第一章 十六
「シュード。このプレアデス国王直々の命たる証を、そなたに預けようぞ」
侍女の一人が恭しく抱えていた漆塗りの盆に乗っていたのは、直径十センチメートル程の美しい石細工だった。形はプレアデス王国の伝統的なモチーフ、六弁の花を模したものにさらに大きな円が縁取りに使われている。丁寧に磨かれた乳白色の円く平らな石が六枚、中央に藍色の半円状の石が配されている。七色の組み紐が持ち手としてつけられたそれが、プレアデス国王からの命を受けた者に貸し与えられる物だった。
「それを役人などに見せれば、そなた達がプレアデスの名の下に行動していることを証明できよう。もう一つは、この絨毯だ」
――アズールでの交通手段の一つに、空を飛べる絨毯がある。一般人でも多少の知識と技術、魔力があれば扱える特別な魔陣を刻んだエレメントストーンを縫い付け、空を飛べる細工を施したものだ。島々を渡るには適さないものの、空船よりも手軽な乗り物として、絨毯の操縦を教える学校がある程に民間にも普及している。
侍女が二人がかりで抱えているのも、空を飛べる絨毯である。かなり大きいものなのだろう。色は深い藍色に見えるが、丸められていてはっきり分からなかった。
「我が国の騎士は絨毯の扱いを習う。そなたも心得ているであろう? これも貸し与えよう。役立てるがよい」
「謹んでお預かり致します」
シュードは国王に土下座してから立ち上がり、プレアデス王国の印の石細工を恭しく受け取る。盆に乗っていた藍色の巾着に石細工を丁重に入れ、単の袷に差し込むと、元の席に戻った。
それを見届けた国王は、さらに続ける。
「絨毯はそなた達の乗る空船に乗せておこうぞ」
四人には前日に伝えられていたことだが、シュード達は空船でベテルギウス共和国のとある港町まで送られることになっていた。王族たるセージとナスタの安全を確保する為である。風にも魔物からの攻撃にも晒され、身を守る場所もない絨毯で遠い異国へ渡ることは、庶民でもまず考えられない愚行であった。
「何かあれば、直ちに文を。よいな」
「御意」
「セージ殿下、どうか道中お気を付け下さい。旅の安全をお祈り申し上げましょうぞ。ナスタ、シュード、リリィ。無事に帰ってくるがよい」
四人の旅立ちを見送るプレアデス国王の表情は、御簾越しにはよく見えなかった。しかし、その穏やかな声は、子を見守る父のような慈愛を確かに四人に届けた。
謁見の間を後にした四人の元に、六人の近衛騎士と四人の侍女が「お供致します」とやって来た。騎士の二人は丸めた絨毯を、侍女の一人は淡い紫色の風呂敷包みを抱えている。
「ナスタ様、こちらが旅支度にございます」
「……はい」
包みはナスタの荷物であったようだ。こくりと頷いたナスタに、老齢の侍女が「こちらでお運び致しましょう」と恭しく申し出た。雪のように白い髪の侍女と夜空のように黒い髪の姫君のやり取りを確認したシュードは、金髪の王子を振り返る。
「セージ殿下。空船に乗る前に、私達も荷物を取りに行かねばなりません。まずは藤の間に向かってもよろしいでしょうか?」
謁見の間からは藤の間が最も近いのです、と付け加えたシュードに、セージは微笑んだ。
「勿論です。案内をどうぞよろしく、シュードさん」
四人とお付きの十人は、南東部の藤の間、南西部の小百合の間、近衛騎士詰所の順に部屋に寄った。
荷物を持った四人は、お付きの者達と共に中門のある城の最南端に向かう。
渡り廊下の端の階段を下りた先の土間で、一行は靴を履いた。プレアデス出身の三人と付き人達は革のブーツ、アルデバラン出身のセージは硬い布の編み上げの靴だ。見慣れぬ異国の履物に、リリィは心惹かれたようで、ちらちらと隣国の王子の靴を見ていた。
セージはここで預けた武器を騎士から受け取る。紫色の短い飾り帯が二本ついた、赤い柄に金と黒の装飾が映える槍だ。刃は黒い布で覆われている。全長は百七十二センチメートルのセージの背丈とそう変わらない。三人の物珍し気な視線を受けて、セージはにこりと微笑んだ。
中門を出てすぐに、一人の騎士に出迎えられる。こちらです、と騎士が指し示した方を見やれば、一行の目に門の右手の石畳に停まっている空船が飛び込んできた。全長は十五メートル程で、木造で帆のないそれは、屋形船のような姿形をしていた。
魔力を動力源とする空船は、垂直に離着陸でき、滑走路を必要としない造りであった。地面すれすれで空中停止も可能で、そうすれば人や荷の乗降には平らな地面も専用の設備も要しない。
船室から姿を現した一人の騎士が、備え付けの梯子を下ろす。絨毯を抱えた騎士達、ナスタの荷物を持った侍女が先に乗っていった。そこで、四人は自分達に付き従っていた年配の侍女に声をかけられる。
「今一度ご確認致しますが、お忘れ物などございませんか」
四人が顔を見合わせ、誰からともなく頷き合うと、シュードが返す。
「ありません」
「左様でございますか。皆様、ご武運を」
騎士達と入れ替わり、シュード、ナスタ、セージ、リリィは梯子を上る。梯子を格納した騎士――空船の操舵手が王族二人に一礼すると、船室へ戻っていった。
初めて乗る空船にナスタが胸元の服を握りしめ、リリィがきょろきょろしていると、突然甲高い笛の音が鳴り響いた。びくりと身を縮こまらせた二人に、セージが笑いながら説明する。
「出発を知らせる笛ですよ」
「そ、そうなんですね。びっくりしたー」
「驚き……ました」
そこに、シュードが三人に注意を促した。
「皆様、揺れるかもしれませんから、縁に掴まって下さい」
四人が空船の縁を掴んだその時、空船の底から水色の光の円陣が浮かび上がった。魔陣を描く光が瞬く間に消えたかと思えば、空船は何の音もなくふわりと浮き上がる。足元を奪われたような奇妙な浮遊感に、リリィが小さな悲鳴を上げた。
片膝をついて頭を垂れる近衛騎士や侍女達の姿が、小さくなっていく。気が付けば、プレアデス城もその全貌を眼下に現していた。城から一歩も出たことのなかったナスタは、自分の世界の全てであった城を見下ろし、城壁の外を見やる。緑豊かな森、そこから流れる川、瓦葺の建物の群れ。見えるものはどんどん増えていく。
「これが……プレアデス王国、マイア島……」
景色に目を奪われているナスタの横顔を、シュードはしばらく見つめ、やがて方向転換する空船の行く先を真っ直ぐ見据えた。リリィは目を輝かせてはしゃぎ、セージは朗らかに笑っている。
四人を乗せた空船は、ベテルギウス共和国を目指して飛び始めた。
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