾より手前の襖が開き、三人の侍女が何かを抱えてやって来た。

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