第一章 二十二
「うん、確かそうよ。ラン叔母さんってば、どうしたの? 全然会わないんだもん」
「何だかんだ、仕事が忙しくてねぇ……さあ、お連れの方も中にどうぞ」
 十一年振りの再会を邪魔してもいいものか、と立ち尽くしていた三人は、その一言で宿の中に入った。ナスタが戸を閉めようと手を伸ばしたのをセージがさりげなく制し、鈴の音と共に戸を引く。ミッドナイトブルーの瞳が不思議そうに明るい茶色の瞳を見上げる前で、シュードはリリィの横に並んだ。
「ね、ラン叔母さん」
「ちょっと待ってちょうだい、リリィ。まずは受付してからね」
 話したがるリリィを困ったように笑いながら宥めたランは、帳簿を開いて深緑の髪の青年ににっこり笑いかけた。それでようやく、シュードは宿泊の手続きを始める。
「今晩、泊めていただけませんか」
「勿論よ。何名様ですか」
「建物に宿泊したいのはこの四人です。あと、船番に三人おります」
「四名様と、三名様ね。お食事とお風呂はいかがなさいますか」
「今晩と翌朝の食事を七人分お願いします。風呂も頼めますか」
「七名様分のお食事とお風呂ですね。お部屋は……」
 帳簿にさらさらと筆を走らせるのを止めたランの視線に導かれるように、シュードは隣のリリィと後ろのナスタ、セージを顧みる。二人に意向を伺いたいところだが、この忍びの旅では人前で「ナスタ様」「セージ殿下」などと呼んではいけない。今こそは、口を滑らせずに言わなければ――と覚悟を決めた深緑の目と明るい茶色の目が合った。お互いが一つ瞬きをすると、セージが爽やかな笑顔で口を開いた。
「二人部屋を二つお願いできますか?」
 セージが答えたのを聞いたシュードは、ほんの一瞬だけ目を見張った。そのまま、何事もなかったかのようにランに向き直る。
「二名様ずつ、二部屋ですね。ご用意しましょう」
 前払いであることと食事代は別途支払うこと、それと宿泊代を告げられ、シュードは腰の鞄から財布を取り出して紙幣と硬貨を木のトレーに置く。ランは丁度であることを確かめてカウンターの下に代金をしまうと、そこから乳白色の水晶のようなエレメントストーンが目を引く三十センチメートル程の細い木の杖を二本と、木の札と鈴が付いた鍵を二つ取り出した。
「お部屋にご案内します。こちらにどうぞ」
 一行はランの後について行った。南に面した玄関から見て左に食堂、右に浴場とトイレがあることを教わりながら、受付の両隣にある階段の右側を上っていく。
 建物の二階と三階は客室で、部屋は南側と階段のある北側に分かれていた。間に挟まれた廊下の壁には、行灯や花を生けた小さな籠がいくつも掛けてある。一行が案内された三階には南側に七部屋、北側に五部屋あって、その中の階段脇の二部屋と階段の狭間の部屋の扉には「関係者以外立入禁止」と書かれた紙が張られている。一行が通されたのは、北側の東端の六畳間と南側の東端の隣の六畳間だった。隣り合ってはいないが有事の際にはナスタ様の元へ駆け付けやすい、とシュードは内心で頷いていた。
 ランが南側の六畳間を開錠し、木の引き戸を開いた。
「こちらでお部屋の説明をしますね。ここでお靴を脱いでお座敷に上がって下さいな」
 四人が部屋に上がると、ランは部屋の壁掛けの行灯に杖をかざす。すると、蝋燭の代わりのエレメントストーンが魔力を流されて反応し、白っぽく柔らかな光を放ち始めた。灯りを点けたランは、引き戸の真横の押し入れの襖を開けてみせる。
「この押し入れの下に金庫と湯呑、上にお布団があるので、どうぞ使って下さい。何かありましたら、受付にいらして下さいな。お部屋の鍵と照明の杖はチェックアウトの時に受付に返して下さいね。はい、どうぞ」
「分かりました。お世話になります」
 鍵と杖を受け取ったシュードが頭を下げるのに三人も倣った。顔を上げたリリィが、目を輝かせながら弾んだ調子で叔母に話しかける。
「ラン叔母さん、お仕事終わったら、あたしに特殊術を教えて欲しいの」
「ごめんね、私のお仕事は一日中よ。それに、もうできないのよ」
「えっ?」
「ごめんね、リリィ。それじゃあ、ご飯とお風呂の支度をしてきます。もう少ししたら食堂にいらして下さいね。今のところ、お客様はあなた方だけなのよ。どうぞごゆっくり」
 頭に明るく青みの強い緑――花緑青色の三角巾を巻いた受付の女性は、にっこり笑って戸を閉めた。
 残された四人は、お互いに顔を見合わせた後にリリィを見る。
「もうできないって、どういうことだ?」
「あ、あたしも全然分かんないです」
 セージの、いや、四人の疑問に解を与えられる者は、ここにはいなかった。事情は全く呑み込めないが、触れてはいけない話題のような気がするのは何故なのだろうか。気まずい沈黙を破ろうと、セージが慌てて話題を変える。
「それにしても、リリィちゃんの叔母さんがここの人だったなんてなー」
「びっくりです。あたしもすごく久しぶりに会ったんですけど、叔母さん、本当は四十歳なのに、皺が……お仕事、大変なのかな?」
 明るい茶髪のヒーラーの言いたいことが分かって、深緑の髪の騎士も返す言葉が見つからずに黙りこくる。すると、金髪の王子がどういうわけか唇を尖らせた。
「リリィちゃん、皺は努力の証だぜ? にっこり笑った顔が素敵なレディじゃん、そういうのを言っちゃうのはレディに失礼だぞ」
 真顔でそう力説したセージに、リリィはぽっと頬を赤く染める。その彼女の隣で、シュードは固まっていた。目の前のこの高貴なお方は歯の浮くような台詞をさらりと言ってのける御仁、と解釈すべきなのだろうか。それとも、気の利いた言い回しができる御仁と捉えるべきなのだろうか。だが、穿った見方をしたいのは自分がそういう文言を咄嗟に言えなかった悔しさがあるからだと、シュードは心のどこかでは認めてはいた。認めてはいたが、やはり悔しい。
 近衛騎士が人知れず葛藤する傍らで、ミッドナイトブルーの髪の姫君が小首を傾げた。

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