第一章 二十
「リリィ?」
 名を呼ぶと、リリィは顔を痛々しく歪めたままシュードを見た。
「……追い返すだけで、よかったんじゃないの?」
 開口一番に自分を非難するリリィに、シュードは瞠目した。二、三度瞬きをした後に、魔物に致命傷を負わせたことを悲しんでいるのだと合点が行った。そういえば、彼女が見ていたのは魔物が消えていった方向である。
「あんなに酷い傷じゃ、絶対助からないよ。あんなこと、しなくても……」
 守るべき者がいるのにそんな生温いことを――と叱ろうとしたシュードだったが、あることに気が付いて言葉を呑み込んだ。リリィは、戦場に立つのが初めてであったのだ。ヒーラーとは本来、戦場に赴いて負傷者を癒す職業であるが、平和を享受する今の時代に生まれ育ったリリィは未だ戦地に向かったことがなかった。目の前で生々しい命のやり取りを見れば、誰しもが動揺するだろう。たとえ、相手がこちらに敵意を持つ魔物だとしても。
「ああしなければ、ナスタ様とセージ殿下をお守りできなかった。敵に情けをかければ、こちらがやられる」
「っ……」
 涙こそ浮かべていないが、今にも泣き出しそうな顔で俯いたリリィに、シュードは硬い顔つきのままで諭し続ける。
「お前はこれが初めての戦いだったな。きついのは察するが……自分達が生きる為だと思ってくれ」
 杖を抱きしめたまま震える明るい茶髪のヒーラーに、深緑の髪の騎士はこれ以上言葉を尽くしても彼女の悲しみを癒せないと悟る。どうしたものか、と思案しながら金髪の王子に視線を移した。セージは困りきった様子で頭を掻いている。鮮やかな金の巻き毛が靡いた先にあった真夜中の空の色に、シュードはとある事実を呼び起こされた。
(ナスタ様も、これが初陣じゃないか――!)
 リリィがここまで落ち込んでいるのならナスタも傷付いているかもしれない、と思い至ったシュードは、勢いよく首を巡らせて夜空の色彩の持ち主を見た。目を伏せて自身の白い手のひらを見つめているナスタに、全身の血の気が引く音がした気がする。焦る自分を抑えて言葉を選んでから、平静を装って主に話しかける。
「……ナスタ様、ご気分はいかがでしょうか?」
 すると、ナスタはゆるりと顔を上げてシュードを見た。元々が抜けるように白い肌だが、唇の血色も良く、顔色は悪いように見えない。整った顔立ちのどこにも感情がもたらす歪みはなく、リリィのように体を震わせてもいない。
「……平気、です」
 ミッドナイトブルーの髪の姫君の動揺が見受けられない様子、普段と変わらぬ受け答えに、シュードは自分の早合点だったかと胸を撫で下ろした。
「左様でござ――」
「シュード、それ以上言ったらオレは拗ねるぞ」
「……それはようございました。皆様、船室に戻りましょう。わた、……俺は操舵手に報告して参ります。皆様はお先にどうぞ」
「……はい」
 シュードはナスタが頷くのを、ついでに隣のセージが「いや、『ようございました』も駄目だろ」とぶつぶつ呟いているのを確認すると、先に梯子を下りていった。
「ナスタ、リリィちゃん、行こうぜ」
「はい……」
 セージに声をかけられたナスタは、もう一度自らの手のひらを見つめると、前髪を押さえながら振り返った。
「……リリィ、参りましょう」
「……はい、ナスタ様」
 三人が梯子を下りていった後も、リリィはしばらく俯いてぽつんと立っていた。
「……あたし、傷付けたくてヒーラーになったんじゃないのに」
 ぽつりと呟いた言葉は誰の耳にも入ることなく、上空の強い風で青い空へかき消された。


 一行はシュードとリリィが戻ってきてから、昼食の時間を設けた。男性陣の部屋で円卓を囲んでいる。
 三人は落ち込んでいたリリィを気にかけていたが、弁当箱の蓋を開けたリリィの「わあ〜、美味しそう!」という輝いた顔と声に、ひとまずほっとしていた。
 一行の今日の昼の献立は、プレアデス城の侍女が持たせてくれたおにぎりと野菜の漬物、卵焼きに魚の干物である。給湯室はあれど、乗せられる物資も調理するスペースも限られたこの空船では手間のかかる料理などできるはずもなく、食事は保存食などに限られていた。操舵室へ行っていたシュードが給湯室に立ち寄って湯を沸かしてきたので、温かい緑茶も円卓に乗っている。
「へえ、これがおにぎりか〜」
 セージが物珍しそうな顔と声をするので、リリィは思いきって尋ねてみた。
「アルデバランにはおにぎりはないんですか?」
「ないぜ。ってか、米を食べる文化がねえ」
「えええ!?」
 リリィには予想だにしなかった答えだったのか、彼女は思わず大きな声を上げた。セージの返答とリリィの声の大きさに、ナスタのおにぎりに伸ばしていた手が止まり、茶を飲んでいたシュードの眉間に皺が刻まれた。
「……リリィ、食事中だぞ」
「ご、ごめん。だって、お米がないなんて」
「つーか、米食べてんのはプレアデスとミラぐらいだぞ。アルデバランも他の国も、麦ばっかだ」
「うっそ……!」
 焦げ茶色の目のヒーラーは、箸を取り落とすのでは、と見ている側が心配になる程驚いている。その左隣の深緑の目の騎士が、湯気の立つ湯呑を円卓に置いて突っ込みを入れた。
「麦ならプレアデスでも食べているだろう」
「違うわ、あたしはお米がないのにびっくりしたの。ミラって……東の大国よね? 行ってみたいなー」
 ――ミラとは、アズールの東に浮かぶ大国、ミラ帝国のことだ。アズール一の大きさの島があり、気候などプレアデス王国と類似点や共通点が多い。米を食する文化もそうだ。
 見たことのない遠い異国を思ってうっとりしているリリィの右隣で、おにぎりを食んでいたミッドナイトブルーの目の姫君が小首を傾げた。
「……セージ……は、我が国へ何度もいらして下さっている筈ですが……おにぎりをご覧になったのは、初めてでしたか……?」
「おっ、いいね、ちゃんとそう呼んでくれなきゃな! ナスタの言う通り、オレは小っちゃい頃からプレアデスにお邪魔してるけど、おにぎりは何だかんだで初めてだな。米って美味いよな〜」
「ですよねー」
「……確かに」
「……美味しい……です」
 ――和やかな昼食の後は魔物の襲撃はなく、一行は様々な話をして穏やかに過ごした。


「皆様、もうすぐ花緑青の小屋に到着致します。どうぞご支度を」

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