第一章 二十一
昼食の後も一つの部屋に集まっていた四人の元に現れた一人の騎士が、こう告げた。
「分かりました」
シュードが頷くと、騎士は一礼して退室する。
「もうそんな時間?」
「十九時を過ぎたばかりですから、予定通りでございますね」
懐中時計をぱちんと開いて時刻を確かめたシュードは、セージに答えた。窓の外は既に星が瞬く程暗く、室内は二つの壁掛けの行灯の白っぽく柔らかい光――蝋燭の代わりに発光する細工を施したエレメントストーンを使っている――に照らされている。
「お宿、どんなとこなのかな?」
「プレアデス領だから、俺達の知っているものとそう変わらないと思うが」
「ま、行ってみりゃ分かるだろ」
まだ見ぬ宿をあれこれ想像するリリィに、懐中時計をぱちんと閉じたシュードと腕を組んだセージが答えた。リリィの右隣のナスタは、何の感情も浮かべないまま袖を口元に当てて長い睫毛を伏せている。見ただけでは彼女の考えていることなど到底分からないが、もしかしたら姫君も宿に想像を巡らせているのかもしれない。
「ってか、みんな」
アルデバランの王子の呼びかけに、プレアデス出身の三人が彼に注目する。
「これから一般人にオレ達四人が一緒のとこを見られるんだぜ? せめて、敬称は使うなよ」
「そ、そうですね……じゃなかった、そう、だ……ね」
リリィが咄嗟に返事をしてみるものの、そのあまりのぎこちなさにセージはこめかみに右手を当てながら「うーん」と唸る。その唸り声も引きつった顔も、「オレはものすごく不安です」と雄弁に語っている。
「セ、セージおう……」
「あー! ストップ! リリィちゃん、ストップ!」
さらに、リリィが自分を敬称付きで呼ぼうものなら、慌てて大きな声で彼女を遮る。リリィは口を両手でばっと押さえるが、そんなことをしても「セージ王子」と言いかけた事実は消えない。同じ年頃の庶民の若者同士のやり取りには、とてもじゃないが見えない。訳ありの四人組だと思われても、文句は言えまい。
(これでは、セージ殿下のお望み通りにはいかなさそうだ……俺もできる気はしないが)
二人のやり取りを見ているシュードは真面目の権化のような顔をしつつ、内心では魔力までも体内から出ていきそうなため息を吐く。しかし、彼にもセージの望みが今回の任務に必要なことは分かっていた。町の中に「王子」と呼ばれる人間がいれば、多くの人が注目し、たちまち噂は駆け巡るであろう。チェルシーにこちらの動きを知られるのは避けたいところだ。さらに言えば、訪問の旨はベテルギウスに伝えていないので、あくまでも忍びの旅である。目立ってしまっては何かと都合が悪い。
(いっそのこと、命じて下さればいいのに)
シュードは命じられることを好き好んではいない。プレアデスの民として、また近衛騎士として、忠誠を誓い仕える王族、それと上司の命には従うだけだ。今、隣国の第三王子に命令を望むのは、確実な任務遂行の為である。セージは何故、王子として「敬語を遣うな」と命令しないのか――シュードがそう疑問に思った瞬間、甲高い笛の音が鳴り響いた。
目的地に着いたようだ。
一行は空船の梯子から石畳の上に降り立った。これは停船の為の平らな地面を確保するのに敷かれている。一行の乗ってきた空船が四艘は泊められる大きな石畳がもう一枚あったが、他に空船は見当たらなかった。
「私達は残って船の番を致します。皆様はどうぞお宿に」
「分かりました。夕食と風呂は宿の方に頼んで参ります。では、後程」
操舵手役の騎士の一人に軽く頭を下げたシュードは、三人に向き直る。
「皆様、参りましょう」
「……はい」
「うん、行きましょ」
「勿論です」
四人は騎士達に会釈してから、目の前の三階建ての木造の宿へ向かった。外観はプレアデスによくある築三、四十年程の建物そのもので、扉の両脇には火ではなくエレメントストーンが灯る大きな提灯が飾られていた。瓦葺の暗い色の屋根が月明かりに照らされ、いくつかのガラス窓や障子からは灯りが漏れている。建物の周りには花壇があるようで、低木や花が植えられていた。
シュードが木とガラスの引き戸を軽く叩いて開ける。からからと見た目よりも軽い音と共に、戸に付けられていたいくつもの鈴がしゃらんと涼やかに鳴った。
扉の向こうの広いロビーの奥で、カウンター越しに一人の女性がにこやかに来客を待っていた。五十歳ぐらいの初対面の筈の女性を一目見ただけなのに、シュードは既視感を覚えた。それはシュードの後ろのナスタとセージも同様で、二人が息を呑んだ気配が微かにした。最後尾の小柄なリリィには中の様子が見えないようで、彼女の乱れた気配はしない。
「こんばんは、旅のお方」
「こんばんは――」
シュードは、挨拶を返して数歩進んだところでこの妙な感覚の出処に気が付いた。受付の女性の白い割烹着のような服は、プレアデス王国のヒーラーの証、薬師袍(くすしのうえのきぬ)である。リリィが着ているものと違うのは、細部の飾りの色と長袖であることぐらいだ。衣服から視線を上げれば、そこにはリリィと同じ色の、明るい茶色の髪と焦げ茶色の目があった。日に焼けた肌の色や内側に跳ねる髪の癖までそっくりである。ここまで似通っていると、全くの他人とは思えない。そう、同じ血が成せるもののような――
「シュウ? どうしたの?」
歩みを止めたシュードを訝しんだリリィが、中を覗こうとひょっこり彼の背中から顔を出した。そこで、受付の女性と目が合う。
「えっ? あたしとそっくり……?」
思わず心の声を口に出した明るい茶色のおさげの少女に、明るい茶色のまとめ髪に簪を挿した女性がはっとした顔つきになる。
「……もしかして、あなた……リリィ?」
「は、はいっ」
「やっぱり! 覚えてるかしら、ランよ。あなたのお父さんの妹の」
「……え、ええっ、ラン叔母さん!?」
大きな目を丸くするリリィに、ランは姪と同じ色の目を細めた。
「最後に会ったのは、あなたが六つの頃だったかしら。大きくなったわね」
(十一年前も会ったきりなら、リリィもよく覚えていないのかもしれないな)
リリィは思わぬ展開に口を閉ざしているシュードを押しのけて駆け寄り、受付のカウンターに両手をちょこんと乗せる。
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